『どうする家康』あれこれ「本能寺の変」 ― 2023-07-24
2023年7月24日 當山日出夫
『どうする家康』第28回「本能寺の変」
これまでの大河ドラマをはじめ、その他の映像作品などで、本能寺の変は描かれてきている。いろんな描き方、解釈があると思う。そのなかにあって、今回の『どうする家康』の本能寺の変は、見応えがあったと思う。
信長と家康を中心としていた。本能寺の変を起こして信長を殺したのは明智光秀であった。が、その光秀の登場はあまり多くなかった。
家康も、独自に信長への反乱を画策していたようだが、断念した。このあたり、歴史学の方ではどう考えることになるのだろうかと思う。まあ、最終的に天下を統一することになるのは家康なのであるが。
それにしても、炎のなかで死ぬことになる本能寺の変というイメージは、どのように形成されてきたものなのだろうか。実際にあった本能寺の変がどんなであったかも興味がるが、それが、近現代においてどのようにイメージされるものであったのか、ということにも興味がある。
私の経験の範囲で言えば、昔の大河ドラマの『太閤記』……これは見ていた記憶がある、子供のころのことである……あたりのことを思い浮かべる。
さて、次週は伊賀越えになる。楽しみに見ることにしよう。
2023年7月23日記
『どうする家康』第28回「本能寺の変」
これまでの大河ドラマをはじめ、その他の映像作品などで、本能寺の変は描かれてきている。いろんな描き方、解釈があると思う。そのなかにあって、今回の『どうする家康』の本能寺の変は、見応えがあったと思う。
信長と家康を中心としていた。本能寺の変を起こして信長を殺したのは明智光秀であった。が、その光秀の登場はあまり多くなかった。
家康も、独自に信長への反乱を画策していたようだが、断念した。このあたり、歴史学の方ではどう考えることになるのだろうかと思う。まあ、最終的に天下を統一することになるのは家康なのであるが。
それにしても、炎のなかで死ぬことになる本能寺の変というイメージは、どのように形成されてきたものなのだろうか。実際にあった本能寺の変がどんなであったかも興味がるが、それが、近現代においてどのようにイメージされるものであったのか、ということにも興味がある。
私の経験の範囲で言えば、昔の大河ドラマの『太閤記』……これは見ていた記憶がある、子供のころのことである……あたりのことを思い浮かべる。
さて、次週は伊賀越えになる。楽しみに見ることにしよう。
2023年7月23日記
ブラタモリ「山形」 ― 2023-07-24
2023年7月24日 當山日出夫
ブラタモリ 山形
山形についてはほとんど知識がない。
あつかっていたのは、山寺、サクランボ、最上義光、三島通庸、紅花……このあたり。地学の話題としては、山寺の穴ぼこだらけの断崖がどうしてできたか。
気になったこととしては、(別にこの回だけで特に気になったということではないが)、江戸時代の藩の大きさを示すのに、「石」を使うのは一般的であるとして、はたしてそれが、実質的にどのような藩の規模や経済を反映していたものなのか、このあたりは、問題のあるところだろう。「石」単位の藩の規模は、縮小傾向であったかもしれないが、そのかわりに、紅花で栄えたと言っていいのかもしれない。では、その紅花による収益は、藩の経済規模にどうかかわっていたのか。このあたり気になるところではある。(といって、今から、研究書を読んで勉強してみようというつもりはないのであるが。)
三島通庸は、教科書に出てきたと憶えているのだが、あまりいい印象ではない。が、番組では、明治になってからの山形県の基礎をつくった能吏としての側面に言及していた。これは、これで、一つの見方ではあるだろう。
この回もそうなのだが、江戸時代以前の藩の領域と、明治になってからの県の領域と、どう関係するのか。現在の山形市、あるいは、山形県は、近世以降どうであったのか、このところに触れることはなかった。(これは、調べる気になれば、そう面倒なことはないのであるが。)
さて、これから山形に行くことはあるだろうか。山寺には行ってみたい気がする。
2023年7月23日記
ブラタモリ 山形
山形についてはほとんど知識がない。
あつかっていたのは、山寺、サクランボ、最上義光、三島通庸、紅花……このあたり。地学の話題としては、山寺の穴ぼこだらけの断崖がどうしてできたか。
気になったこととしては、(別にこの回だけで特に気になったということではないが)、江戸時代の藩の大きさを示すのに、「石」を使うのは一般的であるとして、はたしてそれが、実質的にどのような藩の規模や経済を反映していたものなのか、このあたりは、問題のあるところだろう。「石」単位の藩の規模は、縮小傾向であったかもしれないが、そのかわりに、紅花で栄えたと言っていいのかもしれない。では、その紅花による収益は、藩の経済規模にどうかかわっていたのか。このあたり気になるところではある。(といって、今から、研究書を読んで勉強してみようというつもりはないのであるが。)
三島通庸は、教科書に出てきたと憶えているのだが、あまりいい印象ではない。が、番組では、明治になってからの山形県の基礎をつくった能吏としての側面に言及していた。これは、これで、一つの見方ではあるだろう。
この回もそうなのだが、江戸時代以前の藩の領域と、明治になってからの県の領域と、どう関係するのか。現在の山形市、あるいは、山形県は、近世以降どうであったのか、このところに触れることはなかった。(これは、調べる気になれば、そう面倒なことはないのであるが。)
さて、これから山形に行くことはあるだろうか。山寺には行ってみたい気がする。
2023年7月23日記
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