神田伯山のこれがわが社の黒歴史「(9)オムロン ヘルスケア 苦闘!指式血圧計」 ― 2023-09-01
2023年9月1日 當山日出夫
神田伯山のこれがわが社の黒歴史 (9)オムロン ヘルスケア 苦闘!指式血圧計
血圧は毎日はかっている。朝起きて一番にはかるのが日課である。(我が家で自分ではかると、だいたい正常値なのだが、病院に行ってはかると高めになる。これは、普通のことかなと思っているが。)
メーカーはオムロンである。特に選んで買ったということではないが、ずっと使っている。腕ではかるタイプのものをつかっている。
番組であるが、これは面白かった。ユーザはマニュアルを読まない、これは確かにそうかもしれない。このように使ってほしいとメーカーが思っていても、ユーザーがその通りに使ってくれるとは限らない。このあたりのことは、メーカーとユーザーの間にある、難しい問題である。
考え方としては、マニュアルを読まなくても使えるのがよい商品である、ということもある。一方で、きちんとマニュアルを読んでうえで使うというのも、ユーザーに求められるところでもある。
最近、パソコンを新しくした。以前から使っていたレッツノート(Windows10)が具合が悪くなったので、買い換えることにした。キーボードで反応しないキーがある。買ったのは、新しいWindows11である。買って箱を開けてみても、昔のように分厚いマニュアルは入っていない。今の時代、Windows11のマニュアルなど特に用意しなくてもいいようなものかもしれない。たぶん、分かっていない新機能がたくさんあることだろうと思うのだが、とりあえずエディタで文章が書けるようにしたので、当面の間はこれでいくつもりである。
2023年8月31日記
神田伯山のこれがわが社の黒歴史 (9)オムロン ヘルスケア 苦闘!指式血圧計
血圧は毎日はかっている。朝起きて一番にはかるのが日課である。(我が家で自分ではかると、だいたい正常値なのだが、病院に行ってはかると高めになる。これは、普通のことかなと思っているが。)
メーカーはオムロンである。特に選んで買ったということではないが、ずっと使っている。腕ではかるタイプのものをつかっている。
番組であるが、これは面白かった。ユーザはマニュアルを読まない、これは確かにそうかもしれない。このように使ってほしいとメーカーが思っていても、ユーザーがその通りに使ってくれるとは限らない。このあたりのことは、メーカーとユーザーの間にある、難しい問題である。
考え方としては、マニュアルを読まなくても使えるのがよい商品である、ということもある。一方で、きちんとマニュアルを読んでうえで使うというのも、ユーザーに求められるところでもある。
最近、パソコンを新しくした。以前から使っていたレッツノート(Windows10)が具合が悪くなったので、買い換えることにした。キーボードで反応しないキーがある。買ったのは、新しいWindows11である。買って箱を開けてみても、昔のように分厚いマニュアルは入っていない。今の時代、Windows11のマニュアルなど特に用意しなくてもいいようなものかもしれない。たぶん、分かっていない新機能がたくさんあることだろうと思うのだが、とりあえずエディタで文章が書けるようにしたので、当面の間はこれでいくつもりである。
2023年8月31日記
英雄たちの選択「どうした?石川数正 〜なぜ家康の忠臣は出奔したのか〜」 ― 2023-09-02
2023年9月2日 當山日出夫
英雄たちの選択 どうした?石川数正 〜なぜ家康の忠臣は出奔したのか〜
ちょうど『どうする家康』で石川数正の出奔の件が出てきたばかりである。それに合わせての企画、放送ということになる。
『どうする家康』では、石川数正がなぜ秀吉のもとに走ったのか、その理由は明確に示されないことになっていた。徳川への忠誠心があると同時に、秀吉という人物を直に知ることで感じとっている世の中の趨勢のとの間のジレンマ、という感じであった。まあ、結果的には、石川数正が、秀吉のもとに行ったことによって、家康と秀吉の全面的な対決は回避できたということにはなるのだろうが。
