「有吉佐和子スペシャル (3)老いてなお輝きわたる尊厳」 ― 2024-12-18
2024年12月18日 當山日出夫
100分de名著 有吉佐和子スペシャル (3)老いてなお輝きわたる尊厳
『恍惚の人』は、今から半世紀ほど昔の作品である。若いときに読むのと、年取ってから読むのとでは、感じ方は大きく異なってくるにちがいない。ただ、社会全体の流れとしては、認知症ということについて理解がある程度すすみ、社会としての老人福祉の体制も、徐々にではあるが整備されてきたということはある。
私の年になって考えることは、介護される側の立場である。
老人介護というと、多くの場合、介護する立場から議論されることが多い。特に、それが女性の役割とされることへの、さまざまな議論がある。
これからの社会、人口の減少、高齢者の率の増加、ということは必然である。そうなると、介護というのは、それをする立場だけではなく、いずれは、ほとんどの人間がされる立場になる、ということを考えなければならなくなる。
このとき、やはり問題となるのは、認知症になった人は、いったい何を感じ、何を思っているのだろうか……ということである。たぶん、これから最も考えなければならないことは、その当事者本人の気持ち、ということになるべきだろうか、と今のところは思っている。
2024年12月17日記
100分de名著 有吉佐和子スペシャル (3)老いてなお輝きわたる尊厳
『恍惚の人』は、今から半世紀ほど昔の作品である。若いときに読むのと、年取ってから読むのとでは、感じ方は大きく異なってくるにちがいない。ただ、社会全体の流れとしては、認知症ということについて理解がある程度すすみ、社会としての老人福祉の体制も、徐々にではあるが整備されてきたということはある。
私の年になって考えることは、介護される側の立場である。
老人介護というと、多くの場合、介護する立場から議論されることが多い。特に、それが女性の役割とされることへの、さまざまな議論がある。
これからの社会、人口の減少、高齢者の率の増加、ということは必然である。そうなると、介護というのは、それをする立場だけではなく、いずれは、ほとんどの人間がされる立場になる、ということを考えなければならなくなる。
このとき、やはり問題となるのは、認知症になった人は、いったい何を感じ、何を思っているのだろうか……ということである。たぶん、これから最も考えなければならないことは、その当事者本人の気持ち、ということになるべきだろうか、と今のところは思っている。
2024年12月17日記
ドキュメント72時間「都会の格闘技ジムで」 ― 2024-12-18
2024年12月18日 當山日出夫
ドキュメント72時間 都会の格闘技ジムで
東京の中野だから、こういうジムがなりたつのかなと思う。中央線、東西線で、通勤しているような人たちが利用するのだろうが、そのほとんどが初心者で、半分ほどが女性というのは、まさに、東京の街中の中のジムだからだろう。
番組のなかで、キックボクシングと言っていたが、このことばは、久しぶりに聞いたように思う。近年では、ほとんど使わなくなった(強いていえば、使えなくなった)ことばと認識している。
余計なことだが、昭和三〇年(一九五五)生まれの私としては、ちょうど小学生から中学生ぐらいのころだったろうか、テレビでキックボクシングを放送していた。これは、かなり見たかと憶えている。
学生のときは東京の目黒に下宿していたが、目黒駅から権之助坂を下っていく途中に目黒ジムがあった。
子どもが小さいとき、ちょうど任天堂がポケモンの最初のバージョン(赤と緑)を出した。このときの、一五一匹のポケモンのなかに、サワムラー、というのがいたけれども、たぶん、子どもにはそのことばの由来が分からなかったはずである。私も、特に説明したということも、憶えていない。
中野のジムであるが、総合格闘技ジムということであるが、リングは設置していない。ここでは、試合をするというところまではいかないのだろう。だが、上級者クラスには、プロの選手も来ているという。
それにしても、いろんな人が、このジムに来ている。かなりの高齢者もいれば、最後には、子どもたちもいた。その理由も様々である。ともあれ、体を動かすことのできる場所としては、価値のあるところということになる。今では、住宅地の公園で、こんなに激しく体を動かす運動はできないにちがいない。
そういえば、以前に五反田のプロのボクシングのジムをあつかった回で、プロにまじって、一般の利用者が多くいたことを思い出す。東京のなかにあって、このような場所を必要する人は多いのだろう。
2024年12月14日記
ドキュメント72時間 都会の格闘技ジムで
