絵文字:文字の身体性というべきもの ― 2009-01-02
2008/12/31 當山日出夫
もろさんのブログや、小形さんのブログでも、「絵文字」のことが話題になっている。
もろ式:読書日記
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20081231/p1
もじのなまえ
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20081202/p1
ところで、以下の二つの文章を見て、どう感じるであろうか。
日本国民ハ、正当ニ選挙サレタ国会ニオケル代表者ヲ通ジテ行動シ、ワレラトワレラノ子孫ノタメニ、諸国民トノ協和ニヨル成果ト、ワガ国全土ニワタツテ自由ノモタラス恵沢ヲ確保シ、政府ノ行為ニヨツテ再ビ戦争ノ惨禍ガ起ルコトノナイヤウニスルコトヲ決意シ、ココニ主権ガ国民ニ存スルコトヲ宣言シ、コノ憲法ヲ確定スル。ソモソモ国政ハ、国民ノ厳粛ナ信託ニヨルモノデアツテ、ソノ権威ハ国民ニ由来シ、ソノ権力ハ国民ノ代表者ガコレヲ行使シ、ソノ福利ハ国民ガコレヲ享受スル。コレハ人類普遍ノ原理デアリ、コノ憲法ハ、カカル原理ニ基クモノデアル。ワレラハ、コレニ反スル一切ノ憲法、法令及ビ詔勅ヲ排除スル。
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
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いうまでもなく、日本国憲法の前文の冒頭部分である。このアイデア、別に隠すことでもない。『猿蟹合戦とは何か』(清水義範、ちくま文庫)、によっている。実は、この作品は、『騙し絵 日本国憲法』(集英社文庫)で、すでに読んでいる。『二十一の異なるバージョンによる前文』
今回、ちくま文庫版における著者の解説には、次のようにある。
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(この作品は)平仮名を片仮名にするだけで大日本帝国憲法みないな印象になるね、(後略)(p.411)
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いろんな表現はできるであろうが、文字、というものの持つ、純粋な言語ではない側面。文字が、ある視覚的な形を得た時に獲得してしまう、なにものかがある、ということはいえそうである。(このあたり、特に、小松英雄や石川九楊に依拠しているわけではない。)
この意味では、絵文字というのは、文字がもっている、このような方向性を極端におしすすめていった先に現れるものである、と考えられる。さらに個人的には、絵文字については、甲骨文字などを視野にいれたアプローチがあると思う。少なくとも、文字をつくっている、のであるから。
逆に言えば、「純粋な文字」とは、あり得るのだろうか、という問いかけになる。こう考えると、「キャラ」「キャラクター」論になっていきそうである。
ともあれ、年頭にあたり、こんなことを考えてみた。
なお、上記の日本国憲法。オリジナルは、国立国会図書館のHPからコピーしたもの。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html
これを、MS-Wordの編集画面で、「平仮名」を「片仮名」に変換しただけ。もともと、日本国憲法に著作権はない。しかし、それを、片仮名で表記するとどうなるか、というアイデアは、清水義範のものである、ということは明記しておきたい。
當山日出夫(とうやまひでお)
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