『ブギウギ』「ズキズキするわ」2024-03-24

2024年3月24日 當山日出夫

『ブギウギ』第25週「ズキズキするわ」

年末の歌合戦に向けてのスズ子のこころのゆらぎをうまく描いていたと思う。

新しい歌手、水城アユミが登場してくる。実は、昔、梅丸にいたときの先輩、大和礼子の忘れ形見だという。そのアユミが、歌合戦で、スズ子の「ラッパと娘」を歌わせてくれと言う。そこで、スズ子は決断できないでいる。羽鳥のもとに行き、相談する。しかし、羽鳥は特に明確な返答をしない。さらに、茨田りつ子が、スズ子にせまる。自分の気持ちから逃げてはいけない、と。

結局、アユミは「ラッパと娘」を歌い、スズ子は「ヘイヘイブギー」を歌った。

このドラマの良さの一つは、ステージのシーンにあるのだが、ここでも、アユミの歌も、スズ子の歌も良かった。

史実としては、昭和三一年の紅白で笠置シズ子が歌っている。ただ、ちょっと気になることとしては、この時代、まだラジオの時代である。テレビはあったが、普及していない。テレビが普及するきっかけといわれているのが、時の皇太子(現在の上皇陛下)の御成婚のときのことである。昭和三四年である。

たぶん、ステージの演出もラジオ中心ということになっていたのだろうと思う。しかし、ドラマでは、舞台で派手に動き回ってテレビ向けの歌唱であった。まあ、ここは、今の時代のテレビドラマとして、それに合わせてのことということになるのだろう。

さて、次週、最終週になる。どのようにこのドラマをしめくくることになるのか、楽しみに見ることにしよう。高瀬アナウンサーは登場するだろうか。

2024年3月23日記

「フラッシュ・ウォー 自律型致死兵器システムの悪夢」2024-03-24

2024年3月24日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー フラッシュ・ウォー 自律型致死兵器システムの悪夢

二〇二三年、オーストリア、ドイツの制作。

日本でも、AIについての議論はあるが、軍事技術とからめて論じることは、どこかしらタブー視されている感じがする。日本、イギリス、イタリアで共同開発することになった戦闘機についても、その輸出の是非をめぐる議論(これが重要ではないとは言わないが、まあ常識的に考えてNATOで使用することはありうるだろう)が主であって、具体的にどんな性能なのかということについては、(軍事機密ということもあるのだろうが)一般に報道されることはまったくないと言っていい。おそらく、AIをつかったシステムが搭載されることになるのは、確実だろう。

こういう番組を見て思うことは、何故、日本でこのような議論がなされないのか、ということである。AIの専門家、軍事の専門家は、当然ながら考えていること、研究していることだろう。自立型のロボット兵器の登場によって、これからの戦争がどうなるのか、今、ウクライナで行われていることであり、近未来には東アジアでも現実の課題になりうる(いや、もうすでになっている)ことである。

自立型ロボット兵器と戦争の倫理……今まさに考えなければならないことである。イスラエルとパレスチナの紛争において、国連事務総長が、戦争にもルールがあると言ったが、このような発言についてさえも忌避感を示す人がいる。絶対平和主義というべきだろうが。だが、ルールについて議論しておかなければ、まったくのルールなしの状態になってしまうことになる。その危険性を考えるべきだろう。例えば捕虜の処遇ということも、戦争のルールである。

まず、AIの技術が、デュアルユースであるということをはっきりと認識することが必要である。

ふと思うのだが、イスラエルは、なぜロボット兵器を使わないのだろうか。(あるいは使っているのかもしれないが、日本での報道では触れられることがない。ドローンは使っているのだろうが、どのような性能でAIによる自立型なのかどうか、伝えられてはいない。)自立型ロボット兵器は、技術的には可能かもしれない。だが、自立型ロボット兵器が、ガザの一般市民を殺す場面があったとしたら、世界の論調はどうなるだろうか。ここは、あえて人間の兵士が武器を持って戦っているという場面を、作り出していると思うのだが、これはうがち過ぎだろうか。

そして、最も危険なのが「フラッシュ・ウォー」。AIによる軍事システムの暴走である。ささいなパラメーターの変化に、AIが過剰に相互反応して、人間ではとめることのできない事態になってしまう危険性がある。

ところで、以前、小泉悠があるテレビ番組でこのようなことを言っていた。もしAI兵器が実用化されたとして、では、AI兵器だけが戦争をおこなって決着がついたとして(人的被害はない)、じゃあ沖縄を中国にさしあげます、というような状況になり得るだろうか。そんなことに、国民は納得するだろうか。

やはり戦争は人間がおこなうものである、というのが、この世のあり方なのかもしれない。ただ、その戦争のあり方は、これから大きく変わっていくにちがいない。

2024年3月22日記