講義がはじまった(その二)2020-10-05

2020-10-05 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年9月28日
講義がはじまった
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/28/9299906

火曜日は、大学院での講義。秋学期だけである。これも、大学の方から事前に連絡があって、オンラインにするかどうか問合せがあった。履修する学生は、LMSで確認してみると、登録者が二名である。であるならば、教室で十分にできると判断して、教室での授業希望と回答しておいた。

それに、秋学期のこの講義の予定では、「長恨歌」を読むことになっている。金沢文庫本「白氏文集」巻十二である。書写は、鎌倉時代であるが、その本文、訓点については、平安時代にさかのぼることができるテクストである。

このようなテクスト、訓点資料を読むような場合、やはり、直接顔を合わせて、ここのところはこう読むのですよと、一緒に本を見ながら、逐一指示しながら勉強していくのが一番である。というよりも、このようにしてしか、教えることができないものである。

先週、第一回があった。履修者は二名。いずれの学生も以前に教えたことのある学生だった。通常は、第一回のときは、まず自分の自己紹介から話しをすることにしているのだが、これはかなり省略することができた。ざっと今年の授業の方針などについて説明。

日本語学の講義であるが、周辺のこととして、日本文学についても考えることにした。「長恨歌」は「源氏物語」などに多大の影響を与えている作品として著名である。まず、そのあたりのことから話しをしてみようかと思う。

また、一昨年もこのテクストを読んでいるのだが、そのときは、全体を通読するのが最後の時間になってしまった。今年は、まず最初に、全体の訓読文を読んでおくつもりでいる。全体がどんなストーリーの展開になっているのかを知ったうえで、では、平安時代に読まれたテクストは、どんなものであったのか、それを見ていく、このような方針にしようと思う。

教室は、小さい。全部はいっても、十数名程度だろうか。学生が二人なので、教師の私をふくめて三人。これなら十分に距離を保つことができる。ただ、困ることは……教室においてあるモニタに、私のPCの画面を映して見せることがある。あることば、用語、概念などを説明するようなとき、ジャパンナレッジに接続して、その項目を検索してみて、それを見ながら話しをするということにしている。しかし、教室で、距離をおいて座ると、モニタの画面の文字が小さいと見えない。これはこまるので、あらかじめ適当な項目を紙にプリントアウトしておいて、それを配布しようかと思う。学生は、後で、自分でWEBに接続してその項目を確認することができる。

今のところ、COVID-19は、そう感染が拡大ということはなさそうである。逆に、終息するということもないようだが。ともあれ、今の状態がつづくなら、なんとか教室での講義を続けることができるかと思う。

まずは、「源氏物語」と「長恨歌」というような話しからはじめるつもりでいる。

2020年10月4日記

追記 2020-10-12
この続きは、
やまもも書斎記 2020年10月12日
講義がはじまった(その三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/12/9304897

講義がはじまった2020-09-28

2020-09-28 當山日出夫(とうやまひでお)

後期になって、教室での授業がはじまった。COVID-19感染対策のため、教室が変更になった。学校で一番ひろい教室を使うことになった。

先週、第一回があったが、なんとか無事に終わった。教室で学生の数を見て、配布したプリントの数から判断して、ほぼ九割ぐらいの学生が出ていただろうか。前期は、基本的にオンライン授業ということでやってきたので、ようやくキャンパスで授業の開始である。

感染対策ということで、いろいろと気をつかう。教室には、ちょっと遅れて行くことにした。学生の教師の移動時間を考えると、一〇分の休憩時間での移動は問題があるかもしれない。特に、階段とか、エレベーターが、人が密集する可能性がある。プリントを配るときでも、教室の前において、人が密集しないようにボチボチと取りに来なさいということで配布した。第一回目なので、前期の授業のまとめ、ふりかえり、それから、後期の授業の予定など。