東京の中野だから、こういうジムがなりたつのかなと思う。中央線、東西線で、通勤しているような人たちが利用するのだろうが、そのほとんどが初心者で、半分ほどが女性というのは、まさに、東京の街中の中のジムだからだろう。
番組のなかで、キックボクシングと言っていたが、このことばは、久しぶりに聞いたように思う。近年では、ほとんど使わなくなった(強いていえば、使えなくなった)ことばと認識している。
余計なことだが、昭和三〇年(一九五五)生まれの私としては、ちょうど小学生から中学生ぐらいのころだったろうか、テレビでキックボクシングを放送していた。これは、かなり見たかと憶えている。
学生のときは東京の目黒に下宿していたが、目黒駅から権之助坂を下っていく途中に目黒ジムがあった。
子どもが小さいとき、ちょうど任天堂がポケモンの最初のバージョン(赤と緑)を出した。このときの、一五一匹のポケモンのなかに、サワムラー、というのがいたけれども、たぶん、子どもにはそのことばの由来が分からなかったはずである。私も、特に説明したということも、憶えていない。
中野のジムであるが、総合格闘技ジムということであるが、リングは設置していない。ここでは、試合をするというところまではいかないのだろう。だが、上級者クラスには、プロの選手も来ているという。
それにしても、いろんな人が、このジムに来ている。かなりの高齢者もいれば、最後には、子どもたちもいた。その理由も様々である。ともあれ、体を動かすことのできる場所としては、価値のあるところということになる。今では、住宅地の公園で、こんなに激しく体を動かす運動はできないにちがいない。
そういえば、以前に五反田のプロのボクシングのジムをあつかった回で、プロにまじって、一般の利用者が多くいたことを思い出す。東京のなかにあって、このような場所を必要する人は多いのだろう。
2024年12月14日記
「最古の巨石遺跡が語る文明の起源」 ― 2024-12-18
2024年12月18日 當山日出夫
フロンティア 最古の巨石遺跡が語る文明の起源
まず番組の中で言っていなかったことが気になる。このトルコの遺跡は、チグリス・ユーフラテス古代文明などの、周辺の古代文明とかかわりがあるのか、ないのか、ということである。それを考古学として、さらには人類の歴史として、証明することができるとすれば、もっと発掘が進んでからのことになるにちがいない。
狩猟採集民から定住農耕民への変化というのが、これまでの世界史、人類史のおおきな流れとして理解されてきたわけだが、それに見直しをせまることになる。農耕をしない狩猟採集民が定住して、巨大な石の文明をきずいたことになる。
全体としての流れは、移動する狩猟採集から、定住の農耕へということになるかと思うが、しかし、人類の歴史としては、移動する人びとというのは、その後の歴史を通じていたことはたしかである。そのなりわいが、狩猟採集から、商業への変化はあったにはちがいないが、人間が定住することだけが、人間の文化や文明ではない、という認識も必要なことかもしれない。
近代になってからの政治思想、特に社会契約説の基本にある考え方として、原初状態にある人間ということを考えている、ということは常識的なことかと思う。このとき、原始的な段階の人間の生活としてイメージするのが、その当時の西欧に知られていた、アメリカインディアン(このことばは今ではつかわないことばになっているが)であり、アフリカの原住民(このような言い方も今ではしないが)であったことは、言われていることだろう。
そして、このような人びとの生活についての認識が、考古学的なむかしの人びとの生活がどんなであったかというところに、投影されることになる……このように考えているのだが、どうだろうか。学問史としても、考古学や文化人類学などの研究は、古くは人類学というような大きなくくりのなかにあったと認識している。
農耕、植物の栽培の起源ということと、狩猟採集の時代に、古代の人びとが自然にある植物をどのようにして収穫して食べていたのか、ということは違うことになるのかと思う。このあたり、考古学や文化人類学などの分野では、どのように考えられているのだろうか。大きくは、人間は何をどのようにして食べてきたのかということの歴史になる。
小麦があれば、あんなに簡単にビールが作れるものかと、驚いた。(どうでもいいことだが、これまでの経験上、考古学者と一緒に酒は飲まない方がいい。たしかに、とても豪快であるのだが。)
番組を見て思ったことの一つに、むかしむかしの人びとは平等であったが、集団で組織を作って生活するようになると、階級分化がはじまり、富と権力が集中することになり、巨大な建造物が生まれる……このような理解は、半分はそうだろうなあと思うが、もうすこし違う考え方はできないものかとも、思うことになる。人類の歴史の大きなステップであり、謎である。原始共産制というようなことを信じている人はもうあまりいないとは思うのだけれど。(その他には、言語の成立とか、宗教の成立とか、ということがある。)
