『麒麟がくる』あれこれ「将軍の涙」2020-03-31

2020-03-31 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第十一回「将軍の涙」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/11.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年3月24日
『麒麟がくる』あれこれ「ひとりぼっちの若君」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/24/9227620

この回においても光秀は、歴史の目撃者という位置だったかと思う。見ていて思ったこととしては、次の二点だろうか。

第一には、戦国大名の争乱と内紛。

美濃、三河、尾張、それから、今川のそれぞれの覇権あらそい。また、美濃の国の内部においても、父と子の間で確執が深まっているようだ。そんななかにあって、光秀は、特に歴史の重要局面の表舞台で活躍するということはない。むしろ、歴史の主人公たち……信長、道三、今川、竹千代(家康)……の間にあって、それぞれの動きを見聞きする立場でいる。さらに、光秀の立場としては、京の将軍(義輝)ともつながっていることになる。

この歴史の目撃者、裏方的存在としての光秀の視点から見た、戦国のドラマが展開されていると思った。

第二には、将軍の義輝の思い。

武家の棟梁としての将軍の立場について、義輝がかたっていた。また、ここには、武士とは何であるかとという問いかけもあった。それについて、このドラマは、まだ答えを出していない。また、光秀も、その答えを見つけてはいないようである。

あるいは、光秀が武士の本領を発揮したときが、本能寺の変ということになるのかもしれない。そして、はたして「麒麟」はあらわれるのだろうか。

以上の二点が、この回を見て思ったことなどである。

さらに書いてみるならば、今川義元の描き方が、以前の『おんな城主直虎』で登場した、いかにも京の公家風の今川とは、がらりと変わって、いかにも戦国武将という感じであった。このような今川義元の描き方もあっていいかと思う。とすると、桶狭間の戦いは、どのようなものとして描かれることになるのだろうかと思う。

それにしても、このドラマ、いつまで天文のころのことをやっているのだろうか。オリンピックが中止になって、放送回数が増えるかもしれないのだが、この調子で進んでいって、無事に本能寺の変までいくのだろうか、今後の展開が気になるところでもある。

2020年3月30日記

追記 2020-04-07
この続きは、
やまもも書斎記 2020年4月7日
『麒麟がくる』あれこれ「十兵衛の嫁」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/04/07/9232519