コメントペーパーも同時に配布して、後期授業への希望など書いてもらうことにした。みんなかなり熱心に書き込んでいるようだった。

困ったこととしては、板書ができないということがある。なにせ、大きな部屋なので、黒板はあるにはあるが、後ろの方の席に座ってしまうと、字が見えないだろうと思われる。これが、普通の状態であるならば、黒板の板書の見やすい席に座るかどうかは、学生の自己判断ということで済ますことができるが、今回の場合、席は空けて座るようになっているので、自由に席を選ぶことができない。

後期授業は、基本的に板書なし。口頭で、プリントに書いてあることに説明を加えていくということですすめるしかない。ただ、例年のこととして、プリントは、かなり丁寧に書いてつくってあるつもりなので、これは、だいたい読めば、その回の授業で伝えたいことがわかるようになっている。そのおぎない、ということでもないが、講義の終了後、家に帰ってから、プリントをWord文書とPDFにして、LMSにアップロードしておく。これは、毎年やっていることなのだが、今年は、学生の閲覧率が高いようである。(ただ、昔からPCを使っているということもあって、教材などは、すべて一太郎で作ってある。それを、体裁を同じで、Word文書にするのが、一手間ではある。)

それから、授業の評価については変更することにした。既定のシラバスでは、後期試験をおこなうということにしてあったが、これはやめにした。そのかわり、前期と同様に、四回のレポート提出ということにした。これは、プリントアウト(ワープロで作成)を教室で出してもいいし、オンラインで電子メールで出してもいいということにしておいた。

無事に、後期一五回の授業ができる保証がない。今後の状況の変化によっては、教室での授業は中止という可能性も十分に考えておかなければならない。が、ともかくは、教室で授業ができる間は、なんとか続けていくつもりでいる。

2020年9月27日記

追記 2020-10-05
この続きは、
やまもも書斎記 2020年10月5日
講義がはじまった(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/10/05/9302338

オンライン授業あれこれ(その一九)2020-09-07

2020-09-07 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月30日
オンライン授業あれこれ(その一八)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/30/9290266

さて、後期からの授業がどうなるかまだ決まらない状況である。ちかいうちには、はっきりとした連絡があるかと思っている。

狭い意味で、教科を教えるということについてみれば、オンデマンドの教材送信であっても、十分に可能であるということがわかった。前期には、四回のレポート提出を課したが、それを読む限りにおいては、通常の教室の授業を行ったときと、同等の成績という結果になった。いや、きちんと配布教材を読んで自分でレポートの文章にするということがあったせいで、むしろ、できる学生にとっては、よりきちんとした学習になっているといってもいいかもしれない。

これは、昨年度までの教材の蓄積があってのことでもある。毎回、A4で二ページほどの教材プリントを配布してきた。読めば、その日の授業内容がわかるように書いたものである。それに加えて、そのなかで、さらにポイントをしぼって、ここは伝えておかねばならないという部分について、よりかみくだいた丁寧な解説文を、二ページほど加えておいた。全部で、毎回、A4で四ページほどを配信したことになる。

そして、ほぼ月に一回の割合で、四回のレポートとした。A4で一枚(1000字程度)である。これが、毎回毎週となると課題として多いだろうし、かといって、学期末に一回のレポートだけで点数をつけるというのも、難しいところがある。四回ぐらいの回数が一番適当かと判断したことになる。

教材の配信は、毎週水曜日の朝。これは、コンスタントに実施した。(時間割は、水曜日の四時間目である。)

前期授業がオンラインになったということであるならば、毎日、大学のメール、また、LMSはチェックするのが当然だと思う。だが、実際の学生の反応を見ていると、毎日の定期的なチェックは、あまりしていないように思える。この点、授業がオンラインになったということの意味を、学生がはっきり自覚しているとは言いがたい。

LMSをまったく見ていない学生がいる。しかし、これは、どうしようもない。スマホも、PCもない、あるいは、持っていても、学習に使う気がない、このような学生のことまでは、対応しきれないというのが実情でもある。PCを持っていない学生が、大学のPC教室を利用できる特例措置はあったはずなのだが、これすらも利用しない学生のことは、どうにもならない。

