映像の世紀バタフライエフェク「ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い」2022-06-09

2022年6月9日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト ヒトラーVSチャップリン 終わりなき闘い

たぶん「映像の世紀」のシリーズのなかで、最も多くの回数登場している人物といったら、おそらくヒトラーかもしれない。(「映像の世紀」シリーズは、昨年の再放送をすべて見たはずである。)

これまで、歴史的映像として、ヒトラーの演説シーンを何度となく目にしてきているのだが、しかし、何故人びとがあの演説に熱狂していたのか、今一つわからないできたというの実際のところである。今では、あのような絶叫とでもいうべき演説に、人びとのこころが動かされるということはないだろうと思ってしまう。

だが、それも、その当時にあっては、冷徹に計算しつくされた演出であり、発声法、話法であったことが、理解される。説明されると、そんなものだったのかと思うところがある。

チャップリンの映画は、いくつか見ている。映画館で見たものもあるし、テレビで見たものもある。そういえば、私が学生のころ、京橋のフィルムセンターはほとんど人が入らなくて、いつもガラガラだった(そのような時代もあったのである)。何度か足をはこんだ。チャップリンの初期の無声映画の短篇をいくつか見たのを思い出す。

番組で興味深かったのは、チャップリンの映画に対する評価の変遷である。時代を諷するものであったが故に、また、時代の流れに翻弄されるところもあった。しかし、最終的にチャップリンの目指したもの、それは笑いによる批判精神とでも言っていいと思うが、これが今にいたるまで残るものとなった。そして、これは、今まさにこの時代だからこそ必要とされるものでもある。

2022年6月7日記