『ともしび・谷間』チェーホフ(その三)2017-10-28

2017-10-28 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2017年10月27日
『ともしび・谷間』チェーホフ(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/10/27/8714181

チェーホフ.松下裕(訳).『ともしび・谷間』(岩波文庫).岩波書店.2009
https://www.iwanami.co.jp/book/b248266.html

さらに、付箋をつけた箇所を引用してみる。「いいなずけ」からである。

「わたしだって生きたいのよ! 生きたいのよ!」
「いいなずけ」 p.366

「何より大切なのは、人生全体をプリズムを通すようにして見ることだ、という気がするのよ」
「いいなずけ」 p.377

「ああ、いっときも早くそういう新しい、明るい生活が来てくれたら! 自分の運命をまっすぐに、大胆に見つめて、自分が正しいという自覚を持ち、朗らかで自由になることのできるようなその時が。そしてそういう生活が遅かれ早かれきっとやって来る!」
「いいなずけ」 p.379

私の若い頃、学生の頃、チェーホフの短篇のいくつかを読んだとは憶えているのだが、どうもはっきりとした印象が残っていない。若い時には、むしろ、ドストエフスキーの小説にひかれていた。ドストエフスキーの小説が、世紀末の小説であるとするならば、ここに引用したようなチェーホフの短篇は、新世紀……20世紀……の小説であると感じさせる。

そして、若い時には、この小説の新しい側面というものに、今ひとつ感じるところがなかった。だが、この年になって、また、21世紀になって読み直してみると、新しい人生への希望を大胆に表明した、上記の引用の箇所にこころひかれるところがある。

チェーホフの作品が、21世紀になっても古びていないということ、あるいは、新しい世紀になって、まだ、未来に希望を語るとすると、チェーホフのように語ることになるのかもしれない。

このような引用の箇所、今の若い人たちは、どのように思って読むだろうか。私はもう若いとはいえなくなってしまったからこそ、このような未来への希望を大胆に語ったところに、ふと気持ちがひかれるということがあるのかもしれないとも思ったりする。これもまた文学の読み方である。

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