まあ、例年、普通に授業があったとしても、まったく出席しない、また、試験も受けないという学生が少なからずいるというのが実際のところであるから、結果的には、授業になんとかついてくることができた学生の割合という観点からは、ほぼ同じということになる。

ここでふりかえってみるならば、これまでは、毎回、九〇分の授業時間があって話しをしてきたことになるのだが、そのエッセンスをまとめるならば、A4に書いて数枚になるということが、自分なりに実感できたということもある。それを、目の前にいる学生に対して、黒板に字を書きながら、繰り返し、ことばをかえて、何回か、くどく説明をしていく。その冗長な時間が、教室の時間ということになる。

しかし、その冗長さこそが、教室での教育の意味であるとも、いえるかもしれない。漫然と耳で聴いているだけでもいいから、教室にいることの意味、その教育的効果というものが、確かにあるのだろうと思う。

これから教室での授業が再開できるようなら、教室で時間をすごすことの意味があるように、まずこのことを心がけたいと思っている。

2020年9月5日記

追記 2021-01-21
この続きは、
やまもも書斎記 2021年1月21日
オンラインの授業あれこれ(その二〇)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2021/01/21/9339554

オンライン授業あれこれ(その一八)2020-08-30

2020-08-30 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月23日
オンライン授業あれこれ(その一七)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281248

採点が終わった。その結果、得点分布としては、例年とさほど変わらない結果になった。

急にオンライン授業になってしまったということは、いくぶんは配慮することにした。電子メールの使い方にも、慣れていないだろうということも考えることにした。

ただ、そうはいっても、電子メールの提出が、大学のシステムのメールでなければならない、ということだけは、基本的にゆずらないことにした。宛先は、大学の私のメールアカウントを指定しておいた。そこで、各学生のアカウントから送信したものを受け付けるということにした。

これは、最初、四月の段階で方針を決めたときから、一貫している。理由は、二つある。

第一には、メールアカウントが身分証明であることである。大学の提供しているアカウントが使えることが、その大学の学生としての身分証明になる。このことを、基本のルールとして徹底させる必用があると思った。

第二は、整理の都合である。大学のアカウントを使うと、学生証番号が、そのままアカウントに表示される。これを、発信者名で整理すれば、レポートの提出の有無が一目瞭然である。バラバラのアカウントから送信されたものでは、とても整理しきれない。

以上の二つの理由を総合的に考えて、大学のアカウントからのレポート提出のみを受け付けることにした。

あるいは、これは、ひょっとするとちょっと厳しい対応であったかもしれない。しかし、大学のメールシステムであれば、PCはもちろんのこと、スマホからでも、十分にあつかうことができる。もし、PCを持っていないということであっても、特段に不利になることはなかったはずである。

こちらからの発信をLMSで受信して見ることができるなら、それほど高いハードルにはなっていないはずである。強いていうならば、そもそも、LMSを見ることができていない学生まで、相手にしてはいられないというのが、実情でもある。

ともあれ、結果的には、だいたい例年どおりの成績になった。普通に授業があったとしても、出席もしなければ、試験も受けないという学生が少なからず存在する。そのような学生までも、相手にはしていられないというのが、実際のところである。なんとか、試験をうける、あるいは、レポートを提出するということをはたしてくれるならば、どうにか対応を考えることもできる。

後期の授業がどうなるかわからない。もしオンライン授業が継続するとなった場合、前期と同様に四回程度のレポート(A4で一枚、1000字程度)の提出ということにするつもりである。それと、毎回のコメント(これは短いものにする)を、集めることにする。

しかし、前期がオンライン授業になって、その是非をめぐって、世間ではいろいろといわれているのだが、学生のPC利用の普及・向上、通信環境の整備、ということが各段に進んでいるという話しは、伝わってこない。いったいどうなているのだろうか。自分用のPCがあり、固定光回線などにつながっているという状況が、まだ実現していないようなら、やはりそれなりに配慮した対応を考えることにならざるをえないと思うのである。

