『ARG』312号2008-03-03

2008/03/03 當山日出夫

ARGの312の感想を少し。

編集後記は、いつも面白い。今回の号を読んで、これは大事だな、と思った、 あるいは共感したことがある。


図書館、特に大学図書館のサイトが個性的で輝いていた時代があったとしたら、 それは初期の手作りの時期ではないか、というご指摘をいただいた。ほぼその 通りと思う。


ここで指摘されていることは、人文学でのコンピュータ利用一般に言えるので ないだろうか。コンピュータが一番かがやいていた時代、それは、初期の、P C-9801(NEC)の時代であった……と、私は個人的に思う。このとき に、「夢」(あるいは、これは、幻想であったのかもしれない)を、見てしま った。その「夢」(あるいは幻想)を、いまだに追い続けている。

GCOEの関係で、若い人たち(大学院生)などと話しをする。そこで感じる ことのひとつは、今の若い人たちは、すでにコンピュータがある中で勉強して いる。今の学部学生なら、小学生の時から、コンピュータで遊んでいても不思 議はない。(我が家の状態を考えると。)

私の年代であれば、原稿用紙・ノート・万年筆・紙の資料カード(京大型カー ド)……ということを経験している。数千枚の原稿用紙・数万におよぶカード、 これらをいったいどうしよう。そこから、どう次のステップに飛躍するか、そ の向こうにあるものを、コンピュータに、見てしまう。

簡単にいえば、コンピュータに夢があり、輝いていた。また、インターネット の前、「パソコン通信」の時代、そこにも、やはり、新しい夢があった。研究 者同士のコミュニケーション、データの流通・共有……今のインターネット時 代で課題となっていることの、ほとんどの論点は、すでに、最初期に出尽くし ていると行っても過言ではないかもしれない。

パソコン(PC-9801)やパソコン通信が、輝いていた時代。それは、図 書館の人にとっても、同様かもしれない。個人と組織(図書館)であるから、 すこし、事情は違うかもしれない。しかし、その草創期にこそ、本質的な問題 を、すでにとらえていた人たちがいる。

だが、逆に言えば、技術的に困難で実現しないから、何でも考えられた(空想 できた)と、いうこともできるが。

今が、いわゆる「WEB2.0」の時代を迎えようとしているなら、「ゼロ」 いや「マイナス」の時代に、何を夢見たか(幻想を見たか)、今こそ、それを 「歴史」として検証して、残すときではないだろうか。

この私のブログの名称に「やまもも」と使っているのは、紹介文に書いてある とおり、昔のパソコン通信の時代のハンドル・ネーム、に由来する。まだ、私 は、夢をおいかけている、のかもしれない。

當山日出夫(とうやまひでお)

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