この番組の結論としては、石川数正は徳川を見限ったのではなく、徳川のために秀吉のもとにはしったということになっていた。
番組を見ていて思ったこととしては、まず松本城がある。松本城には、学生のとき、若いころに何度か行ったことがある。松本で学会があったときにも、行ったと憶えている。天守閣にものぼった。ただ、この城が、石川数正の作ったものであるという認識は持っていなかった。これは、見ていて勉強になった。
それから、交渉ということがある。えてして戦国時代ドラマでは、派手な合戦の場面を描くことになる。これはテレビドラマの作り方としては、そうなるのだろうが、それと同時に重要なことは、戦国大名や武将たちの駆け引きであり、今で言えば外交の重要性である。どんなに対立しているとしても、水面下では交渉のチャンネルを確保しておくべきだという指摘は重要である。
この交渉、外交の重要性は、今日において、歴史から学ぶべき重要なことの一つであると思った次第である。
2023年9月1日
英雄たちの選択 どうした?石川数正 〜なぜ家康の忠臣は出奔したのか〜
ちょうど『どうする家康』で石川数正の出奔の件が出てきたばかりである。それに合わせての企画、放送ということになる。
『どうする家康』では、石川数正がなぜ秀吉のもとに走ったのか、その理由は明確に示されないことになっていた。徳川への忠誠心があると同時に、秀吉という人物を直に知ることで感じとっている世の中の趨勢のとの間のジレンマ、という感じであった。まあ、結果的には、石川数正が、秀吉のもとに行ったことによって、家康と秀吉の全面的な対決は回避できたということにはなるのだろうが。
この番組の結論としては、石川数正は徳川を見限ったのではなく、徳川のために秀吉のもとにはしったということになっていた。
番組を見ていて思ったこととしては、まず松本城がある。松本城には、学生のとき、若いころに何度か行ったことがある。松本で学会があったときにも、行ったと憶えている。天守閣にものぼった。ただ、この城が、石川数正の作ったものであるという認識は持っていなかった。これは、見ていて勉強になった。
それから、交渉ということがある。えてして戦国時代ドラマでは、派手な合戦の場面を描くことになる。これはテレビドラマの作り方としては、そうなるのだろうが、それと同時に重要なことは、戦国大名や武将たちの駆け引きであり、今で言えば外交の重要性である。どんなに対立しているとしても、水面下では交渉のチャンネルを確保しておくべきだという指摘は重要である。
この交渉、外交の重要性は、今日において、歴史から学ぶべき重要なことの一つであると思った次第である。
2023年9月1日
『らんまん』あれこれ「オーギョーチ」 ― 2023-09-03
2023年9月3日 當山日出夫
『らんまん』第22週「オーギョーチ」
この週で描いていたことについて考えることは、いろいろと難しい。
一つには、学問とナショナリズムということがある。私は、ナショナリズムを一概に否定することはしない。ただ、そのあり方について常に自覚的であるべきだとは思っている。
帝国大学の学問は、国家の威信をかけておこなわれており、国益に資するものでなければならない。これを今の価値観から批判的に見ることは簡単かもしれない。だが、実際にはかなり難しいところがある。
少なくとも、近代国家として体裁を整えつつある段階にあった日本において、このような発想を全面的に批判することは、やはり正しくないだろう。その時の国のあり方、社会のあり方、国際関係のなかでの日本の立場、いろいろなものが総合したところに、学問の営みもなりたつ。
このような側面があることは確かだが、その一方で、純粋に知的営為としての学問ということもあり得る。
この両者のバランスは、その時代や国際情勢によって変わりうるものである、というのが私の認識である。
第二に日本語ということ。現代の日本語学研究の立場からすると、近代になって日本語を国語として確立していった過程については、批判的に考えるむきが強い。日本国内においては、方言の否定ということであり、また、外地においては日本語の強制ということがあったことになる。
