パワーポイント20032008-10-02

2008/10/02 當山日出夫

どういう気まぐれ、とういわけでもないのだが、3回生対象のコンピュータの授業で、「アカデミック・プレゼンテーション」をテーマにして、後期を行うことにした。

先日、その第1回目。まあ、初日なので、これまでパワーポイントを使ってどんなことで困りましたか、というようなことを書いてもらった。

予想は、完全にうらぎられた。

私の考えでは、今の時代、(いくら文学部といっても)ゼミの発表などで、学生自身が、パワーポイントをつかうだろう、そこで困っていることがあれば、どうにかしよう。あるいは、アカデミックな効果的なプレゼンテーションとはどういうものか、考えてみることにしよう。

しかし、教室にあつまった学生は、「つかったことありません」というのが、かなり。ああ、そうか、やっぱり、まだ、文学部では、パワーポイントで授業したり、学生が発表したりとかは、無理なのか………

それに困ったことに、大学のは、XPで2003版、しかし、今の学生であれば、持っているパソコンは、半数ぐらいがVistaで2007版。まずは、プレゼンーションがどうのこうの言う前に、2003版での操作から教える必要がある。

で、本屋さんに行って探してみたら、まだ、2003版のパワポの解説書は、売っている。まあ、どうにかなるだろう(たぶん)。

ついでに買った本、

『ネット君臨』、毎日新聞社

『図書館 愛書家の楽園』、アルベルト・マングェル、白水社

『新 武器としてのことば』、鈴木孝夫、アートデイズ

當山日出夫(とうやまひでお)

新常用漢字:案に追加の文字について2008-10-05

2008/10/05 當山日出夫

小形さんの「もじのなまえ」で知った。

http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20081004/p1

「蒙」と「刹、椎、賭、遡」、これらの追加・削除は、「検討の結果」とある。 このこと自体は、新聞報道・HPなどで知っていた。この私のブログでも触れた。だが、どのような議論によってであるかは、いまだ、明らかではない。

だが、こちら(「国語」をつかっている「国民」の一人としては、と敢えていう)が、知りたいのは、検討の「結果」ではなく、その結果にいたった「検討」のプロセスである。

はっきり言って、(新)常用漢字で、どの字が決まろうと、通常の日本語に大きな影響があるわけではない。しかし、それを決めるプロセスがどうであったかは、今後の、言語政策、日本語研究、に大きな影響を残す。

どう考えたら、「遡」が入って、「蒙」がなくなるのか。

繰り返しなるが、まず、サンプリングの問題。どのような資料を対象としたか。そして、漢字だけの頻度調査であるのか、語を検索できるコーパスによるのか。それに、プラスアルファの判断をくわえたとすると、その判断基準は、何であるのか。

それにしても、「者」を部分字体として持つ字を加えるとどうなるか、5月の日本語学会で、安岡さんが「箸」を例に説明したはず。それを聞いていながら、あえて「賭」を入れる、神経が、私には、理解できない。

ところで、「賭」の字を見て思い出すのは、映画『乾いた花』(篠田正浩監督)。加賀まりこが、とってもよかった。

當山日出夫(とうやまひでお)

岡田さんにこたえて2008-10-05

2008/10/05 當山日出夫

やむをえず、「パワポ2003」と「パワポ2007」についての解説書を、オンラインで注文してしまった。同じ会社の、同じシリーズで。

岡田さんが、10月2日の記事に、コメントしてくれている。

http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/10/02/3795355/tb

大学の授業でパワポをつかうかどうか。

非常なハイレベルの議論をすれば、大学教育における教授法の問題であり、さらには、学知の継承の問題でもある。一般的にいって、大学の先生というのは、自分が学生の時に、先生にならった、その方式を、踏襲して、今の学生に教える。

パワポを使って習ったことのない先生に、パワポを使ったらいいですよ、といっても、所詮、無理な注文かもしれない。まったく、新しいことにチャレンジするぐらいの気概がいる。

また、パワポを使うには、その時間の授業内容が、きちんと、組み立てられていなければならない。別に派手なアニメーションなどいらない。文字・概念図、この程度で十分。しかし、事前に作っておく必要がある。

理想をいえば、パワポもつかえて、そのとなりに黒板があるのがベスト。臨機応変に、黒板に字や図を書いて説明できる。

私の場合、ホワイトボードに投影する。キーワードとなる文字だけ。それに、マーカーで書き込みながら、説明する。1時間(90分)で、10枚ほど用意すればいい。

ところで、いくら教育目的とはいえ、書物のコピーを、教室でばらまくというのは、あまり感心しない。この点、ビジュアルなもの、例えば、絵画とか、写真とか、古地図とか、であれば、パワポの利用で、十分に目的は達せられるはずだと思うが。

