「“国境の島” 密着500日 防衛の最前線はいま」2024-12-12

2024年12月12日 當山日出夫

NHKスペシャル “国境の島” 密着500日 防衛の最前線はいま

このような問題をあつかうと、一般的には、そこに自衛隊の基地を作ると、それはまっさきに敵の攻撃目標になる。住民の安全が保証されないどころか、危険にさらすことになる。だから反対である。……このような立場からの議論が大きくなるのが、日本のマスコミ報道である。(左翼的偏向報道とまでは言いたくないが。)

それに対して、地元の与那国島の人たちの考えていること、それは、かならずしも教条的な平和主義だけではないことを、じっくりと描いていたと感じる。(無論、なかには、上述したような反対論者もいるだろうけれど。)

軍事的にはどうなのだろうかと思う。もし、いわゆる台湾有事(現実に武器を使用する戦争状態)になったとき、台湾周囲の制海権、制空権を確保するためには、まず与那国島は、重要な位置をしめる。言い方は悪いかもしれないが、この島の取り合いが、中国、台湾、日本の、重要な戦略目的となるだろうとは思う。

だからこそ、政府や防衛省としては、与那国島には特にきわだった防衛の施設はおかずに、一歩さがったところ……石垣島などのなるのだろうが……に、攻撃や補給の拠点を整備する、ということになるのかとも思う。このあたりは、軍事の専門家の解説がほしいところである。

島の住民の避難計画は、私はあってしかるべきと考える。問題は、そのような事態にいたることを、政府が的確に判断できて行動に移せるかどうかである。事態認定が、すみやかにおこなえるシステムが、はたして整っているのだろうかという危惧はある。

一番怖いのは、島の人たちが、人質になってしまう場合である。このことばが不適切なら、人間の盾といってもいいかもしれない。このことについては、番組では何も言っていなかったが。このことだけは何としても避けたいというのが、今後の大きな課題であるにちがいない。

まあ、今のイスラエルとガザの問題を見ても、ハマスが人質をとり、いまだに全員の解放がなされていない、ということが、事態の解決をややこしくしている要因の一つであろう。また、日本の国民性(といっていいだろうか)として、民間人の生命については、非常に重要視するということがある。(逆に、自衛隊員や警察官の生命をあまり重視していない傾向があるとも思っているのだが。)

荒唐無稽な話しとしてしまえばそれまでなのだが、『空母いぶき』(かわぐちかいじ)では、与那国に中国の特殊部隊が侵攻してきて、住民を人質にするところから話しが始まる。(決してありえないことではないと思っていいだろうか。)

また、番組のなかでは言っていなかったことだが、かつての太平洋戦争のとき、沖縄方面の島々の戦闘において、日本軍が民間人の保護をはたさなかったということは、これまでにいやというほど指摘されてきている。いわく、軍は日本人を守るために存在するのではない、と。

こういう経緯をふまえるならば、全島民の避難計画というのは、真剣に考慮され計画されるべきことであると、私は考える。

もしそうなった場合、経済的補賞なども、議論しなければならないことである。国防であれ、自然災害であれ、大規模な住民の避難と、事後の復興ということは、まさに日本の課題である。(これが昔なら、戦争に勝って、負けた相手国から賠償金をとってということになるのだが、今の時代にはこれは無理である。)

町長が言っていた……今の中国が一〇〇年先まで続くかどうかわからない。その先、中国、台湾、日本をふくめた経済圏のなかで、生きのこるために与那国のインフラ整備は必要なのである、と。このような視点から、未来を考えている人がいることは、もっと知られていいことだと、私は思う。

2024年12月11日記

「『宇宙戦争』パニック事件、 75年目の真実 100万人をだましたフェイクニュース」2024-12-12

2024年12月12日 當山日出夫

ダークサイドミステリー 『宇宙戦争』パニック事件、 75年目の真実 100万人をだましたフェイクニュース

この番組は、メディア史的な観点から歴史上の著名な事件を再検討するということが多いので、私は好きな番組として見ている。この回は、いよいよメディア論としては、大御所というべき佐藤卓己の登場。もう一人は、ラジオパーソナリティの伊集院光。

ウェルズの『宇宙戦争』がラジオドラマとして放送され、それを信じた人がパニックになった……というのは、よく知られた「事実」である。だが、本当に一〇〇万人の人がパニックになって騒動になったかどうか、これは、後のでっち上げ、フェイクであることが判明している。その要因になったのは、この事件を調査分析した社会心理学者のキャントリルだった。

まず、ウェルズ原作の『宇宙戦争』のラジオドラマが、非常にたくみに演出されたものであったことが、紹介される。この番組を作ったのは、オーソン・ウェルズ。ラジオドラマとしてフィクションであることが最低限のところで分かるようにしてはあったが、しかし、それを聴く人がだまされることを、緻密に計算してのことであった。

このドラマへの反響について、その当時のアメリカの新聞社は、さらにフェイクを増幅した。通信社から送られてくるニュースを、誇張したり、でっち上げたりしていた。この時代、新聞社は、新興のメディアであるラジオを、低く見下すところがあった。(これは、まさに現代、「オールドメディア」とされるテレビや新聞がが、SNSなどを見下しているのと同じである。)

宇宙人がやってくるのにそなえて、銃を構える男性の写真は、いわゆる後から撮ったヤラセの写真だった。(だが、こんなことは、報道写真や映画の歴史については、よくあることでもある。)

