ドキュメント72時間「大阪 コインランドリーは回り続ける」 ― 2024-03-19
2024年3月19日 當山日出夫
ドキュメント72時間 大阪 コインランドリーは回り続ける
今から半世紀ほど昔、東京で一人暮らしをしていたころ、下宿先には利用できる洗濯機があった。ただ、洗濯するだけの機械である。週に一回ぐらい選択したかと思うが、冬は、水が冷たかったのを憶えている。
日本で洗濯機が普及したのは、昭和三〇年代以降のことになるはずである。それまでは、たらいと洗濯板でみんな洗濯していた。ちなみに、炊飯器の登場もこのころである。劇的に日本の人びとの暮らしが変化してきたことになる。
コインランドリーは、我が家の近くにいくつかある。
大阪の都会の真ん中にあるコインランドリーだが、どんな人が利用するのか興味があったが、(放送に出ていた範囲では)ごく普通(といっていいだろうか)の人たちであった。都会で暮らしている人びとには、それぞれの生活の背景があり、いろいろと思うところがあるらしい。
ただ、見ていて少し驚いたとことになるのは、大阪の通天閣の近くに、普通に人が暮らしているということかもしれない。このあたりだと家賃もかなり高くなるだろうと思うが、それでもそこに住みたいという魅力があるのだろう。また家も狭い。洗濯機を置くスペースのない住宅もある。そこに、このようなコインランドリーの営業もなりたつといえるだろうか。
気になったこととしては、薬剤師の資格を得るために奨学金をつかって、それが薬剤師の仕事だけでは返済が難しい、ということ。まあ、職場にもよるのかとも思うが。このあたりは、制度的になんとかしないといけないところかなと思う。
洗濯というのは家事の一部である。そこから見えてくる人びとの生活というものがある。
2024年3月16日記
ドキュメント72時間 大阪 コインランドリーは回り続ける
今から半世紀ほど昔、東京で一人暮らしをしていたころ、下宿先には利用できる洗濯機があった。ただ、洗濯するだけの機械である。週に一回ぐらい選択したかと思うが、冬は、水が冷たかったのを憶えている。
日本で洗濯機が普及したのは、昭和三〇年代以降のことになるはずである。それまでは、たらいと洗濯板でみんな洗濯していた。ちなみに、炊飯器の登場もこのころである。劇的に日本の人びとの暮らしが変化してきたことになる。
コインランドリーは、我が家の近くにいくつかある。
大阪の都会の真ん中にあるコインランドリーだが、どんな人が利用するのか興味があったが、(放送に出ていた範囲では)ごく普通(といっていいだろうか)の人たちであった。都会で暮らしている人びとには、それぞれの生活の背景があり、いろいろと思うところがあるらしい。
ただ、見ていて少し驚いたとことになるのは、大阪の通天閣の近くに、普通に人が暮らしているということかもしれない。このあたりだと家賃もかなり高くなるだろうと思うが、それでもそこに住みたいという魅力があるのだろう。また家も狭い。洗濯機を置くスペースのない住宅もある。そこに、このようなコインランドリーの営業もなりたつといえるだろうか。
気になったこととしては、薬剤師の資格を得るために奨学金をつかって、それが薬剤師の仕事だけでは返済が難しい、ということ。まあ、職場にもよるのかとも思うが。このあたりは、制度的になんとかしないといけないところかなと思う。
洗濯というのは家事の一部である。そこから見えてくる人びとの生活というものがある。
2024年3月16日記
「ミュンヘン五輪テロ事件 “平和の祭典”は問い続ける」 ― 2024-03-19
2024年3月19日 當山日出夫
アナザーストーリーズ ミュンヘン五輪テロ事件 “平和の祭典”は問い続ける
一九七二年のこの事件のことは記憶している。だが、その顚末をまとめた放送を見るというのは、これが始めてになるかと思う。この事件のことは、折に触れて、オリンピックの歴史、テロのこと、アラブとイスラエルのことなどを語るときに触れられることはあったが、どのような事件であったか、その概要をまとめたものには接していなかった。
ただ、私の知識としては、この事件には、イスラエルの諜報機関もからんでいたと憶えていたのだが、はたしてどうなのだろうか。番組では、このことについて一切触れることがなかった。
一九七二年の西ドイツには、対テロ対策のための特殊部隊……そのための専門の訓練をうけ装備をそなえた……がなかったということを、この番組で知ったことになる。これが今だったら、特殊部隊の出番ということになる。空港についた時点でも、犯人の正確な人数さえ把握していなかったというのは、現在の視点から見ると、おそまつな対応であったとしかいいようがない。
二〇二一年の東京オリンピックの開会式のことは知らなかった。見る気がまったくしなかったので、中継は見ていない。後でニュースで部分的に見た程度である。そこで、ミュンヘンのときの犠牲者について追悼のことばが述べられたことは、知らなかった。このことについて、翌日以降のニュースなどでも報じられることはなかったと記憶する。
2024年3月17日記
アナザーストーリーズ ミュンヘン五輪テロ事件 “平和の祭典”は問い続ける
一九七二年のこの事件のことは記憶している。だが、その顚末をまとめた放送を見るというのは、これが始めてになるかと思う。この事件のことは、折に触れて、オリンピックの歴史、テロのこと、アラブとイスラエルのことなどを語るときに触れられることはあったが、どのような事件であったか、その概要をまとめたものには接していなかった。
ただ、私の知識としては、この事件には、イスラエルの諜報機関もからんでいたと憶えていたのだが、はたしてどうなのだろうか。番組では、このことについて一切触れることがなかった。
一九七二年の西ドイツには、対テロ対策のための特殊部隊……そのための専門の訓練をうけ装備をそなえた……がなかったということを、この番組で知ったことになる。これが今だったら、特殊部隊の出番ということになる。空港についた時点でも、犯人の正確な人数さえ把握していなかったというのは、現在の視点から見ると、おそまつな対応であったとしかいいようがない。
二〇二一年の東京オリンピックの開会式のことは知らなかった。見る気がまったくしなかったので、中継は見ていない。後でニュースで部分的に見た程度である。そこで、ミュンヘンのときの犠牲者について追悼のことばが述べられたことは、知らなかった。このことについて、翌日以降のニュースなどでも報じられることはなかったと記憶する。
2024年3月17日記
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