遺跡からは人骨が発見されていた。当然ながら、DNA鑑定することになるだろう。地球全体としての人類の歴史を考えることができるようになっている、と理解していいだろう。その全体像が見えるようになるには、まだ時間がかかるかもしれないが。
古代遺跡において、人間をどう表現するかという問題は興味深い。抽象的な表現から具体的な表現になったことで、人間を中心とした世界観に変わってきた、ということだったが、どうなのだろうか。このことの延長としては、日本における、土偶や埴輪など……これは最近になって話題のテーマであるが……を、どう考えるかということとも関連することだろう。
それからどうでもいいことだが、考古学という研究分野においては、その遺跡を誰が掘ることになるのか、その利権とまではいわないが、縄張り意識というか、仲間内の仁義というか、このようなことはあるのだろうと思う。(私のかかわってきた、日本の古典籍の研究の分野でも、それに近いようなことがないとはいえない。)
2024年12月15日記
フロンティア 最古の巨石遺跡が語る文明の起源
まず番組の中で言っていなかったことが気になる。このトルコの遺跡は、チグリス・ユーフラテス古代文明などの、周辺の古代文明とかかわりがあるのか、ないのか、ということである。それを考古学として、さらには人類の歴史として、証明することができるとすれば、もっと発掘が進んでからのことになるにちがいない。
狩猟採集民から定住農耕民への変化というのが、これまでの世界史、人類史のおおきな流れとして理解されてきたわけだが、それに見直しをせまることになる。農耕をしない狩猟採集民が定住して、巨大な石の文明をきずいたことになる。
全体としての流れは、移動する狩猟採集から、定住の農耕へということになるかと思うが、しかし、人類の歴史としては、移動する人びとというのは、その後の歴史を通じていたことはたしかである。そのなりわいが、狩猟採集から、商業への変化はあったにはちがいないが、人間が定住することだけが、人間の文化や文明ではない、という認識も必要なことかもしれない。
近代になってからの政治思想、特に社会契約説の基本にある考え方として、原初状態にある人間ということを考えている、ということは常識的なことかと思う。このとき、原始的な段階の人間の生活としてイメージするのが、その当時の西欧に知られていた、アメリカインディアン(このことばは今ではつかわないことばになっているが)であり、アフリカの原住民(このような言い方も今ではしないが)であったことは、言われていることだろう。
そして、このような人びとの生活についての認識が、考古学的なむかしの人びとの生活がどんなであったかというところに、投影されることになる……このように考えているのだが、どうだろうか。学問史としても、考古学や文化人類学などの研究は、古くは人類学というような大きなくくりのなかにあったと認識している。
農耕、植物の栽培の起源ということと、狩猟採集の時代に、古代の人びとが自然にある植物をどのようにして収穫して食べていたのか、ということは違うことになるのかと思う。このあたり、考古学や文化人類学などの分野では、どのように考えられているのだろうか。大きくは、人間は何をどのようにして食べてきたのかということの歴史になる。
小麦があれば、あんなに簡単にビールが作れるものかと、驚いた。(どうでもいいことだが、これまでの経験上、考古学者と一緒に酒は飲まない方がいい。たしかに、とても豪快であるのだが。)
番組を見て思ったことの一つに、むかしむかしの人びとは平等であったが、集団で組織を作って生活するようになると、階級分化がはじまり、富と権力が集中することになり、巨大な建造物が生まれる……このような理解は、半分はそうだろうなあと思うが、もうすこし違う考え方はできないものかとも、思うことになる。人類の歴史の大きなステップであり、謎である。原始共産制というようなことを信じている人はもうあまりいないとは思うのだけれど。(その他には、言語の成立とか、宗教の成立とか、ということがある。)
遺跡からは人骨が発見されていた。当然ながら、DNA鑑定することになるだろう。地球全体としての人類の歴史を考えることができるようになっている、と理解していいだろう。その全体像が見えるようになるには、まだ時間がかかるかもしれないが。
古代遺跡において、人間をどう表現するかという問題は興味深い。抽象的な表現から具体的な表現になったことで、人間を中心とした世界観に変わってきた、ということだったが、どうなのだろうか。このことの延長としては、日本における、土偶や埴輪など……これは最近になって話題のテーマであるが……を、どう考えるかということとも関連することだろう。