當山日出夫(とうやまひでお)

火曜セミナー無事終了2008-10-08

2008/10/08 當山日出夫

立命館のグローバルCOEの「火曜セミナー」、毎週、火曜日、午後6時から。どういうわけだか、後期の初日に私に順番が回ってきた。どんな話しをしようかと考えて、結局、次のタイトル。

現代日本の人文情報学とデジタルアーカイブについて

今週、それから来週にかけて、他の先生たちの話しは、海外における、デジタルヒューマニティーズ事情、ということなので、私は、日本のことを話すことにした。とはいえ、漠然と、今の日本の人文情報学といっても、とりとめのないものなる。

そこで、急に、(今年になってから)いろんな学会・研究会で話題になりだした、「デジタルアーカイブ」に的をしぼることにした。

ま、ざっと、

アーキビストの立場からのデジタルアーカイブ

人文学研究者からのデジタルアーカイブ

情報工学研究者からのデジタルアーカイブ

これらの相互にことなる、立場・視点について、対話の回路を作り出せる方向にうごきつつある。また、これは、今後の、人文情報学にとって、絶対に必要なことである。というような話し。

であるからして……敢えて話題にしなかったことも、いくつかある。話しが分散するの避けようと思って。

しかしながら、こまったことに、火曜セミナーは、オンラインでその場の映像を見ることができる。(ただし、事前に、申し込みが必要)。あろうことか、私がパワーポイントのスライドで、名前を出した、その本人が、見ていたらしい。あわてて、先ほど、連絡やらなんやらのメールを送信したばかり。

世の中、どこに落とし穴があるか分からない……と言ったら、失礼だろうが、なんとなく、そう思ってしまった次第。

最新の『ARG』については、明日にでも。

當山日出夫(とうやまひでお)

やっと準備が終わった2008-10-10

2008/10/10 當山日出夫

やっと、訓点語学会(東大・山上会館)12日(日) の準備が、終わった。

レジュメは、既に、宅急便で送ってある。今日までかかって、パワーポイントを、20枚に限定して、再整理。発表時間が、20分。で、どういうわけか、最後の発表順であるので、絶対に時間厳守でいかないと。1枚1分の、原則を守る。

明日の午後から、東京に行って、学生の時の先生にあって、という予定。

パワーポイントを、増やすのは簡単だが、削るのは、非常に苦しい。かつ、一枚のスライドでは、一つのこと(事実、または、意見)を述べる、という基本方針でいると、更につらい。

講談社ブルーバックスの『理系のための口頭発表術』を、読み直しているので、よけいに苦しくなる。まあ、これも、自分自身にとって、練習だと思うことにしよう。

HNG(漢字字体規範データベース)を実際に使ってみた、という意味では、ある程度以上の規模の学会としては、始めてかもしれない。春に、京大で、話しをしたが、どちらかというと、理系・情報工学系の研究会。

文献の研究を専門にしている、今度の学会で、どうなるか。不安でもある。

ARGの『342』は、東京でじっくり読むことにしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

パワーポイントのつづき2008-10-10

2008/10/10 當山日出夫

どうもこのブログでつかっているシステムがおかしいのか、コメントをもらってもすぐに表示されない。

たけひこ日記 2008年10月9日

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20081009/1223500929

私の場合、文学部しか知らない人間。

「たけひこ日記」でも書いてあるように、どの学部・分野でもそうであろが、大学での教授法なるものが、マニュアルのように存在するわけではない。この点、高等学校までと、大きく異なる。

私は、運がいいというべきかどうか、先生と、ほぼ1対1(個人授業に等しい)という場面が多かった。そこでは、な~~んにも教えてくれなかった。「君、この本を読みたまえ」「この辞書をひきなさい」で、終わり。

ただし、なんとか頑張って、変体仮名が読めるまで、なんとか昔の辞書「古辞書」がひけるまで、30分ぐらい、じ~~っと、待っていてくれる、先生だった。

今の学生にこんなことをしたら、「先生に精神的苦痛を受けた」と、訴えられかねない。(本当に、冗談ではなくそう思う)。

文学部では、パワーポイントを使えるようにという、意識が乏しいように思えてならない。プロジェクタにスクリーン、それに、無線LANぐらい、たいした設備投資でもないだろうにと思うが。