とはいえ、そのような歴史があるとしても、その結果として、今日の一般的な日本語の書き言葉、話し言葉が成立していることも確かなことである。このことの成果についても、考慮すべきだと私は思う。
ただ、日本国内においても、いくつかの方言は絶滅危惧の状態にあることも事実である。はたして国家と言語とのかかわりはいかにあるべきか、まだ問題の渦中にあると言っていいだろう。
とりあえずは、以上の二つのことを思ってみる。
ドラマの作り方としては、明治という時代における学問のあり方を考えることにつながっていると考える。こういうテーマは、あまりドラマで扱われることのないものだと思うので、これは貴重な作品と言っていいだろう。
また、台湾語が出てきたのは珍しい。一般には、台湾は中国語の国と思われているかと思うが、言語研究の立場からみれば、台湾は多言語国家である。少なくとも、日清戦争の後、日本が支配するようになったころの台湾は、多くの先住民がおり、多様な言語がつかわれ、そのなかに台湾語もあった。おおむね私はこのように理解している。(きちんと調べたということではないのであるが。)
次週以降、綾と竹雄も出てくるようだ。寿恵子も商売を始めるらしい。植物学者としての万太郎がこれからどうなるか、楽しみに見ることにしよう。
2023年9月2日記
『らんまん』第22週「オーギョーチ」
この週で描いていたことについて考えることは、いろいろと難しい。
一つには、学問とナショナリズムということがある。私は、ナショナリズムを一概に否定することはしない。ただ、そのあり方について常に自覚的であるべきだとは思っている。
帝国大学の学問は、国家の威信をかけておこなわれており、国益に資するものでなければならない。これを今の価値観から批判的に見ることは簡単かもしれない。だが、実際にはかなり難しいところがある。
少なくとも、近代国家として体裁を整えつつある段階にあった日本において、このような発想を全面的に批判することは、やはり正しくないだろう。その時の国のあり方、社会のあり方、国際関係のなかでの日本の立場、いろいろなものが総合したところに、学問の営みもなりたつ。
このような側面があることは確かだが、その一方で、純粋に知的営為としての学問ということもあり得る。
この両者のバランスは、その時代や国際情勢によって変わりうるものである、というのが私の認識である。
第二に日本語ということ。現代の日本語学研究の立場からすると、近代になって日本語を国語として確立していった過程については、批判的に考えるむきが強い。日本国内においては、方言の否定ということであり、また、外地においては日本語の強制ということがあったことになる。
とはいえ、そのような歴史があるとしても、その結果として、今日の一般的な日本語の書き言葉、話し言葉が成立していることも確かなことである。このことの成果についても、考慮すべきだと私は思う。
ただ、日本国内においても、いくつかの方言は絶滅危惧の状態にあることも事実である。はたして国家と言語とのかかわりはいかにあるべきか、まだ問題の渦中にあると言っていいだろう。
とりあえずは、以上の二つのことを思ってみる。
ドラマの作り方としては、明治という時代における学問のあり方を考えることにつながっていると考える。こういうテーマは、あまりドラマで扱われることのないものだと思うので、これは貴重な作品と言っていいだろう。
また、台湾語が出てきたのは珍しい。一般には、台湾は中国語の国と思われているかと思うが、言語研究の立場からみれば、台湾は多言語国家である。少なくとも、日清戦争の後、日本が支配するようになったころの台湾は、多くの先住民がおり、多様な言語がつかわれ、そのなかに台湾語もあった。おおむね私はこのように理解している。(きちんと調べたということではないのであるが。)
次週以降、綾と竹雄も出てくるようだ。寿恵子も商売を始めるらしい。植物学者としての万太郎がこれからどうなるか、楽しみに見ることにしよう。
2023年9月2日記
『どうする家康』あれこれ「豊臣の花嫁」 ― 2023-09-04
