『光る君へ』「物語の先に」 ― 2024-12-16
2024年12月16日 當山日出夫
『光る君へ』「物語の先に」
終わったとき、テレビが壊れたのかと思ってしまった。
最終回である。ここまで見てきていろいろと思うことは、あるがそれは、また改めて書いてみようと思っているので、とりあえずは今日の最終回を見て思ったことなど、いつものように思いつくままに書く。
「紫式部」という名前が、最後まで出てこなかった。最終回に、ようやく藤式部から紫式部になるのではと期待していたのだが、そうはならなかった。また、「源氏物語」という物語の名称も出てこなかった。最後まで「源氏の物語」ということになっていた。
たしかに、歴史的に、「紫式部」とか「源氏物語」とかが定着するのはいつ頃からかという問題は、あるにはあるのだろうが。
しかし、紫式部(まひろ、藤式部)と清少納言(ききょう)と菅原孝標女(ちぐさ)が、路上でばったりと顔をあわせる……というのは、やはりドラマならではのことである。実際にそのようなことがあったとしても、決して無かったとは言い切れないので、ドラマとして許容範囲ということになる。
菅原孝標女は、『更級日記』のなかで、自分も浮舟のようになりたいと思っていた……と書いているのだが、『源氏物語』の浮舟は、どう考えてみても幸福な人生をすごしたとは思えない。だが、平安時代の終わりごろの、ある少女にとっては、あこがれの対象だったことになる。やはりこの文学少女は、かなり特異な性格だったのかもしれない。文学史としては、『源氏物語』が成立してから、さほど時間がたっていないうちに、広く貴族層に読まれる作品になっていたことは、確かなことということになる。
「源氏の物語」を読むと、女性が自分自身を重ねて読むことができる。たしかに、菅原孝標女は、帝のお后なんてどうでもいい、浮舟のようになりたい、と思っていた(まあ、自分で書いているのだからそうなのだろうが)。『源氏物語』には、いろんな男性も出てくるが、いろんな女性も出てくる。
『源氏物語』を現代の我々が読んで、登場人物に共感するところがあるのは、人間の恋愛感情というものの普遍性ということがあるからでもある。
菅原孝標女が紫式部に『源氏物語』を読み聞かせる、というのは、このドラマの世界のなかのことである。そして、まひろは、自分がその作者であると、菅原孝標女に明かさない。その方が面白いと、まひろは言う。これは、なんとなく意地が悪い。このようなところは、大石静の書いた紫式部らしい。
『源氏物語』でなぜ光源氏の死を描いていないのか。これは、さまざまな説のあるところである。今のところ、もっとも妥当かなと感じるのは、岩波文庫版の解説で今西祐一郎さんが書いていること。平安時代の文学では、人の死は、死ぬことそれ自体を描くことよりも、哀傷として、その人がいなくなってしまったことを嘆くことで、文学的に表現することになる……このような理解が、そうかなと思うところである。
道長は死ぬ直前に阿弥陀仏と五色の糸でつながっていた。このあたりは、平安時代の極楽浄土の考え方を、表現したことになる。これまで、このドラマでは、浄土思想ということをほとんど描いてこなかったのだが、ようやくここで少し出てきたということになる。
しかし、最終的に道長は、阿弥陀如来とはつながれずに、一人ですごすことになる。
まひろと倫子の話は、ドラマとしては面白い。だが、平安時代の貴族階級の人びとにとっての恋愛感情というのは、現代の我々のものとは違っている。今の性的道徳観からすれば、かなり奔放で自由といっていいだろうか。このあたりは、『源氏物語』や『今昔物語集』などを読んで感じるところではあるのだが。また、道長とまひろとでは、身分が違いすぎるので、倫子が嫉妬するということはないはずである。
倫子とまひろの会話で感じるのは、やはり、脚本の大石静のうまさである。まひろは全部を話したという体裁になっていたし、倫子もそれで納得していたのだが、しかし、娘の賢子のことは黙っていた。これだけは、まひろと道長だけの秘密であった。
これからのことをとしては、倫子と彰子がその後の藤原氏、平安王朝貴族の時代を作っていったことになる。天皇を自分の家から出す、と言っている。
まひろが自分の家で読んでいたのは、白氏文集「新楽府」だった。この作品の、『源氏物語』への影響ということも考えてのことだったろうか。(これも、これまでのように、訓点のないテキストであった。)
