「100分de名著forユース (3)生きづらさに向き合う ロビンソン「思い出のマーニー」」2024-03-23

2024年3月23日 當山日出夫

100分de名著forユース (3)生きづらさに向き合う ロビンソン「思い出のマーニー」

『思いでのマーニー』は、名前は知っている本であるのだが、読んだことはない。映画も見ていない。

面白かったのは、解説の河合俊雄のことばのいくつか。臨床心理学者として名前は知っている人ではあったのだが、その著作を読んだことはない。

心理学者が、児童文学を読むと、このような理解になるのか、というあたりがとても興味深かった。やはり、人間の心理、発達のプロセス、ということについて、すぐれた児童文学は、ふかくかかわるところがあることを認識させてくれる。

番組では出てこなかったが、今の若い人たち……少年、少女……は、物心ついたときからSNSのある世代である。そこでの成長のあり方とか、人間関係のこととか、いろいろと考えることはあるかと思う。さらに近い将来には、AIが社会の中に入りこんでくるにちがいない。AIは友達になり得るだろうか。そのような時代になって、『思い出のマーニー』はどう読まれていくことになるだろうか。

2024年3月22日記

「古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る」2024-03-23

2024年3月23日 當山日出夫

NHKスペシャル 古代史ミステリー 第1集 邪馬台国の謎に迫る

邪馬台国はどこにあったのか、というのは、相変わらず古代歴史の謎になっている。この番組の場合は、畿内説、それも纒向遺跡を重要な候補地ということで作ってあった。

信頼できるかと思うのは、年輪年代学。これは、日本の学問として世界にほこることのできる分野の一つであると思っている。纒向遺跡から発掘された木材の年輪の調査から、邪馬台国の時代として矛盾はない(学問的にはこのような表現になるかと思うが)ことになる。

それから、古代の人骨によるDNA鑑定。これによって、古代において、大陸から多くの人びとが日本列島にやって来ていたことが分かる。この研究の向かう方向としては、縄文時代、弥生時代、古墳時代、その後の時代……と、「日本人」はどのような出自の人びとによって構成されてきたかということになる。

また、航空測量のデータをAIで解析することによる、古墳(前方後円墳)の発見。従来の手法としては、地形図を見て、現地を歩いてようやく分かることが、地図上にデータとして特定することが可能になる。最終的には、現地調査ということにはなるだろうが。

興味深かったのは、防災科学技術研究所の実験。たぶん、河川の堤防などを作るための技術の研究の一部だろうと思うが、日本の土木技術史という観点から考えて面白い。中世の城などはどう作ってあったのだろうか。

このあたりまでは信用していいとしても、ここから先の議論はどうかと思わないでもない。

当時の東アジアにおける、交流、交易、侵攻、様々な人びとの行き来があったことは確かだろう。ただ、それが、三国志の時代……魏・呉・蜀……において、倭と魏とが結びつく原因になったとまで言えるかどうか、ここは疑問に思うところがある。当時の倭の国は、東の海のはての小国である。いや、国ということさえ無理かもしれない。その当時の海洋航海技術で、魏と倭とがつながることが、はたしてどれだ現実的だろうか。

このあたりの議論は、かなりうがった見方になるとは思うのだが……東アジアの海は古来から中国の影響の及ぶところであった、という戦略的な意図がないわけではないだろうと思ってしまうのだが、はたしてどうだろうか。基本的に、歴史学は、現代の政治状況を反映するところがある。(まあ、これが発展すると陰謀史観とでもいうものになってしまう危険性があるが。)

それよりも問題だと思うのは、古代の日本に統一国家があったという、イデオロギー的側面かもしれない。たしかに古代統一国家は存在しただろう。それを、次の倭の五王の時代、古墳時代、ということにするか、あるいは、それを邪馬台国の時代に接続させてさかのぼって考えることになるのか、このあたりの議論になるかと思っている。

ただ、古代の統一国家が成立したとしても、出雲とか東北地方とか、それから、アイヌとか、琉球とか、これらをふくめて考えることも必要だろう。

さらに書いてみるならば、番組では字幕で触れていたことだが、「魏志倭人伝」という書物が単独であるのではない。『魏書』という史書の一部分である。文献学的に、『魏書』がどのような書物であり、そのなかで、いわゆる「魏志倭人伝」がどのような位置づけになるのか、『魏書』において、東アジアのその他の地域の歴史はどう記述されているのか、それは信用できるものなのか、何を史料としてその記述はなされたのか、このあたりを総合的に考察する必要がある。この方面については、近年における、各種の古典籍のデジタル化を最大限利用して今後はすすめることになるにちがいない。

シシド・カフカをテレビでじっくりと見るのは、朝ドラの『ひよっこ』いらいのことかと思う。卑弥呼の役がよく似合っていた。

どうでもいいことだが、卑弥呼の時代に、人びとがどんな「日本語」を話していたのか、ということは、基本的に不明とすべきだろう。おそらく「日本語」を話していたのかもしれないが。


2024年3月20日記