2023年9月4日 當山日出夫
『どうする家康』第34回「豊臣の花嫁」
地震から、家康の上洛の決心までが描かれていた。
歴史ドラマとしての見どころは、やはり石川数正の存在である。単なる裏切り者ではなく、徳川のことを思って、あえて秀吉のもとに行き、その結果として秀吉と家康との間の戦を回避することになった。ある意味では、徳川の忠臣である。このような設定になっていた。
現在の歴史学でどのように石川数正が評価されているのかは不案内なのであるが、ドラマとしては、このような作りの方が、作品に奥行きが生まれて面白いものになる。
それから、秀吉の妹の旭。これまで、戦国時代ドラマでは、あまり登場してきていなかったように憶えているが、はたしてどうだったか。
地震、石川数正の出奔、旭……これらの結果として、家康は、上洛することになった。このあたり、家康はあくまでも戦の無い平和な世の中を目指しているので、秀吉のもとに行くのは、そのための手段であると、最終的には決意したことになる。
ただ、最終的な歴史の結果としては、秀吉は亡くなり、豊臣の天下は長くは続かなかった。最終的に天下を治めたの家康である。これからのこの流れを、このドラマではどう描くことになるのだろうか。
次週は、お休み。その次の週になる。石田三成も登場してくるようだ。楽しみに見ることにしよう。
2023年9月3日記
『どうする家康』第34回「豊臣の花嫁」
地震から、家康の上洛の決心までが描かれていた。
歴史ドラマとしての見どころは、やはり石川数正の存在である。単なる裏切り者ではなく、徳川のことを思って、あえて秀吉のもとに行き、その結果として秀吉と家康との間の戦を回避することになった。ある意味では、徳川の忠臣である。このような設定になっていた。
現在の歴史学でどのように石川数正が評価されているのかは不案内なのであるが、ドラマとしては、このような作りの方が、作品に奥行きが生まれて面白いものになる。
それから、秀吉の妹の旭。これまで、戦国時代ドラマでは、あまり登場してきていなかったように憶えているが、はたしてどうだったか。
地震、石川数正の出奔、旭……これらの結果として、家康は、上洛することになった。このあたり、家康はあくまでも戦の無い平和な世の中を目指しているので、秀吉のもとに行くのは、そのための手段であると、最終的には決意したことになる。
ただ、最終的な歴史の結果としては、秀吉は亡くなり、豊臣の天下は長くは続かなかった。最終的に天下を治めたの家康である。これからのこの流れを、このドラマではどう描くことになるのだろうか。
次週は、お休み。その次の週になる。石田三成も登場してくるようだ。楽しみに見ることにしよう。
2023年9月3日記
ドキュメント72時間「真夏の昆虫専門店で」 ― 2023-09-05
2023年9月5日 當山日出夫
ドキュメント72時間 真夏の昆虫専門店で
私は昆虫採集とか飼育とかにはまったく関心がない。いや、今では虫の類は苦手と言っていいだろう。だが、世の中には、いろんな趣味の人がいるもので、昆虫にこころひかれる人びとがいることは、それなりに理解できるつもりでいる。
子供のころ、子供向けの抄訳本だったと思うが、「ファーブル昆虫記」など読んだ記憶はある。しかし、昆虫に興味を持つということがなく過ぎてしまっている。
興味深いのは、親子、特に父親と息子で一緒に店にきていることかと感じた。家族のなかで、親子で同じ趣味を共有するというのが難しい時代かとも思う。カブトムシなどの共通の話題が、父親と子供の間にあるというのは、これはいいことだろう。
番組で登場していたのは、生きたカブトムシやクワガタが主であった。だが、この店では、昆虫採集の道具や標本などもあつかっているらしい。昆虫を趣味にするひとたちにとって、きっと重要な店になっているのだろう。
月に一回、チョウの標本を買うという女性が印象に残った。
それにしても、カブトムシも、あるいは、標本もかなりの価格である。都会に住んでいて、昆虫の飼育や標本の収集を趣味にするというのは、とても贅沢なことになっていると感じた。