メディア史的に注意しておくべきことは、この事件を調査したキャントリルの考え方のかたより、ということである。ラジオのフェイクニュースに人は簡単にだまされてしまう、この面を強調するか、あるいは、逆に、人はそう簡単にだまされるものではない、という面を見るのか、立場の違いによって評価が分かれる。人はデマにまどわされるものであるという研究結果となったのは、当時の新興メディアであったラジオについての関心があり、また、それを有効なプロパガンダの手段としているナチスへの警戒感もあってのことだという説明であった。

現代についてみれば、日本では、近年の選挙、東京都知事選挙、衆議院選挙、兵庫県知事選挙と、SNSの利用……視点を変えればフェイクニュースと悪用……について議論されることが多くなっている。SNSは、どれだ人間の行動に影響力をもつものなのか、改めて検証の必要がある。これについては、情報を発信し拡散しているのは、ほんのごく一部のユーザであることは言われている。また、AIを使ったフェイクニュースの拡散も、大きな課題となっている。

キャントリルの研究については、多くの人びとが新聞社などに電話をかけたことを、パニックになったからと考えるか、あるいは、情報の確認をしようとしたととらえるか、で評価が分かれることになる。また、ラジオを聞いた人のなかには、他のラジオでも同じことをニュースで言っているかどうか、確認した人もいたことが分かっている。この意味では、複数のニュースのソースにあたって確認することの意味ということになる。

現代、災害や戦争について、スマホが一つあれば、現地からのリアルタイムでのリポートが可能になっている。このような時代に、現地からの即時のリアルな報告というものが、人びとにあたえる影響力は、きわめて大きなものがある。(だからこそというべきであるが、月刊誌ぐらいの時間で余裕をもった分析や報告が価値のあるものになると思う。テレビのニュースを見ても、どの局も同じようなことしか報道していないというのが、現状である。また、局による違いがあるとしても、人は自分の見たいものしか見ようとしない傾向がある。)

それにしても、つい近年まで、ラジオドラマで一〇〇万人パニック説というのが、信じられていたことは、考えてみるべきだろう。メディアの力を過信していたかもしれない。だまされていた人のなかには、佐藤卓己も含まれるし、また、テレビの画面に映っていたテキストは、吉見俊也の名前もあった。

これからの問題の一つに、X(Twitter)で投稿の閲覧数によって報酬が得られるシステムが導入されたことがある。また、AIによるフェイク動画、ボットアカウントによる拡散も懸念することになる。

番組のなかでは出てきていなかったことばになるが、ネガティブケイパビリティ、ということを改めて考える必要があると思うのである。

2024年12月8日記

「NO EFFECTOR,NO LIFE.」2024-12-12

2024年12月12日 當山日出夫

ドキュメント20min. NO EFFECTOR,NO LIFE.

音楽は聴くのだけれども、エフェクタということに関心を持ったことはまったくなかった。番組を見てみると、たしかにこれは、世界の音楽を変えた発明であると言っても過言ではないかもしれない。

これまで人間はいろんな楽器を作って、音楽を演奏し、楽しんできた歴史があるのだが、そこで追い求めてきた音とは、いったいどこに行き着くものなのだろうか。常識的に考えれば、綺麗な音、クリーンな音、を求めてきたかと思うのだが、それをあえて歪ませるというのは、人間のなかにそういう音を求める何かがあるということになるのだろう。

強いていえば、歪んだ音で、反体制的メッセージを表現しているということになるのだろうが……特にロックにおいてはそうかもしれないが……一方で、音楽としての普遍的な何かを感じるところもある。耳にここちよいものだけが音楽ではない。

まあ、芸術の歴史をたどれば、(旧来の価値観で判断して)こんなものは芸術じゃあない……とされてきたものが、たくさんある。美術においても、文学においても、無論、音楽においても。エフェクタを使った音楽も、時の経過とともに、新しい芸術の世界を作っていくことになるのだろう。

2024年12月7日記

「クルーズ船 集団感染 〜災害派遣医療チーム 葛藤の記録〜」2024-12-12

2024年12月12日 當山日出夫

新・プロジェクトX クルーズ船 集団感染 〜災害派遣医療チーム 葛藤の記録〜

COVID-19パンデミックのことについては、総括的に考えるにはまだ時期的に早いかなという気もする。特に、政治的な判断がどうであったかということがからんでくるので、今はまだハードルの高いことになるかもしれない。

だが、当事者……医療関係者や行政の担当者、それから、報道したマスコミなどをふくめて……その証言を残しておくとすると、今しかないということもある。それをどう記録し、どう残すか、将来にどう利活用するかという課題はあるにしても、とりあえず、証言記録は残すべきである。特に、今回の件については、船の乗客や乗組員たちの証言を残しておくことは、重要である。

クルーズ船のことは、かなりはっきりと記憶している。私の記憶にあることとしては、実際の船内では、きちんとした隔離が行われていないということを示す映像が、X(Twitter)で拡散していたことを憶えている。このような投稿は、今ではどうなっているのだろうか。SNSのデータも、貴重な時代の記録であるので、企業の一存で削除されてはならないと思うのだが。

この回は、DMATに焦点をあてたものになっていた。DMATという組織の活動がどんなものであるか、広く知られるようにするという意味では、非常に意義のあることであったと思う。そして、この組織をとりあげるとき、医師や看護師といった、狭義の医療関係者だけではなく、事務の担当、ロジスティックスの担当、のことを大きくあつかっていたことは、重要だろう。(このような活動において、情報通信の確保、ロジスティックスということは、活動の根本を支えるために、非常に重要である。このことの弱点が露呈したのが、その後の日本の有様だったともいえようか。)

困っている人がいるなら、助けの手をさしのべる、当たり前のことなのであるけれど。

次週はこの続きである。これも見ておこうと思っている。

2024年12月9日記