映像学部の学生に、前期教えたら、パワーポイントを配付資料として下さいと、請求されてしまった。私は、レジュメと、パワーポイントは、別のもの、と考えているので、レジュメの方(ことばで説明)を、オンラインで、学生が見られるようにしておいた。

工学部なんかだったら、先生が、自分でHPつくって、対応するのだろうなあ、と思ったりもする。

自分が学生の時におそわったことが無いことを、今の学生に教えるというのは、かなり、努力がいる。「ワープロを使った論文の書き方」など、学生の時にならったことがない。そもそも、パソコンの登場以前の時代。

アカデミック・プレゼンテーションとして、パワーポイントの使い方を教える授業を設定してみたら、あんまり学生が来なかった。愕然とした。

このあたりの事情は、追って書いていきたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

パワーポイントでの学会発表の是非2008-10-13

2008/10/13 當山日出夫

「たけひこ」日記で、さらにパワーポイントの使用に言及していただいたので、さらにつつけて。

http://d.hatena.ne.jp/takehikom/20081012/1223761513

昨日、東京大学で、訓点語学会。発表者7名のうち、パワーポイントを使ったのは、最後の発表の私だけ。この学会、発表は年齢順なので、つまり、最年長者の私だけ。他の、若いひとたち(主に、大学院生)は、まったく使用せず。

これって、どうかしてんじゃないの……と思いたくなる。普通なら、若い人たちの方が、情報機器(パソコン)など、使いこなせている、と思うのだが、この場合は、そうではない。

口頭発表の学会でありながら、発表者は、ただ、用意してきた、レジュメを、読み上げるだけ。会場の人は、ただそれを、耳で聞きながら、ひたすら、レジュメを見るだけ。

こういうスタイルの学会も「あり」なのかもしれない。

文献学研究では、資料を重んずる。そして、その資料について、「ことば」で説明できなければならない。この意味では、画像データなどに依拠せず、論文を書くことがもとめられる。

一方、文献学研究は、そのテキストの画像をみたら、それで、すぐに分かる、という性格も持っている。見れば、わかるものを、なんで、こまかく一々、説明しなければならないのか。

歴史的なながれとしては、以前は、論文に、写真・図版などを入れるのは、非常にコストが高くついた。しかし、現在では、さほどではない。ましてや、自分でワープロで作成した原稿のプリントアウト(のコピーなど)を、レジュメとして、配布する時代。いくらでも、画像を、とりあつかえる。

私の考え方としては、

まず、フルペーパーが、書けること。

次に、その内容を、パワーポイントなどで、巧みにプレゼンテーションできること。

さらに、そのプレゼンテーション用に、A4で数枚ぐらいの、レジュメが作れること。

これらは、相互に関係するものであろると思う。すくなくとも、これからは、このような方向を目指すべきだろう。

以前にも言及したことがある本、『理系のための口頭発表術』(講談社ブルーバックス)の、「訳者まえがき」には、次のようにある。

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科学的な研究成果を発表する技術というのは、いわゆる弁論術やディベート技術とは違うし、プレゼンテーションの視角効果の単なるノウハウとも異なる。その本質は、混沌とした思考を、いかにして整理し、知的興奮をかき立てる〈物語〉への変貌させるか、という、論理的思考の鍛錬なのである。(p.9)

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「論理的思考への鍛錬」という方向が、今後の、目標であろうと思う。

『ARG』の次の号(344)が出てしまった。感想は、この次にでも。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記 『ARG』343 → 344 に訂正。

『ARG』344号2008-10-13

2008/10/13 當山日出夫

ちょっと気になったので、「ARG」の発行部数を比べてみた。

343号 3738部

344号 4749部

う~ん、10部ほど増加している。この間、先週の火曜日、GCOEセミナーで、『現代日本の人文情報学とデジタルアーカイブについて』というタイトルで話しをした。その時、参考文献・HPのひとつとして、とりあげたのが、『ARG』。これを見れば、今、人文情報学の分野で、どんなことがおこっているのか、総合的に、すぐ分かる……と、紹介した。

できれば、その影響で、部数が増えたなら、わずかながら、うれしい。

それから、行きたかったが、行けなかった、学習院大学での、「デジタル情報技術が拓くアーカイブズの可能性」、この研究会の様子が、報告されている。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20081006/1223225217

この学習院での研究会は、GCOEの火曜セミナーでも、言及した。そして、最後に、このようにしめくくった。

アーキビスト、人文学、情報工学、さまざまな立場・意見があるだろう。そのなかで、人文情報学にかかわるものとしては、アーカイブズから学ぶべきものがあるにちがいない。それを、端的につきつめて言えば、「未来への責任という倫理観」である。