このドラマが、死の穢れということを描かないのは、最初からの方針である。これには、今でもいくぶんの違和感があるのだが、しかし、ドラマとしてはこれでいいように感じる。
まひろの家の召使いである、乙丸といとは、最初から最後まで登場していたことになるだろうか。
むすめの賢子は、とても自由に光るおんな君を楽しんでいるようである。邸のなかで男と密会していたのだが、これはいいとしても、女房装束は一人では着られない。脱ぐのは簡単である。たくさん重ねてある着物は、最終的には一本のひもで縛ってあるだけなので、それをほどくだけである。だが、着るのには、少なくとも二人以上の手助けがないと着られない。さて、賢子は、そのあとどうしたのだろうか。
『栄華物語』を赤染衛門が書いた。これは、現代ではあまり読まれない作品になってしまっていることは確かである。古い古典大系(岩波)には入っていたが、新しい古典大系(岩波)や古典文学全集(小学館)には入っていない。
道長は、自分の寿命はここまでと言っていた。道長の台詞には、すくせ(宿世)という『源氏物語』に描かれる人間の生き方を感じる。
続きはまた明日、とまひろが言っていた。これが数日以上つづいたことになる。死期を迎えている道長に言うまひろの心中は、どんなものだったのだろうか。
まひろが賢子に渡したのは、家集「紫式部集」でいいのだろうか。最初に書いてあった歌は、「百人一首」に収められた作品である。
最晩年の紫式部がどんなであったかは分からないはずだが、『光る君へ』の最後で出てきたような人物であっても、おかしくはないとは思う。あるいは、平安京の片隅で静かに暮らしていてもよかったかもしれないし、宇治あたりの草庵でもよかったかなと思ったりもするのだが。
双寿丸が、馬に乗っていた。出世したことになる。武士の時代の到来を予感させる。
最後に、まひろは、「嵐がくるわ」と言っていたが、平安時代の栄華、特に藤原氏の栄華は、道長から賴通のころを頂点として、その後、大きく時代が変わっていくことになる。ざっくりいえば、古代から中世への変化である。その時代の流れを感じとっていたのが、紫式部であり、王朝文化の精粋を描いたのが『源氏物語』である、という理解でいいだろうか。
最後に「完」と出なかったのが、これはこれとして印象に残る終わり方だった。
2024年12月15日記
『光る君へ』「物語の先に」
終わったとき、テレビが壊れたのかと思ってしまった。
最終回である。ここまで見てきていろいろと思うことは、あるがそれは、また改めて書いてみようと思っているので、とりあえずは今日の最終回を見て思ったことなど、いつものように思いつくままに書く。
「紫式部」という名前が、最後まで出てこなかった。最終回に、ようやく藤式部から紫式部になるのではと期待していたのだが、そうはならなかった。また、「源氏物語」という物語の名称も出てこなかった。最後まで「源氏の物語」ということになっていた。
たしかに、歴史的に、「紫式部」とか「源氏物語」とかが定着するのはいつ頃からかという問題は、あるにはあるのだろうが。
しかし、紫式部(まひろ、藤式部)と清少納言(ききょう)と菅原孝標女(ちぐさ)が、路上でばったりと顔をあわせる……というのは、やはりドラマならではのことである。実際にそのようなことがあったとしても、決して無かったとは言い切れないので、ドラマとして許容範囲ということになる。
菅原孝標女は、『更級日記』のなかで、自分も浮舟のようになりたいと思っていた……と書いているのだが、『源氏物語』の浮舟は、どう考えてみても幸福な人生をすごしたとは思えない。だが、平安時代の終わりごろの、ある少女にとっては、あこがれの対象だったことになる。やはりこの文学少女は、かなり特異な性格だったのかもしれない。文学史としては、『源氏物語』が成立してから、さほど時間がたっていないうちに、広く貴族層に読まれる作品になっていたことは、確かなことということになる。
「源氏の物語」を読むと、女性が自分自身を重ねて読むことができる。たしかに、菅原孝標女は、帝のお后なんてどうでもいい、浮舟のようになりたい、と思っていた(まあ、自分で書いているのだからそうなのだろうが)。『源氏物語』には、いろんな男性も出てくるが、いろんな女性も出てくる。
『源氏物語』を現代の我々が読んで、登場人物に共感するところがあるのは、人間の恋愛感情というものの普遍性ということがあるからでもある。
菅原孝標女が紫式部に『源氏物語』を読み聞かせる、というのは、このドラマの世界のなかのことである。そして、まひろは、自分がその作者であると、菅原孝標女に明かさない。その方が面白いと、まひろは言う。これは、なんとなく意地が悪い。このようなところは、大石静の書いた紫式部らしい。
