世界サブカルチャー史「特別編 戦争と大衆の百年」2024-04-10

2024年4月10日 當山日出夫

世界サブカルチャー史 特別編 戦争と大衆の百年

「世界サブカルチャー史」は、以前、BSで放送していたときは、かなり見ていた。ただ、見ていて不満に思うことがある。それは、おそらくは著作権の関係なのだろうが、テレビや漫画などの紹介がかなり限定的であるということである。見ていて、なにかもどかしいのである。特にそれを強く感じたのは、日本の一九七〇年代をあつかったとき。BSの放送を見ていたが、山口百恵のことが一切出てきていなかった。これはどうかなと思って見ていた。

そのような事情があって、Eテレに放送が移って、そう興味をひくことなく過ぎていたのだが、この特集は見ておきたいと思って録画した。

サブカルチャーから戦争をとらえる、この発想は一つの方法としてありうることだと思う。実際の戦争がどうであるか、あったか、ということとは別に、それが社会の人びとにどのように受けとめられてきたのか、戦争観の変遷というようなことは、サブカルチャーを通してしか見ることのできないものかもしれない。

私は、一九五五年(昭和三〇)の生まれなので、昭和三〇年代の少年漫画雑誌の誕生のころが、ちょうど小学生のころだった。「少年マガジン」や「少年サンデー」の世代ということになる。番組でも語っていたように、この時代、少年漫画雑誌で、戦争は大きなテーマだった。戦記漫画というべき作品が多くあった。

また、テレビドラマの「コンバット」は見ていた。サンダース軍曹のことは、はっきりと憶えている。そのテーマ曲は未だに忘れない。

プラモデルで、戦闘機や軍艦を作ったこともある。

かなり前のことになるが、近所の書店で、「紫電改のタカ」の文庫本を売っていたので買った。それから、望月三起也も買った。第二次世界大戦のとき、ヨーロッパ戦線で従軍した日系人兵士のことをあつかっている。このことは、子どものときに漫画で憶えた。このような経験の人は多いのではないか。

これらを買ったのは、自分がなつかしくて読みたいと思ったこともあるが、子どもがちょうど小学生のころだったので、これらの漫画は読んでおいてもいいかと思うところもあった。戦争漫画だからといって、戦争を肯定的に描いているばかりではない。その底にヒューマニズムを感じる作品もある。

さて、今、漫画研究の分野では、昭和三〇年代の少年漫画雑誌で描かれた戦争ということに、どのような研究があるのだろうか。私は漫画研究にはまったく疎いので知らないでいるのだが、このあたりのことは興味がある。

そして現代である。SNSとスマートフォンの普及により、戦争は一変したと言っていいだろう。ウクライナでの戦争でも、イスラエルのことでも、まさにリアルタイムで戦地の様子が、世界に拡散する。また、それを前提として、戦争が行われている。

番組では使っていなかったが、ハイブリッド戦争という。この時代にあっては、スマートフォンのゲームも、また、戦争の一端に組み込まれる時代がきていることになる。

また、番組ではここまでは言及していなかったこととして、AIによるフェイク情報もありうる。これが、サブカルチャーの中に流れ込んできたとき、戦争をとりまく人びとの感覚は、どのようなものになっていくだろうか。

2024年4月1日記

ドキュメント20min.「わたし、【終活】しています。」2024-04-10

2024年4月10日 當山日出夫

ドキュメント20min. わたし、【終活】しています。

終活を考える若者というのが、どうもイメージできないでいたのだが、見ると、なるほど今の若い人たちは、こんなことを考えて生きているのか、とふと感じるところがある。

一つには、いわゆる生きづらさというものなのかもしれない。今の世の中で、贅沢な暮らしをしたいというのではないようだ。いや、富を得るということが、もはや絶望的な時代になってきているともいえるだろうか。格差の増大、富の偏在という世界に今はなってきている。そのなかで、ミニマリストとして生きている。生きていくために必要最低限のことはなにか、ということを考えることが、自分の死んだ後のことを考えることにつながっているのかとも思う。

それから、登場していた若い人たちは、映像で見る限りは独身のようだ。これが、結婚して子どもがいて、となると、また考え方も変わってくるかなとも感じるところもある。あるいは、さらに考えてみるならば、とおい将来の日本の人びとのことを考える、ということもありうるのかもしれないが、そのような感じはしない。あえて悪くいえば、今のことを考えている。しかし、今の時代に生きるということは、そういうことなのかもしれないとは思う。

私も、老人となっている。いろいろと考えることもある。

2024年4月9日記