時をかけるテレビ「わたしが子どもだったころ 詩人 谷川俊太郎」 ― 2025-02-21
2025年2月21日 當山日出夫
時をかけるテレビ わたしが子どもだったころ 詩人 谷川俊太郎
この番組の演出は、是枝裕和。
かなり実験的なこころみの映像として作っているという印象をうける。音楽はいいなあ、と思って見ていたのだが、最後まで分からなかったのが、透明なアクリル板(だと思う)に絵を描いていたのは、いったい何だったんだろうと、思うところがある。しかし、これが、無かったとしたら、つまらない番組になったかもしれない。
私が興味をもったのは次の二点。
第一には、戦中の国民学校の思い出として、その当時の子どもはどんなふうに生活していたのか、その実感を感じとれるものだったということ。アメリカのB29の爆撃機が飛んできても、その飛行機の姿を美しいと感じる、素直にそう思っていたことになる。爆撃というと、すぐに、戦争の恐怖と結びつけなければならないと思っている、今の我々の感覚の方が、むしろ変なのかもしれない。
その他、父親の谷川徹三の思い出とか、北軽井沢の避暑地に行くと、オープンカーのタクシーがあったとか、銀座にでかけたとか、興味深いが、このような話しは、おそらくは東京に住む中流以上の階層の体験談ということになるだろう。
第二には、詩について。詩は内面の表現、ということだけではない。自分の外にある、日本語の豊かな世界があって、それを再構築して表現するものである……このような意味のことを語っていた。これは、なるほどそういうものかと感じたところである。
このごろは特にそうかもしれないが、子どもの創作(作文や絵画など)、自分の思っていること、感じていることを、表現したものが良い、という考え方が主流かもしれない。そうではなく、面白いものを作りあげることの楽しさ、という観点から見ることもあっていいだろう。
去年、谷川俊太郎が亡くなって、いくつかの詩集が文庫本などで刊行になったものを、買って読んでみた。いいなあと思うものもあるし、よく分からないと感じるものもある。
これまで詩を読むときは、本であることにこだわってきた。昔、高校生ぐらいのときに読んだ、中央公論社の「日本の詩歌」シリーズは、その薄紫の装丁とともに、記憶のなかにある。
だが、その一方で、純粋にテキストとしての詩ということであるならば、いっそのこと、Kindle版でもいいのか、という気もしてきている。
谷川俊太郎というと、やはり、私にとっては、「鉄腕アトム」の作詞者である。それから、「死んだ男の残したものは」は、石川セリが歌っているのが、一番気に入っている。
2025年2月20日記
時をかけるテレビ わたしが子どもだったころ 詩人 谷川俊太郎
この番組の演出は、是枝裕和。
かなり実験的なこころみの映像として作っているという印象をうける。音楽はいいなあ、と思って見ていたのだが、最後まで分からなかったのが、透明なアクリル板(だと思う)に絵を描いていたのは、いったい何だったんだろうと、思うところがある。しかし、これが、無かったとしたら、つまらない番組になったかもしれない。
私が興味をもったのは次の二点。
第一には、戦中の国民学校の思い出として、その当時の子どもはどんなふうに生活していたのか、その実感を感じとれるものだったということ。アメリカのB29の爆撃機が飛んできても、その飛行機の姿を美しいと感じる、素直にそう思っていたことになる。爆撃というと、すぐに、戦争の恐怖と結びつけなければならないと思っている、今の我々の感覚の方が、むしろ変なのかもしれない。
その他、父親の谷川徹三の思い出とか、北軽井沢の避暑地に行くと、オープンカーのタクシーがあったとか、銀座にでかけたとか、興味深いが、このような話しは、おそらくは東京に住む中流以上の階層の体験談ということになるだろう。
第二には、詩について。詩は内面の表現、ということだけではない。自分の外にある、日本語の豊かな世界があって、それを再構築して表現するものである……このような意味のことを語っていた。これは、なるほどそういうものかと感じたところである。
このごろは特にそうかもしれないが、子どもの創作(作文や絵画など)、自分の思っていること、感じていることを、表現したものが良い、という考え方が主流かもしれない。そうではなく、面白いものを作りあげることの楽しさ、という観点から見ることもあっていいだろう。
去年、谷川俊太郎が亡くなって、いくつかの詩集が文庫本などで刊行になったものを、買って読んでみた。いいなあと思うものもあるし、よく分からないと感じるものもある。
これまで詩を読むときは、本であることにこだわってきた。昔、高校生ぐらいのときに読んだ、中央公論社の「日本の詩歌」シリーズは、その薄紫の装丁とともに、記憶のなかにある。
だが、その一方で、純粋にテキストとしての詩ということであるならば、いっそのこと、Kindle版でもいいのか、という気もしてきている。
谷川俊太郎というと、やはり、私にとっては、「鉄腕アトム」の作詞者である。それから、「死んだ男の残したものは」は、石川セリが歌っているのが、一番気に入っている。
2025年2月20日記
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