ねほりんぱほりん「葬儀会社の人」2024-03-09

2024年3月9日 當山日出夫

ねほりんぱほりん 葬儀会社の人

もう隠居と決めているので、日中、家にいることが多い。なんとなくテレビなど見ていると、やたらと多いのが、葬儀場のコマーシャルである。どのコマーシャルも言っていることとしては、費用が安いと言う。しかし、考えてみれば、あれほどテレビのコマーシャルにコストをかけているのだから、その費用は間接的に費用に上乗せされてくるだろうと思う。

これからの人口構成を考えると、あとしばらくは死者の数は多い。火葬場が不足していて、すぐに葬儀が出来ないという話しはある。また、地方自治体が新しく火葬場を建設しようとしてトラブルになっていることもある。(しかし、さらにその後は日本の人口減にともなって死者数も減少するに決まっている。)

葬儀とは生きている人間のために行うものである……ということを強く感じる。そして、そのときに最も尊重されるべきは、故人の遺志であるということになる。

葬儀ぐらい、時代の流れ、地域の風習を反映したものはないかもしれない。(また、結婚式もそうかとも思う。)

印象的だったことは、登場していた葬儀会社の人が、休日に何をしてすごすか。ラジオを聴きながらパチンコ屋に行く。何も考えないですごすという。あるいは、アイドルのライブで声援を送る。なるほど、そういうものかと思う。日頃、人の気持ちをおもんぱかる仕事をしていると、オフの時間は、何も考えないでいたいと思うのだろう。

葬儀の時に、故人の愛人が乗り込んできたという話しは面白かったが、実際には、もっと面白い話しがあるだろうと思う。あるいは、怪談めいた経験もあるにちがいない。

2024年3月3日記

「戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義”」2024-03-09

2024年3月9日 當山日出夫

NHKスペシャル 戦火の放送局II〜ウクライナ うつりゆく“正義”

戦時下における報道とはどのようなものなのか、考えることになる。ここでは、あえて「どうあるべきか」という言い方はしないし、できない。

確かにNHKはウクライナ寄りの立場で報道し番組を作っているこ。このことについて批判することも可能だろう。だが、この番組を見て思うことは、ここからはある種の普遍性を感じとることができることである。ウクライナのジャーナリストが感じている葛藤は、多かれ少なかれロシアのジャーナリストも感じていることだろう。

戦争が始まって二年が経過して、ジャーナリストの考え方、感じ方も変わってきている。いわゆる戦場の真実を伝えることに意義があるという発想だけでは、仕事が続けられなくなってきている。

ジャーナリストであり、母であり、ウクライナの国民であり、そして人間である……さまざまな立場が混在する。そのなかで、ジャーナリストにこうあるべきだと強いることは、残酷なことになると感じる。

戦時下における報道はどのような状況におかれることになるのか、取材し記録しておくことには意義がある。あるいはひょっとすると、近い将来、日本がその当事者にならないとは限らないのであるから。

2024年3月4日記

2024-03-09

2024年3月9日 當山日出夫

梅の花である。白梅の木が我が家には三本ほどあるが、そのうちの一つである。小ぶりの木で、ちょうど目の高さぐらいに花が咲く。写真に撮るにはちょうどいい。

梅

梅

梅

梅

Nikon D500
TAMRON SP 90mm F/2.8 Di MACRO 1:1 VC USD