ドキュメント72時間「大空に飛行機を見上げて」2024-03-29

2024年3月29日 當山日出夫

ドキュメント72時間 大空に飛行機を見上げて

再放送である。

飛行機を見ることが好きな人がいる。写真を撮る人もいる。飛行機の写真は、写真の一つのジャンルになっている。ただ、それを見るだけの人もいる。人それぞれであるが、飛行機を見ることが好きな人がいることはたしかである。

成田は飛行機撮影の重要な場所である。それから、大阪空港の近くもそうである。むかしあ、飛行場は、迷惑な存在であった。成田空港は反対闘争があったし、大阪空港でも騒音問題が大きな社会問題であった。もうそのようなことは、過去のことになってしまったのかと感じるところがある。

出てきたなかで一番共感するのは、富士通につとめていたという男性。定年退職して、お金のことを考えなくなくてもすむようになったのが幸せだという。なるほど、そういうものかなと思う。といって、今の私の生活も、ほとんどお金のことは考えることはないのであるが。

四月から放送時間が変わるのだが、私は関係ない。いつも録画しておいて後日に見ている。

2024年3月28日記

「舟を編む ~私、辞書つくります~」(6)2024-03-29

2024年3月29日 當山日出夫

舟を編む ~私、辞書つくります~(6)

紙の辞書のメリット、デメリット、それに対比して、デジタル辞書のメリット、デメリット……これは、挙げればきりがないだろう。だが、出版社としては、出版ビジネスとして利益の出るものを選択するしかない。これも、ジャパンナレッジのような会員制課金システムにするのか、一般のWEB辞書のような広告をつけるのか、USBメモリやDVD版とするのか、いろんなタイプが考えられる。

ドラマのなかで言及されていなかった論点について、ちょっとだけ書いてみる。

デジタル辞書は、文字コードに依存する。使えるデジタル文字については、現在では、作成者側の意図通りに完全にコントロールすることは難しい。

まず、使える文字種の制限。『大渡海』編集の二〇一七年の時点であれば、「JIS X 0213:2004」(現行の規格である)に基づくことになるだろう。これでまかなえない文字は使わない方針でいくのか、あるいは、ユニコードにまで範囲を広げるのか、広げるとしてもどの範囲までなのか、根本的な編集方針の再検討が必要になる。『大渡海』のような中型辞書の場合、おそらく「0213:04」の範囲内ではおさまらない字があるだろう。

次に、一般のコンピュータ、Windowsマシンを想定しておくが、利用者がどのフォントで見る設定で使っているか、ワープロなどでどの文字を使うか、これが揺れている。完全に、「0213:04」規格になっているかというと、そうでもない。古い規格の文字も使おうと思えば、フォントの切り替えによって可能である。たとえば、「祇園」の「祇」も、「しめすへん」を「ネ」に作る字と「示」に作る字とある。二者択一でフォントを切り替えることになる。(NHKの番組を見ていると、祇園の表記は基本的に「ネ氏」であるが、これは一般のコンピュータで表示することが希な文字ということになる。)

また、現在になって起こっている現象として、常用漢字の範囲内であっても、「新・拡張新字体」というべきものがある。たとえば、「進捗」の「捗」の字。右側が、「步」(旧字体)が一般であるが、常用漢字体の「歩」に作る字もある。あまり一般に気づかれていないことかもしれないが、テレビの字幕文字などでは、かなり目にする。ここ数日、テレビの報道などで「賭博」の字を目にすることが多いが、「賭」の文字の右のつくりが「者」(新字体)になっている場合がある。

では、このような問題を克服するために、文字を全部画像で示せばいいかとなるとそうもいかないだろう。これは、デジタル辞書の最大のメリットの一つである、コピーしてワープロなどで使える、ということができなくなく。

デジタル版の辞書といっても、WEB辞書を考えてみているのだが、他にもスマホ版も考えられるし、(もう今では過去のものになってしまった)電子辞書のことも考えてみる必要があるかもしれない。あるいは、DVD版のようなものも考えられる。さらには、USBメモリ版もありうるだろう。現に、大漢和がUSBメモリ版を出した。

デジタルの文字をどうコントロールして、辞書の作成者が見せたい文字を表示し、それを見て、利用者が使いたい文字を使うのか、このあたりのことについて、社会一般における基本的な議論がまだまだだと言わざるをえない。現在では、昔のようなJIS漢字批判ということは無くなってしまっているが、しかしだからといって、デジタル文字をめぐる問題がまったくなくなったわけではない。いや、使用できる文字が増えて、さらにややこしくなっているのが実情であると私は認識している。意地の悪いことを書けば、百科項目の固有名詞でつかう「渡辺」とか「斎藤」とか、厳密に考えると、とんでもないことになりそうである。「葛飾区」と「葛城市」はどうすればいいのだろうか。

辞書は、記述的な側面と同時に規範的な側面ももとめられる。現在のデジタル文字について、きちんとした議論が必要であると思う。現在のデジタル文字は、ある揺れ、曖昧さのなかで運用されているし、そのような現状に対応していくしかないのである。

デジタル文字の不安定さを前提として、記述の安定を保証するものとしての紙の辞書という考え方もあるかと思う。

余計なことかもしれないが、私のように老眼になってくると、紙の辞書よりもデジタル辞書の方がありがたいということは確かにある。

2024年3月26日

追記

最近の事例になるが、「麹」と「麴」の漢字の字体の問題がある。規範的には「麴」であるが、実際に人びとが目にするのは「麹」の方が多いだろう。これなど、現代の社会のなかで揺れている字体の一つの例ということになる。なお、この漢字は、デジタル文字としては、フォントの切り替えによる二者択一ではなく、使用しようと思えばどちらでも使える。

2024年3月28日記