2023年9月2日記
ドキュメント72時間 真夏の昆虫専門店で
私は昆虫採集とか飼育とかにはまったく関心がない。いや、今では虫の類は苦手と言っていいだろう。だが、世の中には、いろんな趣味の人がいるもので、昆虫にこころひかれる人びとがいることは、それなりに理解できるつもりでいる。
子供のころ、子供向けの抄訳本だったと思うが、「ファーブル昆虫記」など読んだ記憶はある。しかし、昆虫に興味を持つということがなく過ぎてしまっている。
興味深いのは、親子、特に父親と息子で一緒に店にきていることかと感じた。家族のなかで、親子で同じ趣味を共有するというのが難しい時代かとも思う。カブトムシなどの共通の話題が、父親と子供の間にあるというのは、これはいいことだろう。
番組で登場していたのは、生きたカブトムシやクワガタが主であった。だが、この店では、昆虫採集の道具や標本などもあつかっているらしい。昆虫を趣味にするひとたちにとって、きっと重要な店になっているのだろう。
月に一回、チョウの標本を買うという女性が印象に残った。
それにしても、カブトムシも、あるいは、標本もかなりの価格である。都会に住んでいて、昆虫の飼育や標本の収集を趣味にするというのは、とても贅沢なことになっていると感じた。
2023年9月2日記
ブラタモリ「長岡」 ― 2023-09-06
2023年9月6日 當山日出夫
ブラタモリ 長岡
長岡には行ったことがない。長岡といって思い浮かべるのは、まず花火。それから、人物では、山本五十六、半藤一利、といったところである。
戊辰戦争のときに幕府側についたこと、それから、太平洋戦争のときの空襲、これらはたしか半藤一利の著作を読んで憶えたことだと思う。
江戸時代から舟運の要所として経済的に栄えたこと。また、石油の発掘。新潟で石油が取れることは知っていたが、明治のころに、石油採掘会社が花火大会にかかわるほど隆盛であったことは知らなかった。
ちょっと気になったことばは「花街」。私は、基本的に「かがい」と読んできたのだが、番組では「はなまち」と言っていた。(まあ、今、ATOKでも「はなまち」からでも返還してくれることが確認できるので、一般的な読み方だとは思うのだが。)
地震があったことは記憶している。とはいえ、どの地方でどのような被害があったのかということまでは憶えていなかった。長岡で、神社の鳥居が折れるほどの被害があったことは、始めて知ったことになる。
2023年9月3日記
ブラタモリ 長岡
長岡には行ったことがない。長岡といって思い浮かべるのは、まず花火。それから、人物では、山本五十六、半藤一利、といったところである。
戊辰戦争のときに幕府側についたこと、それから、太平洋戦争のときの空襲、これらはたしか半藤一利の著作を読んで憶えたことだと思う。
江戸時代から舟運の要所として経済的に栄えたこと。また、石油の発掘。新潟で石油が取れることは知っていたが、明治のころに、石油採掘会社が花火大会にかかわるほど隆盛であったことは知らなかった。
ちょっと気になったことばは「花街」。私は、基本的に「かがい」と読んできたのだが、番組では「はなまち」と言っていた。(まあ、今、ATOKでも「はなまち」からでも返還してくれることが確認できるので、一般的な読み方だとは思うのだが。)
地震があったことは記憶している。とはいえ、どの地方でどのような被害があったのかということまでは憶えていなかった。長岡で、神社の鳥居が折れるほどの被害があったことは、始めて知ったことになる。
2023年9月3日記
100分de名著「“シャーロック・ホームズスペシャル” (1)名探偵の誕生」 ― 2023-09-07
2023年9月7日 當山日出夫
100分de名著 “シャーロック・ホームズスペシャル” (1)名探偵の誕生
私がシャーロック・ホームズの作品を読んだのは、主に中学生のときだったと憶えている。その当時の文庫本、新潮文庫あたりだったろうか、を近所の本屋さんで買って読んだものである。それ以来の、ミステリ好きは今に続いている。
