「パラレル・アメリカ 〜銃撃事件の衝撃 分断のゆくえは〜」2024-08-06

2024年8月6日 當山日出夫

NHKスペシャル
混迷の世紀 第14回 パラレル・アメリカ 〜銃撃事件の衝撃 分断のゆくえは〜

すこし前の放送になるが、録画してあったのを見た。その間にあったこととしては、民主党の候補にハリス副大統領できまりとなったことがある。しかし、だからといって、世論調査の支持率が大きく変動するということにはなっていない。拮抗している状態は変わらない。

見ていて印象に残ることはいくつかある。

共和党のトランプ支持者の活動。特段のことをしているということはない。むしろ、伝統的な民主主義の手法にしたがって、地道に活動している。集会をひらき、人と話し、意見を交換する。すくなくとも、民主主義のルールを守っているという点では、問題ない。いや、きわめてまっとうな民主主義者であるといえるだろう。

ただ、トランプ支持者のイメージを悪くする要因になったのは、前回の大統領選挙の後の、議会乱入事件がある。これは、一部の過激な支持者の行動ということで、全体の世論の動向に大きな影響を与えるものではないだろう。

社会の分断が進むなかで、経済活動にまでおよんでいる。日本でも社会の分断ということは言われるが、このような事態にまではいたっていない。

自由を尊ぶアメリカ社会において、禁書ということが行われているのは、どうかなと思うところがある。そういえば、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も禁書であるのだが。今では、そう厳しく制限されるという本ではなくなっているのかとも思うが。

労働者層の味方というスタンスが、かつての民主党と共和党とで、逆転していること。これは、あまり日本では報じられていないところかと思う。そういえば、かつての日本では、社会党が主に都市部の労働者層を基盤としていた(だろうと思うが)、その立場を、今の日本の野党は受け継ぐことができていない。

異なる意見の人との対話の重視、これはそのとおりなのであるが、SNSのなかではこれは難しくなってきている。この意味では、番組の冒頭で登場していた、トランプ支持の若者たちが、地道に街を回っていたシーンが印象に残る。

多様性は尊重されるべきだが、その価値観を押しつけることがあってはならない。いや、異なる意見の持ち主にとってそれが押しつけられているという感覚をいだかせるようなことはすべきではない、ということはいえるだろうか。

ことばの本来の意味での「保守」ということが顧みられるべきかと、私は思う。人間の価値観は、歴史的、文化的な時間の積み重ねのなかで形成されるものである。分断の解消は容易ではないかもしれないが、これからの時間の積み重ねのなかで対話を重ねて徐々に変化していくことに期待するしかないのかもしれない。

2024年8月1日記