BS世界のドキュメンタリー「クリック・ベット 欧州 スポーツ賭博のワナ」 ― 2025-05-10
2025年5月10日 當山日出夫
BS世界のドキュメンタリー 「クリック・ベット 欧州 スポーツ賭博のワナ」
2023年、フランスの制作。
再放送だと思うが、最初の放送がいつかわからない。
スポーツを賭博の対象とすることは、ヨーロッパでは認められている。それにかかわる企業が、サッカーチームのスポンサーにもなっていることが多い。この限りにおいては、違法、ということではない。
問題は、それが、スマーフォンを使って、人びとの日常生活のなかに入りこんでしまうことである。この意味では、日本でも問題になりつつある、オンラインカジノと共通する社会的問題ということになる。
まあ、ギャンブルというものは、どんなシステムであっても、胴元が決して損をしないように作られて運営されているものである……ということは、常識以前のことだろう。一部の人間が、楽しみとして、カジノに行ったり、競馬場に行ったり、というぐらいならば、社会的に許せる範囲、と言っていいだろう。
しかし、それが、スマートフォンで、日常生活のなかに常時はいりこんでくると、まったく事情はちがう。いわゆる、ギャンブル依存症、ということになり、生活が破綻してしまう。無論、経済的にも立ちゆかなくなる。場合によっては、犯罪にかかわることにもなる。
そして、ギャンブル依存症の場合、その犠牲になるのは、貧しい労働者階級の人びとで、若い男性が多い。こういう現実、特に男性が多いということについて、いわゆる左派になるフェミニズムの立場を主張する人たちは、どう考えているのだろうか。単に、男性は馬鹿だからそうなるのだ、ということで済ませることもできるだろうが、これでは、根本的な問いにも解決にもつながらない。男性がそのようであるのは何故か、と問いかけ、解決するにはどうすればいいのか、具体的に提言できてこそ、である。
日本のオンラインカジノ問題もそうだが、スマートフォンでギャンブルをするよりも、楽しい……強いていえば、そして、健全な……ことは、世の中に他にたくさんある、ということを、地道に教育(学校教育、家庭教育、社会教育)のなかで、伝えていくしかないのかと思う。
まあ、スポーツ賭博ということは、それほど大きな事件になっていないだけで、日本でも行われていることだろうとは思うのだけれど。
2025年5月9日記
BS世界のドキュメンタリー 「クリック・ベット 欧州 スポーツ賭博のワナ」
2023年、フランスの制作。
再放送だと思うが、最初の放送がいつかわからない。
スポーツを賭博の対象とすることは、ヨーロッパでは認められている。それにかかわる企業が、サッカーチームのスポンサーにもなっていることが多い。この限りにおいては、違法、ということではない。
問題は、それが、スマーフォンを使って、人びとの日常生活のなかに入りこんでしまうことである。この意味では、日本でも問題になりつつある、オンラインカジノと共通する社会的問題ということになる。
まあ、ギャンブルというものは、どんなシステムであっても、胴元が決して損をしないように作られて運営されているものである……ということは、常識以前のことだろう。一部の人間が、楽しみとして、カジノに行ったり、競馬場に行ったり、というぐらいならば、社会的に許せる範囲、と言っていいだろう。
しかし、それが、スマートフォンで、日常生活のなかに常時はいりこんでくると、まったく事情はちがう。いわゆる、ギャンブル依存症、ということになり、生活が破綻してしまう。無論、経済的にも立ちゆかなくなる。場合によっては、犯罪にかかわることにもなる。
そして、ギャンブル依存症の場合、その犠牲になるのは、貧しい労働者階級の人びとで、若い男性が多い。こういう現実、特に男性が多いということについて、いわゆる左派になるフェミニズムの立場を主張する人たちは、どう考えているのだろうか。単に、男性は馬鹿だからそうなるのだ、ということで済ませることもできるだろうが、これでは、根本的な問いにも解決にもつながらない。男性がそのようであるのは何故か、と問いかけ、解決するにはどうすればいいのか、具体的に提言できてこそ、である。
日本のオンラインカジノ問題もそうだが、スマートフォンでギャンブルをするよりも、楽しい……強いていえば、そして、健全な……ことは、世の中に他にたくさんある、ということを、地道に教育(学校教育、家庭教育、社会教育)のなかで、伝えていくしかないのかと思う。
まあ、スポーツ賭博ということは、それほど大きな事件になっていないだけで、日本でも行われていることだろうとは思うのだけれど。
2025年5月9日記
よみがえる新日本紀行「アメリカ村ー和歌山県美浜町三尾ー」 ― 2025-05-10
2025年5月10日 當山日出夫
よみがえる新日本紀行「アメリカ村ー和歌山県美浜町三尾ー」
