『送り火』高橋弘希2018-09-08

2018-09-08 當山日出夫(とうやまひでお)

送り火

高橋弘希.『送り火』.文藝春秋.2018
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163908731

第159回の芥川賞の作品である。

芥川賞だからといって本を買って読むことは、これまであまりしてこなかった。「文壇」とはあまり関係のない生活であった。が、ここにきて、芥川賞は買って読んでみようかという気になってきている。

それは、今、文学の世界で……それは「文壇」という狭い世界をふくんで、さらにその外側にひろがる領域をも考えてのことだが……何が、今、文学として読まれることになっているのか、その一端なりとも把握しておきたいと感じるようになったからである。何を文学として読むか、これは、今、自分がどのような時代に生きているかの確認につながることである、そう思うわけである。

『送り火』であるが……このような作品が、芥川賞を取る時代に今のわれわれはいるのか、というのが、読後の率直に感じたことである。そして、強いていうならば、私は、この作品は、評価しない。

何よりも文章が硬い、読んでいってすぐに情景や感情の流れが頭にはいってこない。まあ、「純文学」の文体とはこんなものだといわれればそれまでであるのだろうが。

思ったことなど書けば次の二点になるだろうか。

第一には、中学生の感情が十分に描ききれているとはいいがたいと感じる。親の転勤で、地方……東北……の中学に転校してきた主人公の気持ちに、どうも共感するところがない。描き方が、今ひとつ、説得力が無いという印象である。

都会育ちの転勤の子ども(中学生)と、地元の中学生の、感情の行き違い、また、交流といったものが、もっと心情深く描くことはできなかったのだろうか。描写が表面的にすぎるという印象である。

第二には、最後のクライマックスになる、暴力のシーンが、今一つ、何がどうなっているのかわからない。人物関係と感情の行き違いが、よく理解できないのである。暴力とは何時であっても理不尽なものであると思うのだが、その理不尽さが、よく伝わってこなかった。理不尽を描くためには、その対極に、その理不尽を見つめる冷静な視点があってよいように思うのだが、それが見えなかった。

以上の二点になるだろうか。この作品、世評は高いようなのだが、私は、共感するところがあまりない。

それから、付け加えて言うならば、「方言小説」……舞台は東北……としての魅力に欠ける。都市ではない地方ということで、どうして、東北になるのだろうか。そのあたりの事情が、説得力をもって描けていないと感じる。ただ、地方の代表として、ただ東北が選ばれたというだけのことのようにしか書かれていない。その地方を舞台に選んだ、その確固たる理由のようなものが見えてこなかった。