「シリーズ原発事故2024 (2)最難関 取り出せるか“燃料デブリ”」2024-03-20

2024年3月20日 當山日出夫

サイエンスZERO シリーズ原発事故2024 (2)最難関 取り出せるか“燃料デブリ”

八八〇トンあると推定される燃料デブリをどうやって取り出すのか、また、取り出したあと、どうやって保管するのか、まったく希望が無いわけではないが、しかし、課題は数多くある。

地下水による汚染水の発生がないのなら、なんとかして原子炉全体をまるごと囲んでしまって密閉するということが考えられるかと思うのだが、現実的にはどうなのだろうかと思ってしまう。

ロボットアームの開発など、基礎的な技術開発が進んでいることは分かる。だからといって、将来的に安心できたということではない。

ただ、興味深かったのは、燃料デブリが試験的に取り出しが出来ないのなら、実験室で作ってみるということ。これは、確かにそのとおりである。そこでの知見をもとに、その後の対応を考えることになる。科学、技術については、これも一つのアプローチであると感じる。

また、何をもってして「廃炉」とするか、ということの定義が定まっていない。このことの問題は大きい。今後、大きな課題となるにちがいない。これからの日本社会のあり方を総合的に考える視点からの、慎重な議論ということになるのだろう。

2024年3月19日記

「キネマの夢を追いかけて 〜日本映画の父 牧野省三〜」2024-03-20

2024年3月20日 當山日出夫

英雄たちの選択 キネマの夢を追いかけて 〜日本映画の父 牧野省三〜

いろいろと思うことのある番組だった。

若いころは映画をよく見た。東京に住んでいたころは、岩波ホールはかなりかよった。都内の主な名画座も行っている。学生のころ、ちょうど「ぴあ」「シティロード」が刊行されたころだった。京橋のフィルムセンターにもよく行った。浅草六区に行ったが、その当時は衰退のときだった。うらぶれていた。

しかし、今では映画は見ない。というよりも映画館に行くために外出することが億劫になってしまっている。

映画という近代のメディアが、一九世紀から二〇世紀、そして、二一世紀にかけて、重要な役割を果たしてきているという認識は持っている。

牧野省三は名前は知っている。日本映画の草創期の人物として憶えた。

無声映画もかなり見た記憶がある。字幕で台詞の入ったものである。番組では触れられることがなかったが、字幕を使った無声映画と、活弁の語る無声映画は、どんな関係にあるのだろうか。このあたり、映画史にうといのでよくわからない。

ちなみに、小津安二郎は、字幕の無声映画を初期のころに作っている。小津の著名な作品は、音声のはいったものであるが、その映像と音声については、どうも昔の無声映画の名残を感じるところがある。こんなことを思うのは私ぐらいだろうか。

映画の歴史ということだが、広くとらえるならば、時代劇の歴史でもある。これはおそらく江戸時代の歌舞伎などにまでさかのぼって考えることになり、近代になってからの演劇史をも視野にいれたものになるだろう。

活弁の存在を、日本における語りの芸の歴史のなかにおいて考えるという視点はとても面白いし、重要なことだと思う。

時代劇で、現代をどう描くか……私が若いころに見たテレビだと、「必殺仕掛人」がある。これはその後、シリーズとして長く続くことになる。その第一回が、藤枝梅安の登場する仕掛人だった。(第一回の放送はたまたまであるが見ている)。その同じ時間帯に放送していたのが、「木枯し紋次郎」だった。これらの時代劇は、まさにその時代において、世相を反映し、あるいは、諷するところのある作品だったと言っていいかもしれない。

磯田道史が言っていたことだが、鉄砲は当初は暗殺用の兵器であったが、信長が大量に集団で使う用法を編み出した。ことの真偽はちょっと疑問がないわけではないが、しかし、新しい技術というものはそういう側面がある。どうつかわれるか、それが何をもたらすかは、それを作った人の思慮の他にあるというべきかもしれない。

表現は技術とともにある。映画という手法が登場すれば、それを使って何かを表現したくなるのが人間である。トーキーが登場すれば、それで表現したくなる。新しいメディアが、人間にどのように使われていくか、あるいは、人間社会をどのように変容させていくか、それが顕著になったのが近現代という時代だろう。現代における、スマーフォンとSNSの普及は、人間の思考のあり方から、社会の関係までをも変えようとしている。こんなことを、ほんの十数年まえ、iPhoneが登場したときに誰が想像しただろうか。

ところで、「無声映画」ということばは、言語研究の用語でいうレトロニムである。トーキーが発明されてから、それまでの音の出ない映画のことを、「無声映画」と再び名付けることになった。他には「白黒写真」などもそうである。

2024年3月15日記

2024-03-20

2024年3月20日 當山日出夫

桜 2024年3月20日撮影

桜

桜

桜

桜

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD