『山椒大夫・高瀬舟』森鷗外/新潮文庫2020-04-17

2020-04-17 當山日出夫(とうやまひでお)

山椒大夫・高瀬舟

森鷗外.『山椒大夫・高瀬舟』(新潮文庫).新潮社.1968(2006.改版)
https://www.shinchosha.co.jp/book/102005/

芥川龍之介の作品を新潮文庫版でまとめて読みかえして、次に手にしたの森鷗外の作品である。森鷗外については、その「全集」(岩波版)は持っている。だが、それを取り出してきて、最初からひもといてみようという気力がもうない。新潮文庫で現在読める作品を読んでおきたいと思う。

最初は、『山椒大夫・高瀬舟』である。次の作品が収録されている。


普請中
カズイスチカ
妄想
百物語
興津弥五右衛門の遺書
護持院原の敵討
山椒大夫
二人の友
最後の一句
高瀬舟

これらの作品、最初に読んだのは、中学か高校のころだったかと思う。その後、岩波で出た「全集」は買った。今でも持っている。

このうち「高瀬舟」「最後の一句」については、最近読んでいる。

やまもも書斎記 2020年3月13日
『教科書名短篇-人間の情景-』中公文庫
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/13/9223694

ここに収められた作品を読んで印象に残るのは、やはり「高瀬舟」だろうか。静かな語り口でありながら、その問いかけるところは、奥が深い。この作品が、今にいたるまで、学校教育において教科書に採用されているのは、うなずけるところがある。(が、これも、今般の国語教育改革でどうなるかわからないところもあるが。)

私の思いを記すならば、「高瀬舟」はこれからも読まれ続けていってほしい。これからの時代、人びとの多様性の尊重ということが重要になる。そのとき、自分の価値観のよってきたるところが何であるか、また、自分とは違う価値観の人に接したときどうであるべきか……これは、そう簡単に答えの出せる問題ではない。だが、文学作品というなかにおいては、そのような体験をこころみることができる。文学的想像力といってもいいだろう。この文学的想像力の無いところに、文化や社会の多様性の尊重ということは、育たないだろう。

森鷗外の作品をまとめて読みなおすのは、何十年ぶりかなる。読んで感じるところとしては、森鷗外は、孤高の作家であるという印象である。よく、鷗外は漱石と比較される。漱石は、職業的な小説家になり、その晩年は多くの知人や門下生にかこまれていた。これに対して、たしかに、鷗外は、常に孤独であったような気がする。特に晩年の史伝などになると、いったいどれほどの読者が共感して読んでくれただろうかという気にもなる。(そのなかで、『渋江抽斎』などは、面白いと思うのではあるが。)

夏目漱石も、また、芥川龍之介も「孤独」であったと思う。その作品の多くは、「孤独」な近代人の内面を描いている。そして、森鷗外もまた、「孤独」な作家であったと強く感じる。

続けて、文庫本で森鷗外を読んでいきたいと思う。

2020年4月14日記

追記 2020-05-01
この続きは、
やまもも書斎記 2020年5月1日
『阿部一族・舞姫』森鷗外
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/05/01/9241393