2020年8月29日記

追記 2020-09-07
この続きは、
やまもも書斎記 2020年9月7日
オンライン授業あれこれ(その一九)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/09/07/9293018

オンライン授業あれこれ(その一七)2020-08-23

2020-08-23 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月22日
オンライン授業あれこれ(その一六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/16/9279025

後期からの授業については、とりあえず教室でという希望を出しておいた。だが、これも、今の情勢では、どうなるかわからない。少なくとも、京都や大阪あたりの状況は、終息に向かっているとは思えない。となれば、あるいは、後期もオンラインか、という気もしなくはない。ここは、学校からの連絡を待っていることにする。

ところで、前期の評価である。レポートの提出を再度チェックしてみたのだが、いろいろ考えて、オンライン授業になってしまったということを配慮することにした。とはいえ、すくなくとも、次の点については、原則的にゆずらない。

レポートの提出は、大学のメールシステムから送信すること。

メールのタイトルは、こちらの指定した形式にしたがうこと。

これらは、きわめて形式的なことである。だが、世の中、形式を守ることをふまえて、その先に内容の評価がある。それに、上記のような、形式を守ることは、そんなにハードルの高いことだろうか。少なくとも、スマホがあればできることである。技術的には、さほど問題ないと思う。要は、学生が、決められた形式を守る意識があるかどうか、ということになる。

そして、このことは、毎回、レポートの課題提示のときに、毎回くどく念をおして確認してきたことである。また、守っていないものについては、再提出を求めてきた。その確認のメールを見ていない、あるいは、それを見て再提出しない学生についてまでは、どうしようもないとしかいいようがない。

少なくとも、オンライン授業ということになっている以上、大学のLMSや電子メールは、毎日確認するのが、基本的な態度というものだろう。これができないということなら、こちらとしても、対応のしようがない。

そして、これらのことは、学生が卒業して就職するとして、その後にも基本的に重要な意味をもつことになるはずである。ある意味では、その最低限のルールを身につけて機会になっている。この最低限のルールを守ることを、なんとかして伝えるようにしたいとは思う。

2020年8月22日記

追記 2020-08-30
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月30日
オンライン授業あれこれ(その一八)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/30/9290266

オンライン授業あれこれ(その一六)2020-08-16

2020-08-16 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月9日
オンライン授業あれこれ(その一五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/09/9276805

ここ数日の京都や大阪の状況を見ていると、どうも後期から無事に教室で授業というわけにはいかないかもしれない。が、ここしばらくは、情勢を眺めているしかない。

前期、オンデマンド方式の授業をやってみた経験でいうならば、結果的には、教室で授業するのとかわらないかもしれない。いや、ある意味で本来の姿にもどって、勉強する意欲、意志のある学生が、きちんと学習するという形になっているとも言ってよいだろうか。

ただ、漫然と、時間割があって、決まった時間に、決まった教室に出てきて話しをきいている、すくなくとも、出席はしている……という状態ではなくなっている。このような散漫な状態で勉強した気になっているという学生を、振り落とすことになっている。

これを、プラスととらえるか、あるいは、マイナスととらえるかは、微妙なところである。

決まった時間割通りに学校に出てくることに意味がある、という立場からは、教育的にマイナスの評価にならざるをえない。しかし、そこに勉強への意志があるかどうか、ということで測ってみるならば、その気のない学生は、来なくてもいいとも言える。

そして、どうしても問題になるのが、学生のコンピュータ利用の実態。これまでの経験では、スマホも持っていない、PCも持っていない、しかし、勉強への意欲はある、という学生が、確かに存在している。このような学生にとっては、オンラインの授業というのは、厳しいことになっているにちがいない。このことは、やはり考えておく必用がある。

