ウチのどうぶつえん「チャレンジングゥ〜!!」 ― 2025-05-03
2025年5月3日 當山日出夫
ウチのどうぶつえん チャレンジングゥ〜!!
鳥が飛ぶところを見られる動物園というのは、ありそうでない。飛んで逃げ出さないように訓練するのは、かなりの苦労があったにちがいない。飛んで逃げてしまって、山口県から和歌山県まで行ってしまったというのは、おどろきである。それでも、なついて、繁殖も成功しているのは、いいことだと思う。
幼魚の水族館があることは知らなかった。仔魚、稚魚、幼魚、成魚、となる。その幼魚をつかまえるのに、港の岸壁で、海を観察しながら網で捕っているというのも、こんなふうにして捕まえることができるのかと、おどろく。おそらく、その飼育も、むずかしいかと思う。生態が分かっていないことが多いだろうから、何を食べてくれるか、これも試行錯誤になるにちがいない。
大きくなった魚が、他の水族館に引っ越して行くというのも、面白い。そして、これを裏からささえるコーディネーターの仕事をする人がいることになる。
鈴木香里武、という人、ただの幼魚が好きな人というだけではなく、ナチュラリストとして、生きものを見る目を持った人であることが、話しぶりを聞いていて分かる。
2025年4月27日記
ウチのどうぶつえん チャレンジングゥ〜!!
鳥が飛ぶところを見られる動物園というのは、ありそうでない。飛んで逃げ出さないように訓練するのは、かなりの苦労があったにちがいない。飛んで逃げてしまって、山口県から和歌山県まで行ってしまったというのは、おどろきである。それでも、なついて、繁殖も成功しているのは、いいことだと思う。
幼魚の水族館があることは知らなかった。仔魚、稚魚、幼魚、成魚、となる。その幼魚をつかまえるのに、港の岸壁で、海を観察しながら網で捕っているというのも、こんなふうにして捕まえることができるのかと、おどろく。おそらく、その飼育も、むずかしいかと思う。生態が分かっていないことが多いだろうから、何を食べてくれるか、これも試行錯誤になるにちがいない。
大きくなった魚が、他の水族館に引っ越して行くというのも、面白い。そして、これを裏からささえるコーディネーターの仕事をする人がいることになる。
鈴木香里武、という人、ただの幼魚が好きな人というだけではなく、ナチュラリストとして、生きものを見る目を持った人であることが、話しぶりを聞いていて分かる。
2025年4月27日記
BS世界のドキュメンタリー「サハラに捨てられる人びとーEU移民政策の裏でー」 ― 2025-05-03
2025年5月3日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー サハラに捨てられる人びとーEU移民政策の裏でー
EU、あるいは、イギリスなどをふくめて、ヨーロッパの国々といってもいいかもしれないが、移民をこれ以上は増やさない、という方向に舵をきりつつあるようである。無論、アメリカもそうである。
人道的な観点からは、確かに、難民とされるような人たちに援助の手を差し伸べるべきである、ということは確かにいえるのだが、しかし、多くの人びとが、ヨーロッパ社会のなかにはいってきて、これから先、うまく共存していけるのか、とうことも同時に考えるべきことである。人を受け入れるということは、その宗教や文化をふくめて受け入れるということであり、その人生の最後までかかわり、さらには、その子どもたちのことも考えなければならない。そう簡単に、人道的に受け入れを増やす、というだけではことはすまないだろう。
しかし、だからといって、サハラ砂漠の水も食糧もないところに、つれていって放置する、というのは、どう考えても非人道的であり、批難されるべき行為である。
リビアなど、現在のことはどうなっているのか、あまり日本で大きく伝えられることはない。カダフィ政権が崩壊したころ、次々に独裁政権がたおれていったのだが、それで、いっきに民主的な政府による統治がが実現したかというと、そうではなかった。実は、その後のことがどうなっているか、ということが、大きな問題だと思う。
サハラ砂漠以南(サブサハラ)の国々に住む人びとにとって、なんとしてでも、国を出てヨーロッパに渡りたい、という気持ちがあることになる。(これが、昔だったら、殖民地の宗主国に行ってなんとかしようということだったかもしれないが、もうそういうわけにはいかない。)
アフリカの経済発展ということもニュースで見ることではあるが、実際に生活する人びとのくらしは、どうなのだろうか。
スペイン領のカナリア諸島に行って、そこからヨーロッパを目指すということだったが、これも、合法、非合法、いろんなルートがあるのかもしれない。これについて、スペイン政府は、どう対応しているのだろうか。
