「膨張と忘却〜理の人が見た原子力政策〜」2024-12-05

2024年12月5日 當山日出夫

ザ・ベストテレビ ETV特集「膨張と忘却〜理の人が見た原子力政策〜」

今年(二〇二四)のベストテレビである。このETV特集は、見損ねていた(録画し損ねた)ものだった。ETV特集は、基本的に見ることにしているが、全部を必ず見ているということではない。

たしかにいい番組である。このことは認める。そのうえで、やや批判的に思うことを書いてみる。

番組の中では、「科学技術」ということばをつかっていた。吉岡斉もこのことばをつかっていた。一般的なことばとして問題ないようなのだが、今の私としては、「科学」と「技術」は、可能な限り分けて考えることにしたい。「科学」というのは、あくまでも「サイエンス」という方法論で、自然界に対する探求を意味するものであると理解しておきたい。その根底にあるのは、人間の知的な探究心である。その「科学」を使って生み出され、また、逆に「科学」を推進するものが、「技術」である。

とはいえ、実際には「科学技術」ということばで、この両者が融合して用いられていることはたしかである。また、大学の学部名で、理工学部というのが普通であるが、しかし、理学と工学は、基本的に異なるものであるという認識も必要かと思う。

(ちなみに、私は、「人文科学」ということばは使わない。「人文学」は「サイエンス」の方法論では語りえないものであると思うからである。)

「科学」(サイエンス)の観点から見た合理性と、「技術」あるいは「科学技術」の観点から見た合理性は、同じといえるだろうか。また、経済の観点からの合理性はどうなるのだろうか。さらにそのうえに、政治としての判断がからむことになる。政治については合理性で考えることは難しいかもしれないが、少なくとも政治の安定性(継続した国家の統治)という視点は必要になるかもしれない。これらを、総合して考えるということが、吉岡斉の言ったことであると理解している。

そのうえで、この番組が高く評価できるとすると、国の原子力政策決定のプロセスにおける「合理性」「透明性」ということを、吉岡斉の視点から追求しているところにある。

多くの原子力関係の報道では、いわゆる原子力村の利権ですべてが決まる構造、ということから議論を組み立てることが多い。このような面は確かにあるにちがいない。だが、それを批判するだけでは、議論は先に進まない。原子力政策の是か否かだけの水掛け論の不毛な議論になるだけである。

始めから推進ありきの原子力政策は問題であるが、その一方で、反対に、始めから反対ありきの原子力利用否定論には、問題がないといえるだろうか。

強いていえば、「合理的」で「透明性」のある議論をつくしたうえで、原子力利用ということになるならば、逆に、否定することになっても、そのリスクは引き受けなければならない……おそらく吉岡斉の主張としては、このようになる。これが「理の人」としての吉岡斉の立場だろう。

また、「合理性」というのは、社会の常識の反映でもある。その常識は、時代とともに変わりうる。現代では、二〇一一年の東日本大震災の福島第一原子力発電所事故をふまえるのは当然である。そして、番組のなかのゲストの話のなかで出なかったこととして、地球環境問題がある。(これは、意図的に話題に出さなかったのだろう。)原子力発電の是非の変化……賛成の人が増えている……の背景にあるのは、ただ福島の事故が過去のものになったということだけではない。新たな問題として、近年なってから地球温暖化の問題が大きくクローズアップされてきたこともある。(ただ、原子力発電がその解決策になるということではない。このことは保留して考えなければならない。)だが、このことをあえて無視しているのは、NHKもフェアではない。

原子力の利用ということは、高度に専門的な知識が必要である。そこに一般市民の感覚(これは時代とともにかわり、それには、マスコミやSNSなどが大きく影響する)をふまえて、「合理的」で「透明性」のある議論をつくし、政策決定にいたるには、かなり、いや絶望的にハードルが高いと感じるところではある。しかし、これからの時代における、政治における大きな課題の一つであることは認識しておかねばならない。

だが、人間の合理的判断というのは、そんなに信頼できるものなのだろうか。こういう根本的な疑問は残るのだが、しかし、今のところはそれにかけるしかないということになる。(今になってのことであるが、旧優生保護法は、その成立の当時においては、合理的な判断にもとづいたものであったはずである。議員立法で全会一致で成立したという経緯がある。)

