新プロジェクトX「ゴジラ、アカデミー賞を喰う」2025-02-06

2025年2月6日 當山日出夫

新プロジェクトX ゴジラ、アカデミー賞を喰う〜VFXに人生をかけた精鋭たち〜

この映画は、私は見ていない。そもそも、ここしばらくまったく外に出て映画館で映画を見るということがない。

「新プロジェクト」という番組は、どうしても、人間ドラマとして番組を作ってしまうので、技術的なことにはほとんど触れない。しかし、そうはいっても、VFXの制作の現場を、よく取材したものだとは思う。

気になったのは、「VFX」ということばと「CG」ということばが、厳密にはどう違うのか、ということを曖昧にしたままだった。ただ、コンピュータで映像を作るだけのことと、それを実写の映像と合成してリアルに見せることとは、ちょっと違うはずなのだが。

山崎貴の『ALWAYS 三丁目の夕陽』は、テレビの放送を見たのを憶えている。うまいなあと感じたのは、冒頭のシーン。少年が作った飛行機のおもちゃが空に飛んで、その背景に作りかけの東京タワーと町並みが見える(だったと思うが)、こういうのは、やはりVFXならではの映像である。

この映画、ラストのところで、ロクちゃん(堀北真希)が青森に帰る列車ががら空きの状態だったのは、この時代を知っている人間としては、どうにもいただけない。ここをその当時のリアルに作ってはいけない理由も思い当たらない。

VFXが評価されるというのは、ただ本当らしく見えるということだけではだめで、それが映画のなかで効果的に使われているかどうか、だと私は思う。この意味では、まったくのVFXだけで作る、宇宙のシーンなどと、その実際の姿を見る人の多くが体験的に記憶している、昭和三〇年ごろの東京とは、その評価のポイントは違ってくるだろう。

ハリウッドにおいついた、ということもそうだろうと思うが、使っているコンピュータの性能が上がってきた、ということもあるにちがいない。

VFXが価値を持つのは、映画のなかで説得力のある映像となったときであろう。それにいたる、脚本や演出はもちろん、実写部分の俳優の演技などをふくめて、総合的に映画はなりたつ。強いていえば、今回の「新プロジェクトX」の企画で、忘れていたのは、この映画を作る、ということの基本であったように感じる。

また、これからは、(すでにそうかもしれないが)、VFXにAI技術を利用することになるだろう。では、人間の作ることの意味は何であるのか、ここのところも問いかけ蹴るべきだったことかとも思う。

2025年2月4日記

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