3か月でマスターする江戸時代「(7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?」 ― 2025-02-21
2025年2月21日 當山日出夫
3か月でマスターする江戸時代 (7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?
いろんなことが語られていた回であったが、まあ、そんなところなのだろうなあ、という感想である。
新井白石の事跡については、蘭学との関わりで重要である。これは、江戸時代を通じて、その後に与えた影響ということで考えなければならない。
吉宗が蘭学書の輸入を認めたということは、知られていることだと思うのだが、番組のなかで言っていなかった重要なポイントは、漢訳されたということである。つまり、一度、中国に入ってそこで学ばれ漢文になった本が、日本にもたらされたということになる。では、中国では、どのように西洋の科学・技術にかんする学問を受容していたのだろうか……ここのところが、最も重要な点である。科学・技術と東西交易の歴史を、日本のことだけに限らず、もうちょっと広い視点から見なければ分からないことである。
吉宗が将軍の意志として、リーダーシップを発揮したということであった。それは、以前の、綱吉の時代から始まり、将軍の意向で全体が動くという組織を作ったから、ということなのだが、これも、そうかなとは思う。だが、その一方で、江戸時代の政治のシステムは、トップの意向だけではそう簡単にことを決めることができず、役職の輪番制、合議制、ということもあったかと思っている。ここは、江戸時代を通じて、政策の意思決定のシステムが、時代によってどう変遷してきたのか、という観点から整理して語るべきところになる。
『解体新書』が出てきていたが、人物としては、杉田玄白の名が高い。『蘭学事始』のことが広く知られている。小説になるが、前野良沢のことを書いた『冬の鷹』(吉村昭)は面白い。
江戸時代の上層の農民や町人などの、知的レベルをどう考えるかというのは、江戸時代のことを研究するとき、重要なことになる。旧来の歴史観だと、支配層である武士と、虐げられた百姓、という図式で考えていたことになるが、これでは、江戸時代の知的な活動を考えることができない。
この意味では、四国の百姓の作った目黒山形は意味のあることである。(これは、すこし前、「英雄たちの選択」であつかっていたはずだが。)それから、本居宣長の国学のことがすこし出てきていたが、ここは、本居宣長がどういう人であったか、その国学の周辺の人たちがどんな人たちであったか、それをささえた江戸時代の出版や情報通信のこと、これらを総合的に考えなければならない。ちょっと時代は下るが、島崎藤村の『夜明け前』を読むと、信州の宿場町で国学が学ばれ、それが、明治の時代になってどう継承されるのか、というあたりのことが描かれている。
江戸時代に、いわゆる科学・技術の、日本での発展はあったことは確かなことである。そのなかでは、天文学や測量学は、重要かもしれない。しかし、厳密な意味での、「サイエンス」の方法論が日本で生まれたかどうか、という観点からはいろいろと考えるべきところがあるだろう。
2025年2月20日記
3か月でマスターする江戸時代 (7)「鎖国」下でもなぜ蘭学・科学が発展した?
いろんなことが語られていた回であったが、まあ、そんなところなのだろうなあ、という感想である。
新井白石の事跡については、蘭学との関わりで重要である。これは、江戸時代を通じて、その後に与えた影響ということで考えなければならない。
吉宗が蘭学書の輸入を認めたということは、知られていることだと思うのだが、番組のなかで言っていなかった重要なポイントは、漢訳されたということである。つまり、一度、中国に入ってそこで学ばれ漢文になった本が、日本にもたらされたということになる。では、中国では、どのように西洋の科学・技術にかんする学問を受容していたのだろうか……ここのところが、最も重要な点である。科学・技術と東西交易の歴史を、日本のことだけに限らず、もうちょっと広い視点から見なければ分からないことである。
吉宗が将軍の意志として、リーダーシップを発揮したということであった。それは、以前の、綱吉の時代から始まり、将軍の意向で全体が動くという組織を作ったから、ということなのだが、これも、そうかなとは思う。だが、その一方で、江戸時代の政治のシステムは、トップの意向だけではそう簡単にことを決めることができず、役職の輪番制、合議制、ということもあったかと思っている。ここは、江戸時代を通じて、政策の意思決定のシステムが、時代によってどう変遷してきたのか、という観点から整理して語るべきところになる。
『解体新書』が出てきていたが、人物としては、杉田玄白の名が高い。『蘭学事始』のことが広く知られている。小説になるが、前野良沢のことを書いた『冬の鷹』(吉村昭)は面白い。
江戸時代の上層の農民や町人などの、知的レベルをどう考えるかというのは、江戸時代のことを研究するとき、重要なことになる。旧来の歴史観だと、支配層である武士と、虐げられた百姓、という図式で考えていたことになるが、これでは、江戸時代の知的な活動を考えることができない。
この意味では、四国の百姓の作った目黒山形は意味のあることである。(これは、すこし前、「英雄たちの選択」であつかっていたはずだが。)それから、本居宣長の国学のことがすこし出てきていたが、ここは、本居宣長がどういう人であったか、その国学の周辺の人たちがどんな人たちであったか、それをささえた江戸時代の出版や情報通信のこと、これらを総合的に考えなければならない。ちょっと時代は下るが、島崎藤村の『夜明け前』を読むと、信州の宿場町で国学が学ばれ、それが、明治の時代になってどう継承されるのか、というあたりのことが描かれている。
江戸時代に、いわゆる科学・技術の、日本での発展はあったことは確かなことである。そのなかでは、天文学や測量学は、重要かもしれない。しかし、厳密な意味での、「サイエンス」の方法論が日本で生まれたかどうか、という観点からはいろいろと考えるべきところがあるだろう。
2025年2月20日記
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