英雄たちの選択「シリーズ・リアル忍者 戦国忍者“神君伊賀越え”の選択」 ― 2025-07-23
2025年7月23日 當山日出夫
英雄たちの選択 シリーズ・リアル忍者 戦国忍者“神君伊賀越え”の選択
私の世代だと、忍者といえば、「伊賀の影丸」「サスケ」「ワタリ」「カムイ」「赤影」という忍者漫画が思いうかぶ。以前、小学館が「カムイ伝全集」を刊行したときは、最初から全巻買って読んだ。もう一回読んでみようとは思わないけれど。
歴史として考えることは、戦国時代のインテリジェンス、ということがメインになるかもしれない。現代でもそうだが、こういう部分は、歴史の闇の部分なので、史料が残りにくいということがある。戦国時代といっても、戦国武将たちの派手な合戦シーンばかりで、時代が動いていったということではないだろう。
それから、番組のなかで少し触れていたが、兵站の問題がある。戦国時代の合戦の兵站というのは、どうなっていたのだろうか。こういう部分も、戦国時代をあつかったドラマや小説などでは、あまり描かれることがない。ゲストで出ていた今村翔吾は、(今でいう)工兵のことをあつかった作品を書いているが、こういうのは例外とみていいだろう。
伊賀と甲賀には、忍者屋敷が観光用にあるのだが、これは、両方とも行ったことがある。まだ、子どもが小さかったころのことである。伊賀は、伊賀上野という城下町になった。しかし、甲賀の方は、なんとなく昔の村落の雰囲気の残る地域であった。このような地域で、土着の豪族が、忍者の仕事(?)をしながら、独自に生活をしていたという理解でいいだろうか。
見ていて興味深かったのは、家康の伊賀越えを再現してみせる場面で出てきた、昔の道。幅がかなりあり、整備された状態で残っていた。これは、昔から今にいたるまで、土地の人びとによって維持管理されてきている道、ということになるのだろうか。山の中の道であるから、ほうっておいたら、木が生い茂ってすぐにわけのわからない状態になるはずである。日頃から歩く人がいたり、整備することが続いてきたということになるのだろう。
では、この古くからの道は、中世から近世、そして、近代にいたるまで、どのような道として、使われてきたのだろうか。どのような人が、どこへ行くために、あるいは、何を運ぶために使っていたのだろうか。
信長が伊賀を攻めたのは、何故だろう。戦国大名として、大きな勢力を持っているという地域でもなさそうである。小さな豪族たちのあつまりである。おそらくは、そのもっている技術(インテリジェンスにかんする)が、こわかったから、ということになるのかとも思うが、どうなのだろうか。京の都に近いところに、こういう集団がいては困るということだったと想像してみる。
忍者とは、移動する人びとであった。山岳修験の人びとなども、ふくまれることになる。やとってくれる主人(大名など)がいれば、その技術で、仕事をしていた、という理解でいいだろうか。このような人びとは、日本の各地にいたが、まとまって存在し、土着的な傾向のつよかったのが、伊賀と甲賀ということかとも思って見ていた。
日本の歴史を考えるとき、人間は、土地に定住して生きるということを基本にする考え方と、移動することを基本にする人びとのことを考える考え方がある。実際には、その両方がいたのだろうと思うが、一般的には、百姓=農民=定住、というイメージで語られることが多い。視点を変えれば、武士は、移動する人びとであったことになる。近世になって、大名の改易や領地替えなどがあれば、武士たちはこぞって、新しい土地に移動する。土地を移動する人びととして武士を見ると、また新しい歴史のイメージが描けるかもしれない。
2025年7月18日記
英雄たちの選択 シリーズ・リアル忍者 戦国忍者“神君伊賀越え”の選択
私の世代だと、忍者といえば、「伊賀の影丸」「サスケ」「ワタリ」「カムイ」「赤影」という忍者漫画が思いうかぶ。以前、小学館が「カムイ伝全集」を刊行したときは、最初から全巻買って読んだ。もう一回読んでみようとは思わないけれど。
歴史として考えることは、戦国時代のインテリジェンス、ということがメインになるかもしれない。現代でもそうだが、こういう部分は、歴史の闇の部分なので、史料が残りにくいということがある。戦国時代といっても、戦国武将たちの派手な合戦シーンばかりで、時代が動いていったということではないだろう。
それから、番組のなかで少し触れていたが、兵站の問題がある。戦国時代の合戦の兵站というのは、どうなっていたのだろうか。こういう部分も、戦国時代をあつかったドラマや小説などでは、あまり描かれることがない。ゲストで出ていた今村翔吾は、(今でいう)工兵のことをあつかった作品を書いているが、こういうのは例外とみていいだろう。
伊賀と甲賀には、忍者屋敷が観光用にあるのだが、これは、両方とも行ったことがある。まだ、子どもが小さかったころのことである。伊賀は、伊賀上野という城下町になった。しかし、甲賀の方は、なんとなく昔の村落の雰囲気の残る地域であった。このような地域で、土着の豪族が、忍者の仕事(?)をしながら、独自に生活をしていたという理解でいいだろうか。
見ていて興味深かったのは、家康の伊賀越えを再現してみせる場面で出てきた、昔の道。幅がかなりあり、整備された状態で残っていた。これは、昔から今にいたるまで、土地の人びとによって維持管理されてきている道、ということになるのだろうか。山の中の道であるから、ほうっておいたら、木が生い茂ってすぐにわけのわからない状態になるはずである。日頃から歩く人がいたり、整備することが続いてきたということになるのだろう。
では、この古くからの道は、中世から近世、そして、近代にいたるまで、どのような道として、使われてきたのだろうか。どのような人が、どこへ行くために、あるいは、何を運ぶために使っていたのだろうか。
信長が伊賀を攻めたのは、何故だろう。戦国大名として、大きな勢力を持っているという地域でもなさそうである。小さな豪族たちのあつまりである。おそらくは、そのもっている技術(インテリジェンスにかんする)が、こわかったから、ということになるのかとも思うが、どうなのだろうか。京の都に近いところに、こういう集団がいては困るということだったと想像してみる。
忍者とは、移動する人びとであった。山岳修験の人びとなども、ふくまれることになる。やとってくれる主人(大名など)がいれば、その技術で、仕事をしていた、という理解でいいだろうか。このような人びとは、日本の各地にいたが、まとまって存在し、土着的な傾向のつよかったのが、伊賀と甲賀ということかとも思って見ていた。
日本の歴史を考えるとき、人間は、土地に定住して生きるということを基本にする考え方と、移動することを基本にする人びとのことを考える考え方がある。実際には、その両方がいたのだろうと思うが、一般的には、百姓=農民=定住、というイメージで語られることが多い。視点を変えれば、武士は、移動する人びとであったことになる。近世になって、大名の改易や領地替えなどがあれば、武士たちはこぞって、新しい土地に移動する。土地を移動する人びととして武士を見ると、また新しい歴史のイメージが描けるかもしれない。
2025年7月18日記
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