2024年12月4日記

「毛沢東 革命と独裁」2024-12-05

2024年12月5日 當山日出夫

映像の世紀バタフライエフェクト 毛沢東 革命と独裁

私が中学生のころだったと記憶するが、ラジオをつけて北京放送を聴いていたときがある。内容的には、絶望的と思えた病気について、医者たちが「毛沢東語録」を読んでその精神にしたがったら手術が成功した、というたぐいの、今から思えばなんともたあいないプロパガンダ放送であった。しかし、その時代、毛沢東は英雄であった。中国の人民をひきいる文化大革命の指導者であった。

また、揚子江を泳いでいる毛沢東の映像をテレビで見たのも記憶している。毛沢東の復活を印象づけるシーンであったことになる。

京都の街の書店でも「毛沢東語録」が売られていた。岩波文庫でもあった。これは今ではないようだが、調べると、平凡社ライブラリー版が今でも手に入る。その内容は別にして、歴史的文献として、手に入るように刊行されていることは、いいことだとは思う。

たぶん、日本では、世代によって毛沢東への評価や感じ方は、いろいろだろう。中国の革命の英雄として評価することもできるが(私の印象ではこの側面が強い)、一方で、大躍進政策、文化大革命で、その失敗によって、中国を混乱させ大規模な粛正を行ったことも、認めなければならない。これは、もうすこし時間がたってからでないと難しいことかと思う。少なくとも、中国共産党の一党支配独裁体制が終わってからでないと、無理だろう。

ただ、思うことは、今の中国で毛沢東の再評価が行われていることは、私としては危惧の念をいだくことになる。これは専門家の判断を聞きたいところであるが、経済が低迷するなかで、若者や地方の人びとにとって、革命の夢を再び、ということなのかもしれない。人びとの社会に対する閉塞感があるのかとも思う。

将来のこととしては、中国は民主化するだろうか。まあ、民主化といってもいろんな場合があるが、普通選挙による代議制民主主義、三権分立、ということが、中国で実現するだろうか。そして、それを、今の中国の領域内……無論、台湾を除いて考えることになるが……にすむ、数多くの人びとは納得するだろうか。

アメリカでの李鋭の日記の裁判の件。これはどうなるだろうか。もし、中国に返還となっても、それは、アメリカで全部をデジタルアーカイブして残してということにはなるだろうか(おそらくこれは秘密裏に)。それを公開するかどうかは、また別の判断であるが、中国に渡して実物が廃棄されることになるよしマシである。

2024年12月3日記

「追いつめられる高齢出稼ぎ労働者 〜中国・西安〜」2024-12-05

2024年12月5日 當山日出夫

Asia Insight 追いつめられる高齢出稼ぎ労働者 〜中国・西安〜

再放送である。最初の放送は、二〇二三年八月。

中国の経済発展については、主に都市部に住む人びとの暮らしぶりで紹介されることが多い。それも、今では、建設途中で止まって廃墟になったビルの映像が多くなってきた。

そのような中国の経済発展をささえたのが、農村部出身の労働者、農民工であることは知られていることだろうと思うが、その生活の様子が報道されることはほとんどないといってよい。

中国で労働者の定年が、男性が六〇才、女性が五〇才、というのが普通らしい。このような人たちの老後を支えるのが年金ということになるが、その支給は十分ではない。働いていたときの二〇分の一だという。(これは、どう考えても日本よりひどい。)

高齢になっても仕事を求める。それも日雇いの肉体労働ということであるが、それでも仕事が十分にあるわけではない。集まって手配師から仕事をもらうことになるのだが、これは、日本における日雇い労働者の街の有様と変わらないという気がする。日本の場合、それでも、いろんな支援団体などがあるし、低価格の宿泊施設もあったりする。社会の労働力としては、このような部分もある意味では必要になってくるのか、という気はしている。だが、そこに援助の手助けは、公的にも、あるいは、ボランティアであっても、必要だろう。

しかし、中国の場合、このような人たちに対する支援はないようである。公的な社会福祉政策の対象として考えなければならないはずだが、今の中国政府にはそのようなことは考えていないようだ。

少子高齢化は中国の予想される、いや、確実にやってくる近未来の姿である。このとき、農民工であるような年老いた人たちはどうなるのだろうか。病気になっても、医療保険制度が整っていないと、みじめな末路ということになる。(さて、以前、「ドキュメント72時間」で中国のがん専門病院のことをあつかっていたが、中国でがんになると、その治療費が大きな負担になる。)

中国の経済発展から取りのこされたと感じる人びと……年老いた農民工であり、あるいは、都市部でも就職できない若者であったり……が、これからの中国のなかでどのように処遇されることになるのか、国家のゆくすえと大きくかかわることであることはまちがいないだろう。

2024年12月4日記