『近代日本一五〇年』山本義隆(その二) ― 2018-04-13
2018-04-13 當山日出夫(とうやまひでお)
続きである。
やまもも書斎記 2018年4月12日
『近代日本一五〇年』山本義隆
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/12/8824057
山本義隆.『近代日本一五〇年-科学技術総力戦体制の破綻-』(岩波新書).岩波書店.2018
https://www.iwanami.co.jp/book/b341727.html
基本的に、この本の歴史観……近代日本の歴史を、帝国主義と軍による悪の歴史とみる……には、あまり賛同できないのであるが、しかし、だからこそ、この本ならではの記述として、なるほどと思わせるところもある。
やや長くなるが引用する。
「すくなくとも理科系の学問では、多くの学者は、おのれ自身の知的関心に突き動かされ、あるいは自身の業績をあげることを目的に、研究している。他方では、国家が科学と技術の研究を支援しているのは、それが、経済の発展、軍事力の強化、そして国際社会における国家のステータスの向上に資するがゆえに、である。そのことが民主主義の発展に結びつくかどうかは、まったく別の問題、つまり政治の問題である。にもかかわらず当時、科学的合理性と非科学的蒙昧との対比が民主制と封建制の対比として語られることによって、科学的は民主的とほとんど等置され、科学的立国は民主化の軸と見なされた。」(pp.211-212)
つまり、「科学的」「合理的」であるということと、「民主的」であるということはイコールではない、という指摘である。この指摘については、私は、首肯するものである。
戦前の軍国主義の時代を批判して、非科学的、非合理的と批判する。科学的な合理的な思考ができたならば、帝国主義的侵略はなかったと考える……そのような考え方に、待ったをかけている。国家がどのようであるかは、「政治」の問題である。
ここでは、「科学」というものが、価値中立的に見られている。あるいは、それ自身の価値の追求のためにあるとでも言った方がいいか。
たぶん、この本の中の眼目としていいのが、上記のような記述であろう。言うまでもなく、著者(山本義隆)は、理科系のひとである。でありながら、全共闘世代を代表する人物でもある。そのような著者にとって、自分の学ぶ学問が、どのように社会的に利用されるかは、きわめて「政治」の問題であったことになる。あるいは、「科学」を「政治」とは、とりあえず切り離すことが可能なものとして、とらえている。
私の読んだところで、この本から読みとるべきことは、「科学」あるいは「科学技術」と「政治」の関係……それが分離不可能なものなのか、切り離して価値中立的に自己目的的に営まれるものなのか……ということについての問いかけであると思うのである。
そして、「科学」が善良なものであるという思い込みをも、著者は否定している。
「政治家は無知で官僚は自己保身的で財界は近視眼的であり、いずれも科学にたいしては理解がなく短見であるという思いあがりと被害者意識のないまざった感情に支えられたその民主主義運動は、その後、一九六〇年代の高度成長に、すなわち官僚と政治家のヘゲモニーによる科学技術立国の奔流に、なすところなく飲み込まれてゆくことになる。」(p.215)
その結果が、福島での事故ということになる。
著者(山本義隆)は、昭和20年(1945)で時代を区切ってはいない。むしろ、戦前と戦後の連続性の方に着目している。敗戦ということをむかえても、社会の基本となる組織、官僚機構、統治機構は残った。そして、「科学技術」と社会、国家との関係も、連続したものとしてとらえている。
ともあれ、「科学」「科学技術」にたずさわる人間が、「政治」に無関心であってはならない、このことだけは、読みとるべきことである。
やまもも書斎記 2018年4月12日
『近代日本一五〇年』山本義隆
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/04/12/8824057
山本義隆.『近代日本一五〇年-科学技術総力戦体制の破綻-』(岩波新書).岩波書店.2018
https://www.iwanami.co.jp/book/b341727.html
基本的に、この本の歴史観……近代日本の歴史を、帝国主義と軍による悪の歴史とみる……には、あまり賛同できないのであるが、しかし、だからこそ、この本ならではの記述として、なるほどと思わせるところもある。
やや長くなるが引用する。
「すくなくとも理科系の学問では、多くの学者は、おのれ自身の知的関心に突き動かされ、あるいは自身の業績をあげることを目的に、研究している。他方では、国家が科学と技術の研究を支援しているのは、それが、経済の発展、軍事力の強化、そして国際社会における国家のステータスの向上に資するがゆえに、である。そのことが民主主義の発展に結びつくかどうかは、まったく別の問題、つまり政治の問題である。にもかかわらず当時、科学的合理性と非科学的蒙昧との対比が民主制と封建制の対比として語られることによって、科学的は民主的とほとんど等置され、科学的立国は民主化の軸と見なされた。」(pp.211-212)
つまり、「科学的」「合理的」であるということと、「民主的」であるということはイコールではない、という指摘である。この指摘については、私は、首肯するものである。
戦前の軍国主義の時代を批判して、非科学的、非合理的と批判する。科学的な合理的な思考ができたならば、帝国主義的侵略はなかったと考える……そのような考え方に、待ったをかけている。国家がどのようであるかは、「政治」の問題である。
ここでは、「科学」というものが、価値中立的に見られている。あるいは、それ自身の価値の追求のためにあるとでも言った方がいいか。
たぶん、この本の中の眼目としていいのが、上記のような記述であろう。言うまでもなく、著者(山本義隆)は、理科系のひとである。でありながら、全共闘世代を代表する人物でもある。そのような著者にとって、自分の学ぶ学問が、どのように社会的に利用されるかは、きわめて「政治」の問題であったことになる。あるいは、「科学」を「政治」とは、とりあえず切り離すことが可能なものとして、とらえている。
私の読んだところで、この本から読みとるべきことは、「科学」あるいは「科学技術」と「政治」の関係……それが分離不可能なものなのか、切り離して価値中立的に自己目的的に営まれるものなのか……ということについての問いかけであると思うのである。
そして、「科学」が善良なものであるという思い込みをも、著者は否定している。
「政治家は無知で官僚は自己保身的で財界は近視眼的であり、いずれも科学にたいしては理解がなく短見であるという思いあがりと被害者意識のないまざった感情に支えられたその民主主義運動は、その後、一九六〇年代の高度成長に、すなわち官僚と政治家のヘゲモニーによる科学技術立国の奔流に、なすところなく飲み込まれてゆくことになる。」(p.215)
その結果が、福島での事故ということになる。
著者(山本義隆)は、昭和20年(1945)で時代を区切ってはいない。むしろ、戦前と戦後の連続性の方に着目している。敗戦ということをむかえても、社会の基本となる組織、官僚機構、統治機構は残った。そして、「科学技術」と社会、国家との関係も、連続したものとしてとらえている。
ともあれ、「科学」「科学技術」にたずさわる人間が、「政治」に無関心であってはならない、このことだけは、読みとるべきことである。
最近のコメント