再放送である。2019年。オリジナルは、昭和49年(1974)。
昭和49年(1974)というと、私が、高校を出て大学生になったころである。
日本から多くの人びとが移民として海外にわたっていたことは知っていることであり、それが、おおくの場合、特定の地域に集中していることも、一応知ってはいたことではある。海外への移民という場合、時代によっては、満州などへ行くこともあった。
和歌山県のこの町のことは知らなかった。和歌山から多くの移民が海外にわたったことは、知っていたことではあったが。美浜町の三尾の地域から、多くの人びとがカナダに行っていた。しかし、なぜだか、バス停の名前は、アメリカ村、ということになり、それが今に続いている。
古くから、この地域の人びとは、女性は大阪に行儀見習いで奉公に行って帰ってきて、それから嫁にいく、という習慣だったらしい。このような、地方の農村部の女性が、都市部に行儀見習いの奉公に出るという習わしは、いつごろまで、どのようにおこなわれていたことなのだろうか。おそらくは、都市部の商家などの労働力の問題でもあったはずである。
なぜ、この地域からカナダに集中的に移民ということになったのか、その理由につては、語られていなかった。しかし、この地域からカナダに行くのは、大阪に行くのと同じぐらいの感覚であったことは、たしかなことである。
カナダに行って久しぶりに帰って来た人と、地元の人との会話が、言語学的には面白い。英語と日本語、入り交じった会話になっている。日本にいた人は日本語で話し、カナダにいた人は英語で話している。
また、神社に奉納する豆を数えるシーン。数字(年齢)を英語で言っていた。数をあらわすことばというのは、言語のなかでも基本的な語彙になるだろうから、容易に外国語に置き換わることはないかと思っているのだが、ここでは年齢を英語で言っていた。カナダで生活して、生活のなかの基本的なことばだから、英語の方がすぐに出てくることばということになるのだろう。
見合い結婚ということで、結婚相手のいるカナダにわたった女性。現地につくまで顔も知らなかった。こういう時代であったことになる。(写真結婚、というようなことが移民については言われることがあるが、この場合、写真もなかったことになる。)この女性の話のなかで、いんじ部屋、と言っていたが、いったい何なのだろうか。検索しても出てこない。文脈的には、おそらく娼婦、または、賭博などを意味しているとおぼしいのだが、こういうことは、どれぐらい記録や伝承として残っていることなのだろうか。
今では、かつてのように、外国に移民ということはなくなっているようである。その昔、近代になって、外国(アメリカやカナダや南米の国々など)に移民としてわたっていた人たちは、日本という祖国のことをどう思っていたのだろうか。日本という国家への帰属意識というものが、それほど確固たるものではなかったから、移民ということにふみきれたのかもしれないとは思うところである。
2025年5月8日記
よみがえる新日本紀行「アメリカ村ー和歌山県美浜町三尾ー」
再放送である。2019年。オリジナルは、昭和49年(1974)。
昭和49年(1974)というと、私が、高校を出て大学生になったころである。
日本から多くの人びとが移民として海外にわたっていたことは知っていることであり、それが、おおくの場合、特定の地域に集中していることも、一応知ってはいたことではある。海外への移民という場合、時代によっては、満州などへ行くこともあった。
和歌山県のこの町のことは知らなかった。和歌山から多くの移民が海外にわたったことは、知っていたことではあったが。美浜町の三尾の地域から、多くの人びとがカナダに行っていた。しかし、なぜだか、バス停の名前は、アメリカ村、ということになり、それが今に続いている。
古くから、この地域の人びとは、女性は大阪に行儀見習いで奉公に行って帰ってきて、それから嫁にいく、という習慣だったらしい。このような、地方の農村部の女性が、都市部に行儀見習いの奉公に出るという習わしは、いつごろまで、どのようにおこなわれていたことなのだろうか。おそらくは、都市部の商家などの労働力の問題でもあったはずである。
なぜ、この地域からカナダに集中的に移民ということになったのか、その理由につては、語られていなかった。しかし、この地域からカナダに行くのは、大阪に行くのと同じぐらいの感覚であったことは、たしかなことである。
カナダに行って久しぶりに帰って来た人と、地元の人との会話が、言語学的には面白い。英語と日本語、入り交じった会話になっている。日本にいた人は日本語で話し、カナダにいた人は英語で話している。