『源氏物語』でなぜ光源氏の死を描いていないのか。これは、さまざまな説のあるところである。今のところ、もっとも妥当かなと感じるのは、岩波文庫版の解説で今西祐一郎さんが書いていること。平安時代の文学では、人の死は、死ぬことそれ自体を描くことよりも、哀傷として、その人がいなくなってしまったことを嘆くことで、文学的に表現することになる……このような理解が、そうかなと思うところである。
道長は死ぬ直前に阿弥陀仏と五色の糸でつながっていた。このあたりは、平安時代の極楽浄土の考え方を、表現したことになる。これまで、このドラマでは、浄土思想ということをほとんど描いてこなかったのだが、ようやくここで少し出てきたということになる。
しかし、最終的に道長は、阿弥陀如来とはつながれずに、一人ですごすことになる。
まひろと倫子の話は、ドラマとしては面白い。だが、平安時代の貴族階級の人びとにとっての恋愛感情というのは、現代の我々のものとは違っている。今の性的道徳観からすれば、かなり奔放で自由といっていいだろうか。このあたりは、『源氏物語』や『今昔物語集』などを読んで感じるところではあるのだが。また、道長とまひろとでは、身分が違いすぎるので、倫子が嫉妬するということはないはずである。
倫子とまひろの会話で感じるのは、やはり、脚本の大石静のうまさである。まひろは全部を話したという体裁になっていたし、倫子もそれで納得していたのだが、しかし、娘の賢子のことは黙っていた。これだけは、まひろと道長だけの秘密であった。
これからのことをとしては、倫子と彰子がその後の藤原氏、平安王朝貴族の時代を作っていったことになる。天皇を自分の家から出す、と言っている。
まひろが自分の家で読んでいたのは、白氏文集「新楽府」だった。この作品の、『源氏物語』への影響ということも考えてのことだったろうか。(これも、これまでのように、訓点のないテキストであった。)
このドラマが、死の穢れということを描かないのは、最初からの方針である。これには、今でもいくぶんの違和感があるのだが、しかし、ドラマとしてはこれでいいように感じる。
まひろの家の召使いである、乙丸といとは、最初から最後まで登場していたことになるだろうか。
むすめの賢子は、とても自由に光るおんな君を楽しんでいるようである。邸のなかで男と密会していたのだが、これはいいとしても、女房装束は一人では着られない。脱ぐのは簡単である。たくさん重ねてある着物は、最終的には一本のひもで縛ってあるだけなので、それをほどくだけである。だが、着るのには、少なくとも二人以上の手助けがないと着られない。さて、賢子は、そのあとどうしたのだろうか。
『栄華物語』を赤染衛門が書いた。これは、現代ではあまり読まれない作品になってしまっていることは確かである。古い古典大系(岩波)には入っていたが、新しい古典大系(岩波)や古典文学全集(小学館)には入っていない。
道長は、自分の寿命はここまでと言っていた。道長の台詞には、すくせ(宿世)という『源氏物語』に描かれる人間の生き方を感じる。
続きはまた明日、とまひろが言っていた。これが数日以上つづいたことになる。死期を迎えている道長に言うまひろの心中は、どんなものだったのだろうか。
まひろが賢子に渡したのは、家集「紫式部集」でいいのだろうか。最初に書いてあった歌は、「百人一首」に収められた作品である。
最晩年の紫式部がどんなであったかは分からないはずだが、『光る君へ』の最後で出てきたような人物であっても、おかしくはないとは思う。あるいは、平安京の片隅で静かに暮らしていてもよかったかもしれないし、宇治あたりの草庵でもよかったかなと思ったりもするのだが。
双寿丸が、馬に乗っていた。出世したことになる。武士の時代の到来を予感させる。
最後に、まひろは、「嵐がくるわ」と言っていたが、平安時代の栄華、特に藤原氏の栄華は、道長から賴通のころを頂点として、その後、大きく時代が変わっていくことになる。ざっくりいえば、古代から中世への変化である。その時代の流れを感じとっていたのが、紫式部であり、王朝文化の精粋を描いたのが『源氏物語』である、という理解でいいだろうか。
最後に「完」と出なかったのが、これはこれとして印象に残る終わり方だった。
2024年12月15日記
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