2018年に読んだ本のことなど ― 2018-12-31
2018-12-31 當山日出夫(とうやまひでお)
今年(2018)に読んだ本のことを振り返っておきたい。
正月には、こんなことを書いていた。
やまもも書斎記 2018年1月1日
これから読みたい本のことなど
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/01/8759497
読みたいと思って読めたものもあるが、読めなかったものもある。ともあれ、明治150年ということで、近代日本についていくつか読んでみようと思っていた。
そこで、読んでみたのが『夜明け前』(島崎藤村、新潮文庫版)である。幕末から明治にかけての時代、今から数十年前にはどのようなものとして描かれていたのか、読んで確認しておきたかった。この作品中、平田篤胤が登場する。江戸時代の国学が、近代の萌芽としてあったことになる。
そのこともあって、本居宣長関係の本を読んでみたいと思った。たとえば、『やちまた』(足立巻一、中公文庫版)。これからはじめて、現在、刊行されている「本居宣長」というタイトルの本をいくつか読んでみた。小林秀雄『本居宣長』からはじまって、最近のものとして熊野純彦『本居宣長』まで、読んでみた。
宣長の全集(筑摩版)も持ってはいるのだが、まだ、これには手をつけていない。
それから、読んで印象に残っているのは、なんといっても、『失われた時を求めて』である。岩波文庫版で12巻まで、残りを集英社文庫版で2巻、全14巻を読んだ。20世紀最高の文学と名高い作品である。
これは、集英社文庫版で13巻がある。また、岩波文庫版では、現在では13巻まで出ている(全14巻になる予定)。さらに、光文社古典新訳文庫版もある(これは、途中まで)。
この作品、世界文学の名作として名前は知っていたが、なかなか手を出せずにいた。ふとおもいたって、読んでみることにした。ほぼ11月いっぱいかかっただろうか。大学で教える時間以外の時間、本を読める時間のほとんどをついやして、これを読んだ。
読んでみて感じることは、この作品を自分の目で読み切ったということで、「文学」というものに対する、自分なりの新たな視点、視野がひらけてきたような気がする。
その後、プルーストからさかのぼって、ドストエフスキーを読んでいる。年内に読めたのが、『白痴』『罪と罰』。『カラマーゾフの兄弟』の途中まで。『悪霊』は年を越してからになりそうである。
ドストエフスキーを読もうと思ったのは、『白痴』の亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫版)が、今年になってようやく4巻、完結になったこともある。また、ドストエフスキーは、若い時から、これまで、折りにふれて読んできた作家である。その長編作品を、まとめて、再読しておきたくなった。
年末になってから読んだ本であるが、『最後の読書』(津野海太郎、新潮社)は面白かった。そして、老年になってからの読書ということで、いろいろ考えるところがあった。まだ、私は、蔵書を処分しようという気にはならないのであるが、しかし、読む本はいったい何を選ぶか、老年なりに考えるところが、少なからずある。
これまでに読めなかった本……広義の「文学」……歴史や哲学などをふくんで……について、古典、名著、名作を読んでおきたい。また、再読してみたい。
来年、どれだけの本が読めるかわからないが、本を読む生活をおくりたいと思う。
今年(2018)に読んだ本のことを振り返っておきたい。
正月には、こんなことを書いていた。
やまもも書斎記 2018年1月1日
これから読みたい本のことなど
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/01/01/8759497
読みたいと思って読めたものもあるが、読めなかったものもある。ともあれ、明治150年ということで、近代日本についていくつか読んでみようと思っていた。
そこで、読んでみたのが『夜明け前』(島崎藤村、新潮文庫版)である。幕末から明治にかけての時代、今から数十年前にはどのようなものとして描かれていたのか、読んで確認しておきたかった。この作品中、平田篤胤が登場する。江戸時代の国学が、近代の萌芽としてあったことになる。
そのこともあって、本居宣長関係の本を読んでみたいと思った。たとえば、『やちまた』(足立巻一、中公文庫版)。これからはじめて、現在、刊行されている「本居宣長」というタイトルの本をいくつか読んでみた。小林秀雄『本居宣長』からはじまって、最近のものとして熊野純彦『本居宣長』まで、読んでみた。
宣長の全集(筑摩版)も持ってはいるのだが、まだ、これには手をつけていない。
それから、読んで印象に残っているのは、なんといっても、『失われた時を求めて』である。岩波文庫版で12巻まで、残りを集英社文庫版で2巻、全14巻を読んだ。20世紀最高の文学と名高い作品である。
これは、集英社文庫版で13巻がある。また、岩波文庫版では、現在では13巻まで出ている(全14巻になる予定)。さらに、光文社古典新訳文庫版もある(これは、途中まで)。
この作品、世界文学の名作として名前は知っていたが、なかなか手を出せずにいた。ふとおもいたって、読んでみることにした。ほぼ11月いっぱいかかっただろうか。大学で教える時間以外の時間、本を読める時間のほとんどをついやして、これを読んだ。
読んでみて感じることは、この作品を自分の目で読み切ったということで、「文学」というものに対する、自分なりの新たな視点、視野がひらけてきたような気がする。
その後、プルーストからさかのぼって、ドストエフスキーを読んでいる。年内に読めたのが、『白痴』『罪と罰』。『カラマーゾフの兄弟』の途中まで。『悪霊』は年を越してからになりそうである。
ドストエフスキーを読もうと思ったのは、『白痴』の亀山郁夫訳(光文社古典新訳文庫版)が、今年になってようやく4巻、完結になったこともある。また、ドストエフスキーは、若い時から、これまで、折りにふれて読んできた作家である。その長編作品を、まとめて、再読しておきたくなった。
年末になってから読んだ本であるが、『最後の読書』(津野海太郎、新潮社)は面白かった。そして、老年になってからの読書ということで、いろいろ考えるところがあった。まだ、私は、蔵書を処分しようという気にはならないのであるが、しかし、読む本はいったい何を選ぶか、老年なりに考えるところが、少なからずある。
これまでに読めなかった本……広義の「文学」……歴史や哲学などをふくんで……について、古典、名著、名作を読んでおきたい。また、再読してみたい。
来年、どれだけの本が読めるかわからないが、本を読む生活をおくりたいと思う。
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