『カーネーション』「隠しきれない恋」2025-01-19

2025年1月19日 當山日出夫

『カーネーション』 「隠しきれない恋」

この週は、糸子と周防のことが中心であった。これまで朝ドラで不倫ということは、あまり描かれてこなかったかもしれない。せいぜい出てきたのは、ダメな父親として、『おちょやん』の父親などがあった。

今の価値観からすれば、もっと自由であってもいいかもしれない。かつて、戦争に行って戦死することになった、糸子の夫の勝は、どうやら芸妓と浮気していたらしい。だが、それを、糸子は許すことになっていた。

しかし、戦後になってしばらくのころ、糸子が周防と関係があるという噂がたっただけで、周囲の人たちの反応が違う。糸子の家に押し寄せてきていた。まあ、これが、その当時の普通の感覚であったのだろう。

男性と女性とで、非対称であり、差別的だと感じるのは、やはり現代の感覚として思うからである。

組合長の科白が印象的である。たしか、「はずれても、ふみとどまっても、ひとのみち」だったろうか。糸子のことを、肯定しているでもなく、否定しているでもなく、人間の心のもちようとはそんなものであると、達観した立場から見ている。

周防の妻のことが、ほとんど出てきていないのも、描かれないことによって、印象に残る。周防は、妻を裏切っているのかもしれないし、後ろめたさもあるにちがいないが、糸子のことを思っている、だが、妻子のことをとても大事にしている。長崎でどんな体験をしたのかは、見るものの想像にゆだねられている。

週の最後で、糸子が周防の店に行って、「無断外泊」と言っていた。ドラマのなかで使われることばとしては、あまり例がないかもしれないが、だが、この『カーネーション』というドラマ全体を通じて、もっとも印象に残ることばの一つである。(もう一つ印象に残るのは、安岡のおばちゃんの科白になるのだが、それは、もう少し後のことになる。)

見ていてよく出来たドラマだと感じるのは、それぞれの場面で、小道具が存在感があることであり、人が仕事をしていることである。糸子の家の台所の道具の一つ一つであったり、店のなかの生地であったり、ちゃぶ台の上の食器であったり、ミシンであったり。それを手にして、人が仕事をしている。ドラマの背景として描かれる部分になるが、こういうところの映像の説得力が、この『カーネーション』を魅力的なドラマにしている。

『カーネーション』では、糸子も周防も洋裁のプロとして仕事をしている。このことが、ふたりの関係を安心して見ていられる理由にもなっている。

2025年1月18日記

『カムカムエヴリバディ』「1951-1962」2025-01-19

2025年1月19日 當山日出夫

『カムカムエヴリバディ』「1951-1962」

安子編(岡山)が終わって、るい編(大阪)になった。安子編の終わりまでのことは書いたので、大阪でのことについて思うことを書いてみる。

一九六二年(昭和三七年)の大阪である。ドラマとしては、とても活気に満ちた明るい街の印象である。たしかに、このころまでの大阪は、日本の西の中心であり、あるいは、日本の経済の中枢としても、存在感があったことになる。だが、実際の大阪の街は、ドラマに描かれたよりも、もっと猥雑で混沌とした街だったろうと思う。一方で、非常にモダンな側面も兼ね備えていたはずである。

ドラマのなかに登場する大阪の街は、明るい花やかな面と、クリーニング屋さんのある下町のごちゃごちゃした雰囲気とが、共存している。

大阪でるいはクリーニング屋さんに住み込みで働くことになる。このことの経緯は、店の夫婦の好意ということになるが、実際に人手を探していたこともある。この夫婦が、るいのことを非常に大切に思ってくれることになる。なぜ、岡山の雉真の家から離れたのか(るいは、雉真の縁故者であると言っていた)、詳しいわけは聞かずにるいを受け入れてくれている。このあたりの人の優しさが、たくみに描かれていると感じる。

住み込みで働くと決まった翌日の朝の朝食のシーン。るいが、ちゃぶ台の上のお茶碗と箸を手にするところ。ほんの一瞬のことなのだが、きちんとした礼法にのっとっている。さりげない動作であるが、これで、るいが岡山の雉真の家で、(お嬢さんとして、しつけられ)大切に育てられてきたことが、推測される。

また、クリーニング屋さんの仕事を、どういう仕事であるか、しっかりと描くところもいい。売って終わりの商売ではなく、クリーニングした品を、またお客さんにとりにきてもらわければならない。そして、できれば、お馴染みなってもらいたい。アイロンをかけるところ、衣類を畳むところ、その仕事の様子を写していることは、ドラマの作り方としての本筋をふまえていることになる。(はっきりいって、仕事をする人の、その仕事の様子をきちんと描かないドラマはつまらない。)

2025年1月17日記

『おむすび』「これがうちの生きる道」2025-01-19

2025年1月19日 當山日出夫

『おむすび』「これがうちの生きる道」

この週の放送の金曜日が、一月一七日になる。この日にあわせて、震災のこと……二〇一一年の東日本大震災のことと、一九五五年の阪神・淡路大震災のこと……を描くことになった。これは、この日程に合わせた脚本と理解しておくべきだろう。

褒めるところ、いいところとしては……災害のときの支援のあり方を、栄養士という視点から描いていることがある。災害があって、被災した人に、ただ食べ物を配給すればいいというだけではなく、人それぞれに必要とする食事や栄養は違ってくる。これらに配慮した食事の提供がなされなければならない、ということである。

阪神・淡路の震災の経験をした人が、東北の地震のときに何を感じることになったか、この観点をドラマで描くということは、意味のあることである。

また、被災地への支援物資の送り方として、一つの箱には一つの種類のものを入れて、その中に何が入っているか分かるようにしておくこと。これは、現在では、かなり一般的になった考え方であるが、それを実際の映像として見せていることである。

さらには、支援物資の整理ということも、実際には重要な作業である。

このドラマでは、結と翔也の二人は、二人で等分に協働して家庭をきずいていこうという方針である。こういう価値観は、この時代を背景にしたドラマならではのものということになる。このあたりは、現代の価値観として、多くの人に受け入れられるところだろう。

ただ、その一方で、話しの作り方があいかわらず雑だと感じるところもある。

結は栄養士から管理栄養士になりたいと思うのだが、栄養士と管理栄養士の違いについて、はっきり分かっているとは言いがたい。ドラマのなかで、このことについて、分かりやすく説明があったということもない。

普通には、管理栄養士は、四年制大学の専門の学部……昔風の言い方をすれば、家政学部であるが、最近ではいろんな名称になっている、女子大学が多い……を出て、栄養士の資格を得て、それから、卒業して管理栄養士の受験の資格を得る、その後、試験をうけて合格すれば、管理栄養士、ということが一般的かと思う。これ以外にも、栄養士の資格があれば、実務経験と試験で、管理栄養士になることもできる。

何故、結は管理栄養士になりたいと思うようになったのか、ここのところを、どの資格があれば、どのような仕事をすることになるのか、という観点からきちんと描く必要があるが、ここのところが、ドラマを見ていると説得力がないという気がする。

あいかわらず、靴屋の仕事も、パン屋の仕事も、理容店の仕事も、このドラマは仕事を描かない。これはやはり見ていて説得力に欠けることになる。

2025年1月17日記