『本で床は抜けるのか』西牟田靖 ― 2018-04-21
2018-04-21 當山日出夫(とうやまひでお)
西牟田靖.『本で床は抜けるのか』(中公文庫).中央公論新社.2018 (本の雑誌社.2015)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2018/03/206560.html
先に結論を書けば……本で床は抜けるのである。その経験が私にはある。人ごとではないのである。
学生のとき(慶應の文学部)のことである。目黒に下宿していた。四畳半の部屋だった。お医者さんの家の二階であった。そこに、スチールの本棚を、三つか四つぐらい立てていただろうか。その当時の学生としては、本は持っていた方だと思う。
その頃、国文科の学生として、勉強のために、折口信夫全集も、定本柳田国男集も、そろえて持っていた。
ある日、隣の部屋(これも四畳半の部屋)との仕切りの壁のところの床が、ちょっと沈んでいるかなという感じがしたのを覚えている。その後、特にどうということなくすぎていた。引っ越しすることになった。同じ屋根の下で、もうちょっと広い部屋にである。
本棚を片づけてみると……確かに床が沈んでいるようだった。大家さん(病院であるから、お医者さんの一家である)に報告して見てもらった。大工さんに調べてもらったら……床が抜けていた。
といっても、半分は、木材の腐食か虫食いのようなもので、その箇所が弱くなっていたのではあるが、しかし、本棚の重みには耐えられなかったようだ。ちょうど、病院の診察室の真上に位置する。
このときは、大家さんの好意で、特にとがめられることもなく、全額大家さん負担で修理してもらうことになった。(その後、大学院の学生のとき、そのお医者さんが亡くなってから後、建物も取り壊されてしまうことになった。)
このとき、しみじみと感じたものである。本の重みで、家の床を破損することがあるのである、と。
それ以来、引っ越しするときに考えることは、その建物が本の重みに耐えるかどうかであった。その後、とにかく鉄筋の建物に住むことにした。木造の建物では、不安があったからである。
幸い、その後、本で床を抜いたという経験はしていない。
今の住まい……二十年ほど前に建てた木造の建物であるが、これを考えるとき、とにかく床を頑丈にということを考えた。通常の建築よりも、数倍は、床を頑丈に造ったはずである。家の中、どの部屋や廊下に本棚をおいても、大丈夫なようにと思った。少なくとも、一階は、どこにどれだけ本をおいても大丈夫なはずである。
二階もかなり頑丈にしてもらった。これは、本よりもピアノ(アップライトである、これは子どものため)を置くためである。ピアノも重い。二百キロを超えるとのことであった。
今、本は、自分の部屋の他に、外の書庫……という立派なものではない、ただの倉庫、しかし、特徴としては、窓はなくて、ひたすら床を頑丈に造った建物……においてある。自分の部屋からだと、いったん外に出て歩かなければならないので、億劫である。そのためもあって、自分の部屋の机のまわりの床は本だらけである。
これも、数ヶ月に一度は、整理して、まとめて外の倉庫の方に移動させることにしている。そうでないと、身の周り、文字通り足の踏み場もない状態になってしまう。
そして、この本『本で床は抜けるのか』であるが……最初に出た単行本を買って、また、文庫版が出たら買ってしまった。このようなことをしていると、本で床を抜くことになるのであろう。
それにしてもである、『日本国語大辞典』(第二版)は、私の机に座って手のとどくところにならべてある。しかし、今では、これを使うことはめったにない。ほとんど、デジタル版のジャパンナレッジで済ませてしまう。にもかかわらず、紙の本としての辞書は、手元においておきたい。
以前、旧版の『日本国語大辞典』を使っていたころは(これは、手元にはおいていない、外の倉庫の方に移動させた)、鉛筆(青)で、用例に印をつけたりしながら、辞書を「読んで」いたものである。デジタル版になって、辞書を「読む」ということがなくなってしまっている。これも、時代の流れなのかなと思ったりもする。だが、紙の『日本国語大辞典』が手のとどくところにないと不安である。