前期の間に四回のレポート課題とした。そのレポートを読む限りであるが、きちんと勉強している学生は、通常の授業をおこなったときと、そう変わらない。また、通常の授業があったとしても、例年、まったく授業に出てこない、試験も受けないという学生がいる。このような学生が、オンライン授業になったからといって、きちんと教材を読んでレポートを提出するとも思えない。厳しいようだが、そもそも教室に出てきてくれない学生の面倒までは、一介の教師としては、対応できることではない。オンラインの授業になって、そもそも学校のLMSを見ないような学生については、どうすることもできない。

もし、後期もオンライン授業になった場合には、さらにLMSなど活用して、学生とのコミュニケーションを取るようにしようとは思っている。これは、はっきりいって、かなりの負担にはなる。しかし、より多くの学生を、より無理なく、授業についてこれるようにするためには、可能な限りのことをするしかない。

前期のレポートは締め切った。ただ、形式的に不備のある学生については、特段の事情ということで、少し猶予をあたえて再提出の機会をもうけることにした。それを明日までということにしてあるので、それが過ぎてから、提出のあったレポートを再点検して、評価ということになる。

後期のことは、そのときになってから考えるしかない。

2020年8月14日記

追記 2020-08-23
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月23日
オンライン授業あれこれ(その一七)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/23/9281248

オンライン授業あれこれ(その一五)2020-08-09

2020-08-09 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年8月1日
オンライン授業あれこれ(その一四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274131

前期の授業は終わった。次週、最後のレポートの締め切り日。それを待って、評価・採点ということになる。

第四回目のレポートを提出してくる学生がいるのだが、さかのぼって過去のものを提出してきたりする。しかし、これを受け取ることはできない。

第一に、締切の期限を過ぎている。期限厳守というのは、基本的ルールである。

第二に、すでにレポートの講評という形で、何を書けばいいか正解を示してある。これを見ることができる状態で、レポートを受け取ることはできない。

ところで、やはり気になるのが、後期からのこと。COVID-19の感染の段階の基準が公表されたのだが、これにてらすと、どう考えても、京都や大阪は安心していられない。最悪の場合は、後期の授業もオンラインでということになりうる。どうやら今の情勢では、そうなりそうな公算が高いと言わざるをえない。

しかしながら、大学生のインターネット通信環境が劇的に改善されたという話しを聞かない。各自が、自分のコンピュータを持ち、光回線などで、インターネットにつながっているようになったということが達成できているのならいいのだが、そのような情報は入ってこない。

もし、仮に、後期から通常の授業ができるようになったとしても、大学生としての勉強にコンピュータとインターネットは必需品である。その認識を持っていてくれるだろうか。このあたりの情報がはいってこないのが、なんとももどかしいのだが……つまりは、コンピュータが使える学生はオンライン授業についてくることができた、しかし、そうではない学生は脱落していってしまった、ということなのかもしれない。学生にアンケートをとるとしても、そもそも、インターネットにつながっていないと、アンケートに回答すること、いやそれ以前にアンケートを見ることすらできないのが、実際のところである。

LMSを確認してみると、オンライン授業の方針を説明したメッセージを学生に送信したのが、4月16日である。このメッセージを、いまだに見ていない学生が少なからず存在する。つまりは、まったく、インターネットにアクセスできていないとしかいいようがない。このシステムは、スマホでも見ることができるのだが、スマホも持っていないか、あるいは、それを使って大学のホームページにアクセスしてみようという気がないか、ということなのだろう。

これは、もうどうしようもないとしかいいようがいない。

ともあれ、後期どうなるか、九月になってからの判断を待つしかない。

2020年8月8日記

追記 2020-08-16
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月16日
オンライン授業あれこれ(その一六)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/16/9279025

オンライン授業あれこれ(その一四)2020-08-01

2020-08-01 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月25日
オンライン授業あこれこ(その一三)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/25/9271484