シャーロック・ホームズをだいたい読み終えて、次に手を出したのは、エラリー・クイーンだったろうか。京都の河原町の本屋さんで買って、創元推理文庫で多くを読んだ。いわゆる国名シリーズは、高校生のときには読んでいたはずである。
その当時、日本のミステリはどうだったかというと、松本清張の時代、あるいは、社会派推理小説の時代、こういっていいかもしれない。そのいくつかは読んだものである。だが、今一つもの足りなかった。
純然たる謎解きの探偵小説が日本で脚光をあびるようになるのは、もう少し後のことになる。いわゆる新本格といわれる作品群である。これはほぼ同時代の作品として読んできたことになる。
ところで「緋色の研究」は読んだが、もう今ではあまり憶えていない。ロンドンでの殺人事件のことよりも、過去の話し、奇妙な宗教団体の物語の印象を強く憶えている。ただ、NHKの番組では、この宗教団体の名称を表面に出してはいなかった。これは、それなりに配慮しての演出、構成ということで理解しておけばいいだろう。ドイルの「緋色の研究」にははっきりと書いてあったはずである。
2023年9月5日記
100分de名著 “シャーロック・ホームズスペシャル” (1)名探偵の誕生
私がシャーロック・ホームズの作品を読んだのは、主に中学生のときだったと憶えている。その当時の文庫本、新潮文庫あたりだったろうか、を近所の本屋さんで買って読んだものである。それ以来の、ミステリ好きは今に続いている。
シャーロック・ホームズをだいたい読み終えて、次に手を出したのは、エラリー・クイーンだったろうか。京都の河原町の本屋さんで買って、創元推理文庫で多くを読んだ。いわゆる国名シリーズは、高校生のときには読んでいたはずである。
その当時、日本のミステリはどうだったかというと、松本清張の時代、あるいは、社会派推理小説の時代、こういっていいかもしれない。そのいくつかは読んだものである。だが、今一つもの足りなかった。
純然たる謎解きの探偵小説が日本で脚光をあびるようになるのは、もう少し後のことになる。いわゆる新本格といわれる作品群である。これはほぼ同時代の作品として読んできたことになる。
ところで「緋色の研究」は読んだが、もう今ではあまり憶えていない。ロンドンでの殺人事件のことよりも、過去の話し、奇妙な宗教団体の物語の印象を強く憶えている。ただ、NHKの番組では、この宗教団体の名称を表面に出してはいなかった。これは、それなりに配慮しての演出、構成ということで理解しておけばいいだろう。ドイルの「緋色の研究」にははっきりと書いてあったはずである。
2023年9月5日記
神田伯山のこれがわが社の黒歴史「(2)ヤマハ・半導体の落とし穴【リメイク版】」 ― 2023-09-08
2023年9月8日 當山日出夫
神田伯山のこれがわが社の黒歴史 (2)ヤマハ・半導体の落とし穴【リメイク版】
リメイク版である。レギュラー番組になる前の放送のときも、見ている。二回目である。
今の日本の半導体産業は危機的状況にあるというのが、一般の認識だろうと思う。起死回生をかけて新工場をつくる計画のことは、ニュースなどで目にすることがある。はたして、どうなるのだろうか。
かつて日本の半導体が世界を席巻していた時代、ヤマハもまた半導体を作っていたことは、この番組で初めて知ったことになる。ただ、ヤマハが作っていたのは、音にかかわる半導体であった。そのために、浮き沈みがあったことになる。
思ったこととしては、技術者集団として、なんでも作ってしまえ……この発想がそもそもよくなかったのかもしれない。設計と製造は別にするべき、というのが今の時代名流れであろう。
そうはいっても、必要なものは作ってしまおう、この精神は重要なことと思える。この精神がなければ、黒歴史もなかったかもしれないが、その後の成功もなかったことになる。
2023年9月7日記
神田伯山のこれがわが社の黒歴史 (2)ヤマハ・半導体の落とし穴【リメイク版】
リメイク版である。レギュラー番組になる前の放送のときも、見ている。二回目である。
今の日本の半導体産業は危機的状況にあるというのが、一般の認識だろうと思う。起死回生をかけて新工場をつくる計画のことは、ニュースなどで目にすることがある。はたして、どうなるのだろうか。
