『西郷どん』あれこれ「波乱の新政府」2018-10-30

2018-10-30 當山日出夫(とうやまひでお)

『西郷どん』2018年10月28日、第40回「波乱の新政府」
https://www.nhk.or.jp/segodon/story/40/

前回は、
やまもも書斎記 2018年10月24日
『西郷どん』あれこれ「父、西郷隆盛」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/10/24/8980911

前回の明治編になってから、このドラマはリセットして、新しく始まった、そう思って見た方がいいだろう。そう思って見るならば、それはそれなりに成功していると思う。

いかにもステレオタイプの「西郷」であり「大久保」である。

明治の新国家建設に怜悧な判断でのぞむ「大久保」。それに対して、民のことを考える「西郷」。この二人が、今のところは、手をたずさえて新国家の建設にむけて努力している。その生活……服装、食べ物、住まい……どれをとっても対極的な二人である。だが、それが、いかにもさもありなんという形で、「西郷」「大久保」を演出している。

ここは、あえて歴史の新解釈を持ち込むというよりも、一般にイメージされる「西郷」「大久保」で、これからの明治という時代を描くことになるのだろう。これはこれで一つの方針だと思う。

ただ、この中で、ミスといえるのが、岩倉具視。京都の貧乏公家から、東京の政界で活躍するまでの、歴史のなかでの「すごみ」とでもいうべきものが、まったく表現されていない。キャストはミスであったと考えるべきだろう。

ともあれ、廃藩置県ということで、新しい明治国家がスタートした。ここで、西郷の存在感があってのことというのは、一般的な歴史的な知識と言っていいだろう。

また、ドラマで出てこないことで気になるのが、条約改正の問題。幕末に結んだ不平等条約をどう改正していくか、これは、明治政府にとって最大の課題の一つであったはず。岩倉使節団の意図も、一つには、条約改正を視野に入れてのことであった。

廃藩置県を断行して「近代」を推し進めることになった「西郷」。だが、「西郷」ほどアンビバレントな人物も、日本の歴史のなかでいないかもしれない。この「西郷」という人格を、これから、西南戦争に向けてどう描いていくことになるのか、見ていくことにしよう。

追記 2018-11-06
この続きは、
やまもも書斎記 2018年11月6日
『西郷どん』あれこれ「新しき国へ」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/11/06/8992129

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