また、神社に奉納する豆を数えるシーン。数字(年齢)を英語で言っていた。数をあらわすことばというのは、言語のなかでも基本的な語彙になるだろうから、容易に外国語に置き換わることはないかと思っているのだが、ここでは年齢を英語で言っていた。カナダで生活して、生活のなかの基本的なことばだから、英語の方がすぐに出てくることばということになるのだろう。
見合い結婚ということで、結婚相手のいるカナダにわたった女性。現地につくまで顔も知らなかった。こういう時代であったことになる。(写真結婚、というようなことが移民については言われることがあるが、この場合、写真もなかったことになる。)この女性の話のなかで、いんじ部屋、と言っていたが、いったい何なのだろうか。検索しても出てこない。文脈的には、おそらく娼婦、または、賭博などを意味しているとおぼしいのだが、こういうことは、どれぐらい記録や伝承として残っていることなのだろうか。
今では、かつてのように、外国に移民ということはなくなっているようである。その昔、近代になって、外国(アメリカやカナダや南米の国々など)に移民としてわたっていた人たちは、日本という祖国のことをどう思っていたのだろうか。日本という国家への帰属意識というものが、それほど確固たるものではなかったから、移民ということにふみきれたのかもしれないとは思うところである。
2025年5月8日記
「宇宙の謎を解読せよ」 ― 2025-05-10
2025年5月10日 當山日出夫
たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいたものを見た。探してみたのだが、NHKは、この番組の単独のHPは作っていないようである。
そんなにコストをかけたというわけではないが、しかし、内容的には面白かった。最後まで見ると、監修が、大栗真宗さんであった。最新の天文学の専門家ということになる。
見ていてなんとなく思ったことなのだが、宇宙についての議論は、めぐりめぐって昔のエーテル論にかえってきているようにも思える。まだ、現在の技術では観測することのできない未知の何かで、宇宙はみなぎっている……こう考えていいのかもしれない。
あつかっていたのは、ダークマター(非常に強い力で銀河を引きつける)と、ダークエネルギー(宇宙をとめどなく膨張させていく)のことであった。どちらも、観測の結果、そういうものを想定しないと、宇宙の星や銀河の動きが説明できない現象ということになる。だが、現在の観測技術では、その正体をつきとめることはできていない。そのこころみはなされているが。
興味深かったことは、ビッグバンを、一つの説として言っていたことである。おそらく、サイエンスとしての現代の天文学としては、ビッグバンについては、非常に有力な仮説ということになるのだろう。これに対する、明確な反証がいまのところ提示されていない、という理解でいいだろうか。
それから、見ていて感じたことの一つに、女性の天文学者が多く出ていたことがある。ヴェラ・ルービンをはじめ、多くの女性の天文学者が登場していた。これは、意図的にそのように作ったのだろう。最後に、ヴェラ・ルービンの名前を冠した望遠鏡が作られるとあった。
2025年5月5日記
たまたまテレビの番組表で見つけて録画しておいたものを見た。探してみたのだが、NHKは、この番組の単独のHPは作っていないようである。
そんなにコストをかけたというわけではないが、しかし、内容的には面白かった。最後まで見ると、監修が、大栗真宗さんであった。最新の天文学の専門家ということになる。
見ていてなんとなく思ったことなのだが、宇宙についての議論は、めぐりめぐって昔のエーテル論にかえってきているようにも思える。まだ、現在の技術では観測することのできない未知の何かで、宇宙はみなぎっている……こう考えていいのかもしれない。
あつかっていたのは、ダークマター(非常に強い力で銀河を引きつける)と、ダークエネルギー(宇宙をとめどなく膨張させていく)のことであった。どちらも、観測の結果、そういうものを想定しないと、宇宙の星や銀河の動きが説明できない現象ということになる。だが、現在の観測技術では、その正体をつきとめることはできていない。そのこころみはなされているが。
興味深かったことは、ビッグバンを、一つの説として言っていたことである。おそらく、サイエンスとしての現代の天文学としては、ビッグバンについては、非常に有力な仮説ということになるのだろう。これに対する、明確な反証がいまのところ提示されていない、という理解でいいだろうか。
それから、見ていて感じたことの一つに、女性の天文学者が多く出ていたことがある。ヴェラ・ルービンをはじめ、多くの女性の天文学者が登場していた。これは、意図的にそのように作ったのだろう。最後に、ヴェラ・ルービンの名前を冠した望遠鏡が作られるとあった。
2025年5月5日記
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