『麒麟がくる』あれこれ「美濃の国」2020-02-04

2020-02-04 當山日出夫(とうやまひでお)

『麒麟がくる』第三回「美濃の国」
https://www.nhk.or.jp/kirin/story/3.html

前回は、
やまもも書斎記 2020年1月28日
『麒麟がくる』あれこれ「道三の罠」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/01/28/9207333

この回で描いていたのは、戦国の武将たちの権謀術数といっていいだろうか。

美濃の国の支配権をめぐって、土岐頼芸と斉藤道三の確執、さらに、斎藤道三とその子どもの高政との関係。その美濃に対しては、尾張の織田が関心をしめし、さらには、東からは今川がやってくる。このような状況のなかで、このドラマの主人公である明智光秀は、どのような生き方を選ぶことになるのだろうか。

武士としての忠誠心ということならば、主君筋である土岐に対してということになる。だが、その土岐の家も一つにはまとまっていない。そして、まだドラマには登場してこないが、いずれ、足利将軍も出てくれば、織田信長も出てくるであろう。そのような登場人物たちのなかで、光秀の生きる道はどのようなものなっていくのであろうか。

ところで、この回を見て思ったことであるが……この『麒麟がくる』では、女性の登場人物について、特に違和感の無い限り、床に座るとき立て膝で座るように演出しているようである。深芳野が化粧をする場面がそうであったし、また、斎藤の屋敷でのシーンでもそうだった。帰蝶も傷の手当ての場面では、立て膝だった。(これは、時代考証としては、立て膝で座るのがあっていると思う。)

また、このドラマには、架空の登場人物も出てくる。駒がそうであるし、菊丸もそうである。これら、武士ではない人間……いわば庶民といってもいいだろうか……のつかうことばが、ちょっと気になる。武士ではないから、(時代劇語としての)武士ことばはつかっていない。だが、その地方の方言というのでもない。現代の標準的な日本語に近い。だが、特に、その社会的階層を意識させるようなことばはつかっていない。

それから気のついたこととしては、この回では「国衆」ということばが出てきていた。「国衆」を軸にしたドラマとしては、以前の『真田丸』がある。さて、これから、光秀が生きていくなかで、「国衆」としてどのような生き方を模索することになるのであろうか。

強大な戦国大名たちが覇権をあらそう時代において、光秀は自分の生き方を考えていくことになるのだろう。次回は、尾張が舞台になるようだ。楽しみにみることにしよう。

2020年2月3日記

追記 2020-02-11
この続きは、
やまもも書斎記 2020年2月11日
『麒麟がくる』あれこれ「尾張潜入指令」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2020/02/11/9212461

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