『白河・会津のみち、赤坂散歩』司馬遼太郎/朝日文庫 ― 2023-07-04
2023年7月4日 當山日出夫
司馬遼太郎.『白河・会津のみち、赤坂散歩』(朝日文庫).朝日新聞出版.2009
https://publications.asahi.com/kaidou/33/index.shtml
もとは、一九八八年から八九年。「週刊朝日」連載。
東北の方にはほとんど行ったことがない。白河と言われても、名前を知っている。あるいは、古典の知識として「白河の関」を知っている程度である。
会津にも行ったことがない。
この本を読むと、古風なひなびた景色が、これが書かれた時代まではまだ残っていたことが知られる。
会津のことは、以前のNHKの大河ドラマの『八重の桜』のイメージが強い。幕末の時代にあって、貧乏くじをひくことになった……と言っていいかどうかは微妙だが……の会津藩の悲哀が、強く印象に残っている。
「赤坂散歩」は、この「街道をゆく」シリーズで、始めて取りあげた東京ということになる。それを赤坂から始めることとしたのは、本所深川のあたりは土俗的にすぎるという理由もあり、また、自分の家、東京での宿から、出発してその地のことを考えるというスタイルにも由来するもののようだ。
司馬遼太郎は、オークラに宿泊すると決めていたらしい。そういえば、たしか以前読んだ高峰秀子のエッセイに、司馬遼太郎とオークラで会うシーンがあったように記憶するのだが、どうだったろうか。
自分の家から出発して考えるというのは、先に読んだ「十津川村」についてもいえる。司馬遼太郎は、十津川村に大阪から入っている。自分の住まいする場所から見ての十津川村を描いている。
赤坂あたりは、昔は閑静な街でもあった。そのころの面影を、司馬遼太郎はたどっている。今の赤坂はどうだろうか。都会のまんなかという印象になってしまった感じがする。もう東京に行っても赤坂あたりを歩くことはないだろうと思う。昔、学生のころは、赤坂見附から国立劇場まで歩いたりしたものであったが。
2023年6月30日記
https://publications.asahi.com/kaidou/33/index.shtml
もとは、一九八八年から八九年。「週刊朝日」連載。
東北の方にはほとんど行ったことがない。白河と言われても、名前を知っている。あるいは、古典の知識として「白河の関」を知っている程度である。
会津にも行ったことがない。
この本を読むと、古風なひなびた景色が、これが書かれた時代まではまだ残っていたことが知られる。
会津のことは、以前のNHKの大河ドラマの『八重の桜』のイメージが強い。幕末の時代にあって、貧乏くじをひくことになった……と言っていいかどうかは微妙だが……の会津藩の悲哀が、強く印象に残っている。
「赤坂散歩」は、この「街道をゆく」シリーズで、始めて取りあげた東京ということになる。それを赤坂から始めることとしたのは、本所深川のあたりは土俗的にすぎるという理由もあり、また、自分の家、東京での宿から、出発してその地のことを考えるというスタイルにも由来するもののようだ。
司馬遼太郎は、オークラに宿泊すると決めていたらしい。そういえば、たしか以前読んだ高峰秀子のエッセイに、司馬遼太郎とオークラで会うシーンがあったように記憶するのだが、どうだったろうか。
自分の家から出発して考えるというのは、先に読んだ「十津川村」についてもいえる。司馬遼太郎は、十津川村に大阪から入っている。自分の住まいする場所から見ての十津川村を描いている。
赤坂あたりは、昔は閑静な街でもあった。そのころの面影を、司馬遼太郎はたどっている。今の赤坂はどうだろうか。都会のまんなかという印象になってしまった感じがする。もう東京に行っても赤坂あたりを歩くことはないだろうと思う。昔、学生のころは、赤坂見附から国立劇場まで歩いたりしたものであったが。
2023年6月30日記
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