理想を共有できれば、後の技術的な問題は、どうにかなるだろう……と、今は、ある意味で、楽観的に考えることにしている。

當山日出夫(とうやまひでお)

ケータイのメールがつかえない2008-10-16

2008/10/16 當山日出夫

明日から、CH研究会で、秋田県の「たざわこ芸術村」(わらび座)、に行く。

パソコン(レッツノート)は、もちろん持って行く。携帯電話も持っていく。だが、かなしいかな、私の場合、携帯メールがつかえない。なぜなら、キーボードがついていないから。

ま、確かに、ケータイ接続用のキーボードがあることは知っている。しかし、それを持ち歩いてまで、外出先で、メール送受信の必要性を感じない。「つかえない」のか「つかわないのか」、微妙と言えば微妙。

内心では、グーグルの、G-Phoneが、発売になったらと、ひそかに考えている。アップルの、i-Phoneでは、キーボードは、見えるけれども、遠近両用眼鏡の人間にとっては、ややつかいづらい。

ただ、今の学生は、あたりまえのように、携帯電話をつかう。困るのは、大学の学生用アカウントを、自分の携帯に転送設定してしまうこと。そのとき、もとのメールを残さない、にしてしまうと悲劇である。

「アカデミック・ライティング」の授業で、作文の添削を、WORDのコメント機能をつかって、メールに添付で、送信する。転送設定にしてあったので、とどきませんでした、ファイルが消えてしまいました、というのが、かならず、一人ぐらいいる。

今年は、あらかじめ、メール転送設定のことから、説明。

ケータイのメールがつかえなくても、人間は生きていけるのだ、と頑張ることにしよう。メディア論的には、面白い議論になるのだが。

なお、次回の、「WS:文字」を企画中。近いうちに、詳しいことが、ここにも掲載できます。来年の2月。場所は、東京都内ではなく、立川あたりの予定(^^;)

當山日出夫(とうやまひでお)

CH80(1)2008-10-20

2008/10/20 當山日出夫

CH80(情報処理学会・人文科学とコンピュータ研究会)に、先週末、行ってきた。行くのに、一日。帰るのに、一日。

17日、朝、子どもが学校に行く(駅まで)のと一緒に、出かける。京都駅から、まず、東京。それから、はじめてのる秋田新幹線「こまち」。そういえば、この前、東北新幹線に乗ったのは、上野からだったような。しばらく、東京から向こうには行っていない。

東京駅で、乗り換えに、すこしまごつく。どこの改札で、どの切符を出せばいいのか、よくわからん。なんとか、「こまち」の乗り場につくが、これがまたとまどう。「こまち」と「はやて」が、連結してあるので、何番線の、どこに行けばいいか、ともかく、人をまどわせるように、東京駅が作ってあるということを、実感する。(これは、私だけであろうか。)

3時頃、角館に到着。ちょうど、主査・幹事の、鈴木さん(歴博)一緒の列車だったので、一緒にタクシーで、たざわこ芸術村まで。道路に感心する。田畑のどまんなかを、ま~~~っすぐに、道が走っている。こんなに道がまっすぐなところというと、私の知る限りでは、名神の一部区間ぐらい。

運転手さん(女性だった)に聞くと、とても危険な道路らしい。法定速度(60)で走ると、後ろから、追突される危険がある。だからといって、速度を上げると、こんどは、おまわりさんにつかまるおそれがある。とってもあぶない。 (まるで、国会図書館関西館の横の道のようである。)

夕方、食事の時間まで、すこし余裕があるので、芸術村のなかを散策。まずは、おみやげをゲット。

家族用には、とにかく、食べるもの。

自分用には、CDを1枚。芸術村の中の、森林工芸館というところで、いろんな木工製品などを売っている。値段は、やや高い。私の買える値段から考えると、1ケタ(あるいは2ケタぐらい高い)。その中で、みつけたのが、『オカリナとジャズピアノ ブナの木の約束』のCD。たざわこ芸術村のブランドである。

収録タイトルは、「ブナの木の約束」「花」「ふるさと」「夏の思い出」「小さい秋みつけた」「浜辺の歌」「赤とんぼ」「紅葉」「母さんの歌」「さくら」。

ピアノとか、オカリナは、音域が高い。で、車の中で聴くには適している。さっそく、車のCDチェンジャー用にコピーを作る。これは、私的利用だから、違法ではない。それに、私の車は、i-Pod なるものに対応していない。

研究会のことなどは、次回以降に。

當山日出夫(とうやまひでお)