デジタルの時代になっても、紙の本というものがある限り、床の心配はなくならない。
http://www.chuko.co.jp/bunko/2018/03/206560.html
先に結論を書けば……本で床は抜けるのである。その経験が私にはある。人ごとではないのである。
学生のとき(慶應の文学部)のことである。目黒に下宿していた。四畳半の部屋だった。お医者さんの家の二階であった。そこに、スチールの本棚を、三つか四つぐらい立てていただろうか。その当時の学生としては、本は持っていた方だと思う。
その頃、国文科の学生として、勉強のために、折口信夫全集も、定本柳田国男集も、そろえて持っていた。
ある日、隣の部屋(これも四畳半の部屋)との仕切りの壁のところの床が、ちょっと沈んでいるかなという感じがしたのを覚えている。その後、特にどうということなくすぎていた。引っ越しすることになった。同じ屋根の下で、もうちょっと広い部屋にである。
本棚を片づけてみると……確かに床が沈んでいるようだった。大家さん(病院であるから、お医者さんの一家である)に報告して見てもらった。大工さんに調べてもらったら……床が抜けていた。
といっても、半分は、木材の腐食か虫食いのようなもので、その箇所が弱くなっていたのではあるが、しかし、本棚の重みには耐えられなかったようだ。ちょうど、病院の診察室の真上に位置する。
このときは、大家さんの好意で、特にとがめられることもなく、全額大家さん負担で修理してもらうことになった。(その後、大学院の学生のとき、そのお医者さんが亡くなってから後、建物も取り壊されてしまうことになった。)
このとき、しみじみと感じたものである。本の重みで、家の床を破損することがあるのである、と。
それ以来、引っ越しするときに考えることは、その建物が本の重みに耐えるかどうかであった。その後、とにかく鉄筋の建物に住むことにした。木造の建物では、不安があったからである。
幸い、その後、本で床を抜いたという経験はしていない。
今の住まい……二十年ほど前に建てた木造の建物であるが、これを考えるとき、とにかく床を頑丈にということを考えた。通常の建築よりも、数倍は、床を頑丈に造ったはずである。家の中、どの部屋や廊下に本棚をおいても、大丈夫なようにと思った。少なくとも、一階は、どこにどれだけ本をおいても大丈夫なはずである。
二階もかなり頑丈にしてもらった。これは、本よりもピアノ(アップライトである、これは子どものため)を置くためである。ピアノも重い。二百キロを超えるとのことであった。
今、本は、自分の部屋の他に、外の書庫……という立派なものではない、ただの倉庫、しかし、特徴としては、窓はなくて、ひたすら床を頑丈に造った建物……においてある。自分の部屋からだと、いったん外に出て歩かなければならないので、億劫である。そのためもあって、自分の部屋の机のまわりの床は本だらけである。
これも、数ヶ月に一度は、整理して、まとめて外の倉庫の方に移動させることにしている。そうでないと、身の周り、文字通り足の踏み場もない状態になってしまう。
そして、この本『本で床は抜けるのか』であるが……最初に出た単行本を買って、また、文庫版が出たら買ってしまった。このようなことをしていると、本で床を抜くことになるのであろう。
それにしてもである、『日本国語大辞典』(第二版)は、私の机に座って手のとどくところにならべてある。しかし、今では、これを使うことはめったにない。ほとんど、デジタル版のジャパンナレッジで済ませてしまう。にもかかわらず、紙の本としての辞書は、手元においておきたい。
以前、旧版の『日本国語大辞典』を使っていたころは(これは、手元にはおいていない、外の倉庫の方に移動させた)、鉛筆(青)で、用例に印をつけたりしながら、辞書を「読んで」いたものである。デジタル版になって、辞書を「読む」ということがなくなってしまっている。これも、時代の流れなのかなと思ったりもする。だが、紙の『日本国語大辞典』が手のとどくところにないと不安である。
デジタルの時代になっても、紙の本というものがある限り、床の心配はなくならない。
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