『ねじまき鳥クロニクル』(第3部)村上春樹2019-04-25

2019-04-25 當山日出夫(とうやまひでお)

ねじまき鳥クロニクル(3)

村上春樹.『ねじまき鳥クロニクル』(第3部 鳥刺し男編)(新潮文庫).新潮社.1997(2010.改版) (新潮社.19954)
https://www.shinchosha.co.jp/book/100143/

続きである。
やまもも書斎記 2019年4月20日
『ねじまき鳥クロニクル』(第2部)村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/20/9061932

第三部まで読んで思うことは次の二点だろうか。

第一に、やはりこの第三部になっても登場することになる井戸。井戸は、この世とあの世、この世界と別の世界、異界との境界である。であると同時に、また、胎内のイメージもある。この井戸の中に入ることが、この第三部でも、重要なモチーフになっている。

この今自分のいる世界とは別の世界が、日常のすぐ傍らにある、このことの文学的イメージを象徴しているのが井戸ということになるのだろう。

第二に、この世界が解体していくような不思議な感覚である。この小説は、あまり脈絡のないようないくつかの物語からなっている。それらの物語の相互の関係がどうなのか、最後まで不明のままである。これはこれでいいのだと思う。そうではなく、この世界というものが、実は、様々な物語に解体できてしまうものであること、このことの文学的表現として理解すべきであろう。

以上の二点が、『ねじまき鳥クロニクル』を読んで思うことである。

前にも書いたが、村上春樹という小説家は、現代において、芸術としての文学を書ける希有な作家であると思う。『ねじまき鳥クロニクル』全編をとおして、ひとつの芸術的世界を構築している。それは、現実と思われているこの世界を、分解して解体していく、バラバラにしていく、そして、それぞれの世界から再度、この世界をプリズムを通すようににして見る視線。それは、ある場合には、時空が歪んでいるかのごとくであるが、それは、村上春樹の書いた物語のプリズムを通して見ているからである。

次は、『ノルウェイの森』を読むことにしよう。

追記 2019-04-26
この続きは、
やまもも書斎記 2019年4月26日
『ノルウェイの森』(上)村上春樹
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2019/04/26/9064561

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