水曜日ごとに教材の配信などしている。この週は、最後のまとめと、それから、四回目のレポート課題。

さきほど確認してみたところ、LMSを見ている学生の割合は、半分ほど。前期の授業もおわりにちかづいたので、LMSを確認しておこうという学生が、ちょっとは増えたのかもしれない。

しかし、すでに三回のレポートは締め切ってしまっている。また、それに対する講評……どんなことが書いてあればいいのか……について、示してある。遅れて提出しても、もう無理である。

四回のレポートの課題としたことは、ほぼ、例年の前期試験の問題の出題と重なっている。普通の授業ができたのと、おおむね同じ程度のことを、レポートに書いたことになる。これを、四回、きちんと提出してくれていれば問題ない。今のところ、まったく見当外れな内容のレポートというのはあまりない。

まあ、中には、配信した教材をまったく読まずに勝手に調べて書いたと思われるものがあったりしたが、そのようなものについては、その旨を注意しておいた。たしかに自分で本を読んだりして勉強することは悪いことではない。しかし、その前に、まずこちらが配信したことがらに目を通して、その上で何かを言うのでなければならない。

今のところ、夏休みあけ、後期のことはまったく不明としかいいようがないのだが、楽観的になる要因はほとんどない。現状のままで推移するなれば、たぶん、後期は、一部の授業を除いてオンラインで、ということになるだろう。

それにそなえて、学生の方が、インターネットの回線の整備とか、パソコンの準備とか、してくれているのならいいのだが、はたしてどうだろうか。依然として、スマホのまま。あるいは、スマホも持っていない。このような状況が継続するようなら、授業のライブ配信ということは、ためらってしまう。

それに、送信された画像を見て、それで授業を受けた気持ちになってしまうということも、また困ることである。これを考えてみるならば、教材資料をとにかく読んで、レポートを書くというのが、一番確実に学習につながる方式ではあるのかとも思う。

ともあれ、後期からの授業がどうなるかは、その時になって考えることにする。

その前に、最後のレポートをきちんと提出してくれるのを待っていることにする。その上で、これまでに提出されたものを、再度チェックして採点・評価ということになる。

2020年7月31日記

追記 2020-08-09
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月9日
オンライン授業あれこれ(その一五)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/09/9276805

オンライン授業あこれこ(その一三)2020-07-25

2020-07-25 當山日出夫(とうやまひでお)

続きである。
やまもも書斎記 2020年7月11日
オンライン授業あれこれ(その一二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/07/11/9266868

あきらかに、脱落していく学生が増えてきているのが分かる。

そもそも、最初の段階で、大学のLMSを見ていない学生がかなりいた。最初に、オンラインでの教材配信の方針などを、学生にLMSで通知したのは、四月のことである。これを、まず見ていない学生がすくなからずいる。

その後、これまでにレポートが三回。その提出も、だんだん減ってきている。

そんなにハードルの高いことを課しているだろうか。だいたい、四回に一回程度のレポート。A4用紙に一枚(ワープロで作成の場合)、およそ一〇〇〇字程度のレポートである。

配信している教材は、A4用紙で四ページが基本。本来の授業があったときのプリントに、説明を加えたものである。これなら、たとえ、スマホしか持っていないという学生であっても、あるいは、インターネットの通信環境が整っていない学生であっても、さほど無理なく、より公平なかたちで、より多くの学生に、教材をとどけられる。

しかし、授業のライブ配信のようなことはしていない。そうしてもよかったのかもしれないが、四月の時点で、学校からオンライン授業の方針説明があったとき、ライブ配信は推奨しないということだった。学生のインターネット通信環境など総合的に判断して、教材プリントの配信とレポートということにした。

学生への連絡は、大学のLMSである。これを見ていない学生の数が増えてきている。他の科目でも、同じようにLMSを使っているはずなので、私の担当している授業だけ見ていないということはないはずである。おそらくは、他の授業においても、LMSの閲覧は減ってきているのだろうと推測する。

