国立公文書館と近代国家2009-09-28

2009-09-28 當山日出夫

先日の、ある会合での、高山正也さん(現在の、国立公文書館長)の話し。記憶では、このようなことがあった。

中国で、(たしか)東アジアの国立公文書館長の集まる会議があった。そこに出席して、中国の、その立場の人は、数分しかいなかった。その理由は、政府で重要な国家の会議があるので、そこに出席しなければならないので、ということ。これを言い換えるならば、国立公文書館長というのは、それだけ国家にとって重みのある職である。では、日本の場合どうか。ようやく、公文書管理法は成立したが・・・

うろおぼえで恐縮だが、以上のようなエピソードであった記憶する。

アーカイブズ学について、初歩的な教科書類を読んでみても、近代的なアーカイブズの成立は、近代の国民国家の成立と軌を一にする、という趣旨のことが書いてある。広義のアーカイブズになれば、古代までさかのぼることになる。しかし、現在の世界でおこなわれている、アーカイブズという仕事は、近代社会とワンセットのことがら。

このあたり、もろさんのブログ もろ式:読書日記

民主党政権下におけるデジタルアーカイブ政策の行方 (2)
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090926/p1

に書かれていることと関連する。

ひとつは、近代国家としての文書管理について。さらには、その「近代国家」の基盤として、どの文書を必要とするかという点において。その取捨選択において、歴史的経緯、また、国境、というものがある。

このような視点から見たとき、中国では何を公文書としているか、これこそ、まさに中国の姿にほかならないであろう。

では、日本ではどうか。何を公文書として、国家のアイデンティティの基盤となる文書資料(史料)として、認定し、永久保存の対象とするか。その価値基準は何であるか。

公文書管理とは、まさに政治の問題である。

當山日出夫(とうやまひでお)

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