『スカーレット』あれこれ「炎は消えない」2020-03-29

2020-03-29 當山日出夫(とうやまひでお)

『スカーレット』最終週「炎は消えない」
https://www.nhk.or.jp/scarlet/story/

前回は、
やまもも書斎記 2020年3月22日
『スカーレット』あれこれ「小さな希望を集めて」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/03/22/9226839

このドラマも終わった。結局、武志は助かることはなかった。が、その陶芸作品は残った。また、喜美子は、再び陶芸家としての道を歩むことになる。

『スカーレット』というドラマについて、次の二つのことを考えてみる。

第一には、女性陶芸家という存在。

陶芸という分野において、女性陶芸家として名をなすまでにいたる、喜美子の道のりとみることもできよう。幼いときに信楽にやってきて、一度大阪に仕事に行くものの、再び信楽にもどって陶芸の分野で仕事をするようになる。そして、穴窯で、独自の作風を作りあげる。

この女性陶芸家としての生き方を、このドラマは、丁寧に描いていたと思う。この意味では、朝ドラの常道を行く作りであったといえるだろう。

第二には、その家族のこと。なかんずく、子どもの武志の病気のこと。

ドラマの終盤は、途中では異例ともいうべきスピンオフをはさんで、子どもの武志の病気……白血病……のことがメインであった。その病気の子どもをもった、母親の気持ち、周囲の人びとの気持ち、このあたりのことを、じっくりと描いていたと感じる。

最終的に武志は亡くなるのであるが、これはこれで、このドラマの作り方であると思う。武志は死ぬことになるが、日常が無くなることはない。日々の生活があり、また、陶芸家としての創作の道も歩んでいくことになる。この変わることのない日常というもののいとおしさが、このドラマの真骨頂であったと感じる。

以上の二点が、半年のドラマが終わって感じることである。

ドラマがスタートして、しばらくしてから舞台が大阪の下宿屋に移ったとき、はたしてこのドラマはどうなるのだろうかと思ったものである。だが、そこに登場してきた人びとも、最後には、喜美子を支える人びととして、それぞれに重要な役割をはたすことになった。大阪の荒木荘での生活があってこその、陶芸家の喜美子の存在があり得たというべきであろう。

さて、来週からは、『エール』である。おそらく音楽を通して、「昭和」という時代を描くことになるのだろうと思う。これも、楽しみに見ることにしよう。

2020年3月28日記