とはいえ、提出されたレポートを読む限りであるが、レポートを提出している学生については、きちんと学習していることが分かる。これは、昨年度まで、通常の教室の授業があったときのレポートや、答案などのことを思ってみると、そのレベルは向上している。

結果的には、授業について来れる学生と、そうではない学生の差が開いてしまった、ということになるのだろう。

さて、来週で最後になる。前期のまとめと、最後の四回目のレポートである。レポートは四回ということは、四月の時点で、学生には通知してある。この方針を変えることはない。

ところで、後期はどうなるだろうか。このまま、COVID-19が終息することは、どう考えても無理だろう。ある程度の感染者が出続けるなかで、授業の再開ということになるかと思っている。履修の学生は、およそ一〇〇名ほど。距離をあけて着席するということになると、かなり大きい教室を用意しなければならない。これが、どうなるか、今のところ判断できない。

学生にも、また、教える側としても無理のない範囲で、ことをすすめたいと思っている。

2020年7月24日記

追記 2020-08-01
この続きは、
やまもも書斎記 2020年8月1日
オンライン授業あれこれ(その一四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/08/01/9274131

『ことばの危機』東京大学文学部広報委員会(編)2020-07-18

2020-07-18 當山日出夫(とうやまひでお)

ことばの危機

阿部公彦・沼野充義・納富信留・大西克也・安藤宏 東京大学文学部広報委員会(編).『ことばの危機-大学入試改革・教育改革を問う-』(集英社新書).集英社.2020
https://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/1024-b/

東京大学で、昨年(二〇一九)に行われたシンポジウムを書籍化したものである。内容的には、国語教育改革批判の本である。が、そこは、東大でやっただけのことはある。そうそうたるメンバーでなりたっている。

論点として、そうきわだって目新しい論点のあるという本ではないが、しかし、それぞれの専門分野の第一人者の語っていることだけに、その意味では説得力のある本になっている。

詠みながら、付箋をつけた箇所を一箇所だけ引用しておく。

「ルールを切り替えることで全く新しい世界を導き入れるという行為は、人間の知性の根幹をなすものです。自分が慣れ親しんだ文脈でしか生きていない人は、異なる環境に適応することができませんし、異なる環境から来た人にも上手に対応できない。」(p.49)

第一章 「読解力」とな何か――「読めていない」の真相をさぐる 阿部公彦

ここで、やや強引になるかもしれないが、「古典は本当に必用なのか」の議論にひきつけて考えてみる。まさに「古典」で学ぶのは、過去の日本である。その考え方、心情について、触れることになる。それは、現代とは異質なものである。だが、しかし、一方で、現代にも通じる普遍性をももっている、そのようなものが「古典」ということになる。まさに「古典」を学ぶということは、今の自分とは異なる世界との対話であるといっていいだろう。

現代いわれている社会のグローバル化ということがある。このときに、必用になるのは、自分とは異なる価値観、世界観、人生観を持った人びととどのようにつきあっていくかということになる。このときに、多様な価値観に対応できる柔軟な発想がもとめられる。それを涵養するものが、まずは、文学教育であり、「古典」の教育である……このように考えてみるのだが、これは、牽強付会にすぎるだろうか。

数学や自然科学の分野の普遍性も重要だろう。だが、その一方で、文化や芸術といった分野の多様性を帯びながらも、それをつきつめていくところにある普遍性というものへの認識も重要であると、私は思う。

それから、この本で面白かったところを、もう一つ書いておく。

第三章 ことばのあり方 納富信留

ここで、「論理国語」への批判として、次のようなことを言っている……論理学という学問は実利には役にたつものではない……やはり、ここは、ことばと論理ということについて、改めてたちどまって考える必用があると思うのである。

「古典は本当に必用なのか」ということを考えるうえで、読んで損のない本だと思う。

やまもも書斎記 2019年1月18日
「古典は本当に必要なのか」私見
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/01/18/9026278

2020年7月7日記