それからどうでもいいことだが、考古学という研究分野においては、その遺跡を誰が掘ることになるのか、その利権とまではいわないが、縄張り意識というか、仲間内の仁義というか、このようなことはあるのだろうと思う。(私のかかわってきた、日本の古典籍の研究の分野でも、それに近いようなことがないとはいえない。)
2024年12月15日記
「コンテナ全部開けちゃいました! ~大坂港編~」 ― 2024-12-18
2024年12月18日 當山日出夫
コンテナ全部開けちゃいました! 大坂港編
むか~しのことだが、世界でタコを食べるのは日本人ぐらいである、という話しをどこかで目にしたか聞いたことがある。それが、日本の料理、タコ焼きとか寿司とかが、世界で食べられるようになって、タコの需要が増大している。日本国内で消費するタコも、その多くが輸入ということになる。大坂のタコ焼きのタコは、中国で捕って、それをゆでてカットして、日本が輸入しているということでいいだろうか。カットしたタコの品質検査が、実際にタコ焼きを作って食べてみる、ということだったが、たぶんこれが最も合理的だろう。
中東のオマーンでコーヒーを飲むのに、日本のガラス製の魔法瓶が好まれているという。番組に出てきていたのは、ZOJIRUSHI、だった。魔法瓶を作る工場は、探検ファクトリーで見たかどうか、出てきていてもいいかと思うのだが、はっきり憶えていない。
大連からはハマグリがやってきている。仮死状態でコンテナで運んできて、桑名の生けすで元気にしてから出荷している。輸入したとき、貝毒の検査をするのは、当然のことだろう。桑名の生けすを使うのは、やはりそこがハマグリの生育に適した場所であることかららしい。
ベトナムからチタンの原料が運ばれてきている。ダンプアップによるコンテナからの取り出しは豪快である。テレビの画面では、純度の高いスポンジチタンの世界シェアのかなりを日本がとっているようだが、それよりも多くのシェアを中国がもっている。チタンは身近な金属だが、どこから原料が来ているのか、ということは、気にしたことがなかった。
紅ショウガは、ベトナム産である。栽培から加工までやって、日本に輸出している。米などを作るよりもはるかに儲かる。まさに、紅ショウガ御殿ということになる。
大阪万博のある夢洲の橋が、旋回式浮体橋ということは知らなかった。たぶん、私は、この橋をつかうことはないだろう。万博など、絶対に行かない。その後、カジノが出来るらしいが、これも行く気などさらさらない。
2024年12月13日記
コンテナ全部開けちゃいました! 大坂港編
むか~しのことだが、世界でタコを食べるのは日本人ぐらいである、という話しをどこかで目にしたか聞いたことがある。それが、日本の料理、タコ焼きとか寿司とかが、世界で食べられるようになって、タコの需要が増大している。日本国内で消費するタコも、その多くが輸入ということになる。大坂のタコ焼きのタコは、中国で捕って、それをゆでてカットして、日本が輸入しているということでいいだろうか。カットしたタコの品質検査が、実際にタコ焼きを作って食べてみる、ということだったが、たぶんこれが最も合理的だろう。
中東のオマーンでコーヒーを飲むのに、日本のガラス製の魔法瓶が好まれているという。番組に出てきていたのは、ZOJIRUSHI、だった。魔法瓶を作る工場は、探検ファクトリーで見たかどうか、出てきていてもいいかと思うのだが、はっきり憶えていない。
大連からはハマグリがやってきている。仮死状態でコンテナで運んできて、桑名の生けすで元気にしてから出荷している。輸入したとき、貝毒の検査をするのは、当然のことだろう。桑名の生けすを使うのは、やはりそこがハマグリの生育に適した場所であることかららしい。
ベトナムからチタンの原料が運ばれてきている。ダンプアップによるコンテナからの取り出しは豪快である。テレビの画面では、純度の高いスポンジチタンの世界シェアのかなりを日本がとっているようだが、それよりも多くのシェアを中国がもっている。チタンは身近な金属だが、どこから原料が来ているのか、ということは、気にしたことがなかった。
紅ショウガは、ベトナム産である。栽培から加工までやって、日本に輸出している。米などを作るよりもはるかに儲かる。まさに、紅ショウガ御殿ということになる。
大阪万博のある夢洲の橋が、旋回式浮体橋ということは知らなかった。たぶん、私は、この橋をつかうことはないだろう。万博など、絶対に行かない。その後、カジノが出来るらしいが、これも行く気などさらさらない。
2024年12月13日記
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