移民、難民であっても、闇業者にお金を払って渡航が可能になるなら、まだ、マシな方というべきだろうか。もし、ヨーロッパに行くことができても、そこでの安定した生活が、これから保証されているかどうか、あまり安心はできないかもしれない。(最悪の場合、強制送還ということもありえないことではないだろう。)
まったくどうでもいいことだが……砂漠の移動につかわれるのは、(たぶんガソリンで動く)トヨタである。これが、将来的に、中国製の電気自動車に変わるときは、くるのだろうか。
2025年5月1日記
BS世界のドキュメンタリー サハラに捨てられる人びとーEU移民政策の裏でー
EU、あるいは、イギリスなどをふくめて、ヨーロッパの国々といってもいいかもしれないが、移民をこれ以上は増やさない、という方向に舵をきりつつあるようである。無論、アメリカもそうである。
人道的な観点からは、確かに、難民とされるような人たちに援助の手を差し伸べるべきである、ということは確かにいえるのだが、しかし、多くの人びとが、ヨーロッパ社会のなかにはいってきて、これから先、うまく共存していけるのか、とうことも同時に考えるべきことである。人を受け入れるということは、その宗教や文化をふくめて受け入れるということであり、その人生の最後までかかわり、さらには、その子どもたちのことも考えなければならない。そう簡単に、人道的に受け入れを増やす、というだけではことはすまないだろう。
しかし、だからといって、サハラ砂漠の水も食糧もないところに、つれていって放置する、というのは、どう考えても非人道的であり、批難されるべき行為である。
リビアなど、現在のことはどうなっているのか、あまり日本で大きく伝えられることはない。カダフィ政権が崩壊したころ、次々に独裁政権がたおれていったのだが、それで、いっきに民主的な政府による統治がが実現したかというと、そうではなかった。実は、その後のことがどうなっているか、ということが、大きな問題だと思う。
サハラ砂漠以南(サブサハラ)の国々に住む人びとにとって、なんとしてでも、国を出てヨーロッパに渡りたい、という気持ちがあることになる。(これが、昔だったら、殖民地の宗主国に行ってなんとかしようということだったかもしれないが、もうそういうわけにはいかない。)
アフリカの経済発展ということもニュースで見ることではあるが、実際に生活する人びとのくらしは、どうなのだろうか。
スペイン領のカナリア諸島に行って、そこからヨーロッパを目指すということだったが、これも、合法、非合法、いろんなルートがあるのかもしれない。これについて、スペイン政府は、どう対応しているのだろうか。
移民、難民であっても、闇業者にお金を払って渡航が可能になるなら、まだ、マシな方というべきだろうか。もし、ヨーロッパに行くことができても、そこでの安定した生活が、これから保証されているかどうか、あまり安心はできないかもしれない。(最悪の場合、強制送還ということもありえないことではないだろう。)
まったくどうでもいいことだが……砂漠の移動につかわれるのは、(たぶんガソリンで動く)トヨタである。これが、将来的に、中国製の電気自動車に変わるときは、くるのだろうか。
2025年5月1日記
ダークサイドミステリー「“呪い”…人はなぜ呪うのか?〜呪術大国ニッポンの闇〜」 ― 2025-05-03
2025年5月3日 當山日出夫
ダークサイドミステリー “呪い”…人はなぜ呪うのか?〜呪術大国ニッポンの闇〜
再放送である。最初は、2023年7月6日。
呪いという気持ちが、人間の幸福を願う気持ちと裏表の関係にあって、あいともなうものである、ということは確かだろう。現世利益というが、これには、自分が幸福になりたいという面と、敵をやっつけたいという面と、両方がある。この意味では、古来よりの人間の宗教的感情のなかに、これらがひそんできているといってもいいことになる。(本来の意味での、宗教ということとは、ちょっと違うかもしれないが。)
呪いの品物のコレクターがいるというのは、今の世の中なら、そういう人もいていいかと思う。その展覧会があって、たくさん人が押し寄せているというのも、まあ、そんなものかと思う。
現在でも、丑の刻参りをする人がいる。ちなみに、「のろい」や「丑の刻参り」で検索してみると、そのやり方や神社を解説したHPや動画などが、たくさんある。それだけ、興味を持っている人がたくさんいるということなのだろう。また、実際に行っている人もいることになる。
文化人類学や民俗学の立場から見た呪いということもあるし、広い意味での宗教学でとらえる呪いもある。歴史的にも、古くから、世界中で行われてきた。日本でも、考古遺物として呪いの人形が出土している。