かつて日本の半導体が世界を席巻していた時代、ヤマハもまた半導体を作っていたことは、この番組で初めて知ったことになる。ただ、ヤマハが作っていたのは、音にかかわる半導体であった。そのために、浮き沈みがあったことになる。
思ったこととしては、技術者集団として、なんでも作ってしまえ……この発想がそもそもよくなかったのかもしれない。設計と製造は別にするべき、というのが今の時代名流れであろう。
そうはいっても、必要なものは作ってしまおう、この精神は重要なことと思える。この精神がなければ、黒歴史もなかったかもしれないが、その後の成功もなかったことになる。
2023年9月7日記
ザ・バックヤード「国立歴史民俗博物館」 ― 2023-09-08
2023年9月8日 當山日出夫
この回は、歴博。
あつかっていたのは、葬礼についての研究。それから年輪年代学。
葬式にかんする風習は、宗教、宗派によって違うところもあるが、それ以上に地域による違いもある。また、歴史的にも変化していく。
興味深かったのは遺影である。今の葬儀では、遺影を飾ることは当たり前になってきているが、これも歴史的にたどれば、そう古いものではない。そもそも写真というものがなければ、遺影という発想も生まれない。その遺影に何をこめるかは、人びとの葬式における意識とともに変わってきているといえるだろう。
年輪年代学は、日本が世界に誇ることのできる研究分野である。その年輪年代学において、太陽フレアの歴史的研究が可能になっていることはとても興味深い。
歴博は、最近では、歴史をジェンダーの観点から考える企画をおこなっていたりしている。意欲的な研究活動をしている機関である。
2023年9月7日記
この回は、歴博。
あつかっていたのは、葬礼についての研究。それから年輪年代学。
葬式にかんする風習は、宗教、宗派によって違うところもあるが、それ以上に地域による違いもある。また、歴史的にも変化していく。
興味深かったのは遺影である。今の葬儀では、遺影を飾ることは当たり前になってきているが、これも歴史的にたどれば、そう古いものではない。そもそも写真というものがなければ、遺影という発想も生まれない。その遺影に何をこめるかは、人びとの葬式における意識とともに変わってきているといえるだろう。
年輪年代学は、日本が世界に誇ることのできる研究分野である。その年輪年代学において、太陽フレアの歴史的研究が可能になっていることはとても興味深い。
歴博は、最近では、歴史をジェンダーの観点から考える企画をおこなっていたりしている。意欲的な研究活動をしている機関である。
2023年9月7日記
「半藤一利 「戦争」を解く 」 ― 2023-09-09
2023年9月9日 當山日出夫
ETV特集 半藤一利 「戦争」を解く
再放送になる。最初の放送のときは見ていなかった。
半藤一利の本は、かなり読んできているつもりである。「昭和史」のシリーズや、「日露戦争史」は読んだ。「日本のいちばん長い日」は、若いころに読んだ。また、比較的近年になってからも読みかえしている。この映画は、旧作はテレビで放送していたのを見た。新しい方は見ていない。
戦争について、理想の平和論、非武装主義だけで語れる時代は終わったと言っていいだろうと私は思っている。といって、狭義の軍事力だけがすべてを決するとは思っていない。経済や外交などの重要性は無論である。ただ、そのときに軍事ということをまったく度外視してものを考えることは、非現実的であるだろう。
去年の放送だから、当然、ウクライナでの戦争が始まってからのことになる。
思い起こせばであるが……かつての日本の平和主義論者の言っていることは、戦争はこちら(日本)が攻めていくから起こるものであって、こちらから攻めることをしなければ戦争は起こらない……このような発想であったと、私は認識している。
だが、ウクライナでの戦争は、このような考え方を打ち砕いてしまったことは確かだろう。こちらから攻めていくことがなくても、向こうから攻めかかってくることで戦争は起こる。まあ、当たり前のことであるが、これが、ようやく普通に認識されるようになったと思っている。
