BS世界のドキュメンタリー「ホワイトマン・ウォーキング 分断されたアメリカの素顔」2025-12-17

2025年12月17日 當山日出夫

BS世界のドキュメンタリー 「ホワイトマン・ウォーキング 分断されたアメリカの素顔」

2025年、イギリスの制作。

分断ということばはよく使われる。日本においても、アメリカにおいても、また、ヨーロッパの国々でもいわれる。この場合、多くは、右派と左派、保守とリベラル、という対立で使われる。

だが、実はそうではないのかもしれない。いつの世においていも、人びとの意見や価値観は多様であった。強引にまとめるとするならば、そういう方向性のことを、本来の意味でのファシズムというべきだが、この意味では、左翼ファシズムということもある。ファシズムは、何も右翼を批判するときだけにつかうことばではないと私は思っている。

現代の社会で警戒すべきは、いわゆるリベラルという立場の人びとの考え方の硬直性だろうとは、私の思うところである。目的の正しさが何よりも大事である。いいわけめいて、暴力はいけないけれど、と付け加えることはあるが。

分断ということは、実は、「正義」をかかげてそれが絶対に正しい、自分は正しいことをしていると考える人びとと、そうではなく、自分はこう考える、それはこういう理由からであると考えることのできる人びと……この違いではないかと思うことになる。

BLMが「正義」であるかどうかではなく、また、同じようにMAGAについてもであるが、それを「正義」としてかかげる、反対する人をひたすら否定する、あるいは、愚か者よばわりする、なぜそれを「正義」と自分は思うことになるのか、そこについて、自省するとことがあり、その理由を説明する余裕があるかどうか、ということの方が重要なポイントであると、私は考える。

否定的に見れば、「正義」の相対性ということになってしまうのだが、しかし、全世界に普遍的な「正義」ということは、そんなに簡単に言えることなのだろうか。これを極端におしすすめると唯一絶対の神の導きということにでもならざるをえない。ここは、現実の人間はどんなものかということへの反省を基盤におく、近代的な保守思想……エドマンド・バークにはじまる……を考える。

気になったこととしては、南北戦争は奴隷制をめぐる戦いであったということを主張していることがある。これは、現代の考え方としては、南部と北部との産業構造の違いからくる対立ということとするのが、大きな傾向だろうと思っている。その対立の中に、南部の産業……黒人奴隷の労働を必要するプランテーション農業……があったと考える。ただ、歴史としては、アメリカの近代的工業社会においても、底辺の労働者として、黒人労働者が過酷な生活を強いられることになったことはあるだろう。それは、アメリカにおいて、近年まで(あるいは現代まで)続いている。

やはり問題であると思うのは、BLMというスローガンをかかげてしまうと、黒人だけを特殊な存在としてカテゴライズすることになる。いや、そうではなく、社会のあらゆるマイノリティをふくむものである、ということもいえるのであるが、そうはならずに、新たな対立を生む原因になることも、現実にはたしかなことだろう。(番組を見ているかぎり、このマイナス面が如実に出ている。)

BLMが「正義」であるかどうかは、ひとまず棚上げにして、自分がこの主張に共感するのは何故か、ということを自省することがあってもいいだろう。そういう姿勢がないところには、対話ということはできないにちがない。

よく、愛国心は愚か者の最後のよりどころといわれる。だが、このことの裏返しとして、リベラリズムもまた愚か者のよりどころにもなりうる。そして、それが絶対の「正義」であると思いこんでいる分、たちが悪い。

それから、ホワイトトラッシュ(白人のクズ)ということばが、今でもアメリカ社会の中で、普通に使われることばであるというのも、考えておくべきことだろう。

2025年12月13日記

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