怨霊思想というのは、日本に特有のことなのだろうか。早良親王、菅原道真など、怨霊として神様になった人(?)は多い。だが、今では、菅原道真は天神さんとして、学問の神様にもなっている。
ともあれ、非業の死を遂げた人間の霊はたたりをなす。適切に慰霊され鎮魂の儀式が必要である。これは、日本に古くからある人びとの心性であろう。(この意味では、私は、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯については、慰霊のための施設があってもいいと思っている。しかし、だからといって、靖国神社に合祀するのが適切であるかどうかは、また別の問題である。)
佛教大学の斎藤英喜さんが登場していたが、つい最近、亡くなられた。その入院のときの様子など、Facebookで見ていたので、近しい人のように感じるところがある。日本の陰陽道などの専門家である。
陰陽師として、安倍晴明はあまりに有名である。昨年の『光る君へ』では大活躍していた。ただ、ドラマのなかでは、式神を使うシーンが無かったのが、ちょっと残念であった。
平安時代の貴族の呪いについて、真言密教に話しをもっていくのは、ちょっと強引な感じである。平安時代の貴族の、生活感覚としては、現代の人間とは違った側面がかなりあったはずである。呪いという方向だけで考えるのではなく、安産の祈祷なども含めて、広く考えるべきところだろう。
おそらく人間社会なかから、人を呪うという感情は、これから消えてなくなることはないだろうと思う。それがどのような形をとるかは、時代によって移り変わっていくことだろうが。
2025年5月1日記
ダークサイドミステリー “呪い”…人はなぜ呪うのか?〜呪術大国ニッポンの闇〜
再放送である。最初は、2023年7月6日。
呪いという気持ちが、人間の幸福を願う気持ちと裏表の関係にあって、あいともなうものである、ということは確かだろう。現世利益というが、これには、自分が幸福になりたいという面と、敵をやっつけたいという面と、両方がある。この意味では、古来よりの人間の宗教的感情のなかに、これらがひそんできているといってもいいことになる。(本来の意味での、宗教ということとは、ちょっと違うかもしれないが。)
呪いの品物のコレクターがいるというのは、今の世の中なら、そういう人もいていいかと思う。その展覧会があって、たくさん人が押し寄せているというのも、まあ、そんなものかと思う。
現在でも、丑の刻参りをする人がいる。ちなみに、「のろい」や「丑の刻参り」で検索してみると、そのやり方や神社を解説したHPや動画などが、たくさんある。それだけ、興味を持っている人がたくさんいるということなのだろう。また、実際に行っている人もいることになる。
文化人類学や民俗学の立場から見た呪いということもあるし、広い意味での宗教学でとらえる呪いもある。歴史的にも、古くから、世界中で行われてきた。日本でも、考古遺物として呪いの人形が出土している。
怨霊思想というのは、日本に特有のことなのだろうか。早良親王、菅原道真など、怨霊として神様になった人(?)は多い。だが、今では、菅原道真は天神さんとして、学問の神様にもなっている。
ともあれ、非業の死を遂げた人間の霊はたたりをなす。適切に慰霊され鎮魂の儀式が必要である。これは、日本に古くからある人びとの心性であろう。(この意味では、私は、東京裁判で絞首刑になったA級戦犯については、慰霊のための施設があってもいいと思っている。しかし、だからといって、靖国神社に合祀するのが適切であるかどうかは、また別の問題である。)
佛教大学の斎藤英喜さんが登場していたが、つい最近、亡くなられた。その入院のときの様子など、Facebookで見ていたので、近しい人のように感じるところがある。日本の陰陽道などの専門家である。
陰陽師として、安倍晴明はあまりに有名である。昨年の『光る君へ』では大活躍していた。ただ、ドラマのなかでは、式神を使うシーンが無かったのが、ちょっと残念であった。
平安時代の貴族の呪いについて、真言密教に話しをもっていくのは、ちょっと強引な感じである。平安時代の貴族の、生活感覚としては、現代の人間とは違った側面がかなりあったはずである。呪いという方向だけで考えるのではなく、安産の祈祷なども含めて、広く考えるべきところだろう。
おそらく人間社会なかから、人を呪うという感情は、これから消えてなくなることはないだろうと思う。それがどのような形をとるかは、時代によって移り変わっていくことだろうが。
2025年5月1日記
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