だからといって、軍事力だけでものごとを考えてしまうのは、短絡的だろう。
最近言われていることとして、ハイブリッド戦争ということがある。狭義の軍事力の対立だけが戦争ではな。外交、経済をはじめとする国力の総合としての防衛力ということがある。ここには、インターネットを駆使した情報戦もふくまれる。
戦争はなぜ始まるのか、それはどう終わることになるのか、冷静な議論が必要である。
そして、大事なことは、国民全体が熱狂的にならないようにする自制とバランスのシステムが必要であることになる。この観点からは、ウクライナとロシアとの戦争は、なかなか落とし所が見つからないというのが、現実的な判断かもしれない。
ところで、昭和戦前戦中の日本を軍国主義というのはいいとして。では、世界で一流の軍隊を持つということを公言する隣国のことは、軍国主義と言ってはいけないのだろうか。
ハイブリッド戦争の時代になって、もうすでに戦争は始まっていると言える。そのなかにあって、具体的な軍事的な衝突を回避するためのあらゆる手段を考えることが、もとめられているのだと思っている。
なお、余計なことかもしれないが、半藤一利の奥さん、半藤末利子さんの姿をテレビで見るのは初めてのことになる。
2023年9月5日記
ETV特集 半藤一利 「戦争」を解く
再放送になる。最初の放送のときは見ていなかった。
半藤一利の本は、かなり読んできているつもりである。「昭和史」のシリーズや、「日露戦争史」は読んだ。「日本のいちばん長い日」は、若いころに読んだ。また、比較的近年になってからも読みかえしている。この映画は、旧作はテレビで放送していたのを見た。新しい方は見ていない。
戦争について、理想の平和論、非武装主義だけで語れる時代は終わったと言っていいだろうと私は思っている。といって、狭義の軍事力だけがすべてを決するとは思っていない。経済や外交などの重要性は無論である。ただ、そのときに軍事ということをまったく度外視してものを考えることは、非現実的であるだろう。
去年の放送だから、当然、ウクライナでの戦争が始まってからのことになる。
思い起こせばであるが……かつての日本の平和主義論者の言っていることは、戦争はこちら(日本)が攻めていくから起こるものであって、こちらから攻めることをしなければ戦争は起こらない……このような発想であったと、私は認識している。
だが、ウクライナでの戦争は、このような考え方を打ち砕いてしまったことは確かだろう。こちらから攻めていくことがなくても、向こうから攻めかかってくることで戦争は起こる。まあ、当たり前のことであるが、これが、ようやく普通に認識されるようになったと思っている。
だからといって、軍事力だけでものごとを考えてしまうのは、短絡的だろう。
最近言われていることとして、ハイブリッド戦争ということがある。狭義の軍事力の対立だけが戦争ではな。外交、経済をはじめとする国力の総合としての防衛力ということがある。ここには、インターネットを駆使した情報戦もふくまれる。
戦争はなぜ始まるのか、それはどう終わることになるのか、冷静な議論が必要である。
そして、大事なことは、国民全体が熱狂的にならないようにする自制とバランスのシステムが必要であることになる。この観点からは、ウクライナとロシアとの戦争は、なかなか落とし所が見つからないというのが、現実的な判断かもしれない。
ところで、昭和戦前戦中の日本を軍国主義というのはいいとして。では、世界で一流の軍隊を持つということを公言する隣国のことは、軍国主義と言ってはいけないのだろうか。
ハイブリッド戦争の時代になって、もうすでに戦争は始まっていると言える。そのなかにあって、具体的な軍事的な衝突を回避するためのあらゆる手段を考えることが、もとめられているのだと思っている。
なお、余計なことかもしれないが、半藤一利の奥さん、半藤末利子さんの姿をテレビで見るのは初めてのことになる。
2023年9月5日記
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