クラシックTV「映画音楽の巨匠 エンニオ・モリコーネ」2025-12-26

2025年12月26日 當山日出夫

クラシックTV 「映画音楽の巨匠 エンニオ・モリコーネ」

私にとって、エンニオ・モリコーネの映画音楽で、最も印象に残っているのは、『荒野の用心棒』である。(『荒野の用心棒』の方を先に見て、黒澤明の『用心棒』を見たのは、後からである。同じように、『荒野の七人』を先に見て、後で『七人の侍』を見ている。こういう経験は、わりとあることかとも思う。店の裏で薪を割っている男……チャールズ・ブロンソンだったのだが、これは、千秋実をなぞっている。しかし、映画を見ると、千秋実は、本当に淡々と次々に薪を割っている。これは、なかなかできる演技ではない。さすがである。)

この番組のいいところは、芸術とエンタテイメントについて、分けるのでもなく、ごっちゃにするのでもなく、一応は区別をしてあって、その両方を見る視点があり、この二つの間の隙間の感覚を、うまく捉えているところにある。(こういう意味では、NHKでは「芸能きわみ堂」が、同様に上手い作り方をしている。)

美メロ=芸術、とは言っていない。さりげないが、芸術とは何であるか、本質にかかわることである。

清塚信也が番組の中で言っていたことだが、芸術家として表現したいことがたくさんあって、しかし、それを、お客さんに分かるように、(エンタテイメントとして)表現できるのは、ごくわずかの部分である……こういう意味のことを言っていたが、なかなかこういうことをストレートに語る人(芸術家であったり)はいないと思う。

音楽に限らずであるが、芸術が分かる人は少ない。天分もあるだろうし、努力もあるし、まあ、生まれ育った環境もある(文化資本といってもいいが)。文学でも、絵画でも、そうである。しかし、芸術が一部の選ばれた人のためにある、ということは、NHKの番組としては、そうあからさまに言うことはできないだろう。タテマエとしては、芸術は、万人のためにある、ということになってしまう。

アカデミー賞についても、時代のムーブメント、と言っていた。これも、ある意味では問題発言(?)である。さらに過激に言いかえるならば、PC「正しさ」が、芸術的価値に優先するのが、今の時代でもある。

しかし、賞をとる作品は、「良い」ものであることは確かである。だからといって、賞を逃しても、悪いとかいうことではない。アカデミー賞もそうだし、ノーベル文学賞もそうである。賞レースとは、所詮は、人が人をジャッジするものである。

(私は、村上春樹の小説は全部読んでいるはずだが、別にノーベル文学賞をとってもとらなくても、どっちでもいいと思っている。)

ポリリズムということはとても面白い。

音楽の領域では、いわゆる多文化共生がいわれることが多い。他の文化圏の音楽の影響を受けて、あるいは、他の文化圏の楽器を使って、ということは、よくいわれる。まあ、音楽というのは、このような観点では、融合しやすい性格のものであることはたしかである。

そうではなく、三つの異なる音楽……文化的に背景が異なる……を、リズムが異なるものを重ねて一つにする、そこに微妙な重なりとズレがある。だが、全体として、何かしらまとまったものになっている。

このような視点からの、異文化、多文化のとらえかた、というのは、今の時代の風潮にあって意味のあることだと、私は強く思う。

2025年12月22日記

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