『文豪妖怪名作選』 ― 2017-08-17
2017-08-17 當山日出夫(とうやまひでお)
東雅夫(編).『文豪妖怪名作選』(創元推理文庫).東京創元社.2017
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488564049
近代の文豪たちの妖怪にまつわる小説などをあつめたものである。このてのアンソロジーは、他にもあったかと思うが、最近になって出た本なので買って読んでみた。
読んだ印象としては……妖怪名作選とあるから、身の毛もよだつような怖い話しばかりかと思うと、そうでもない。むしろ、逆に、諧謔、ユーモアを感じさせる作品が目につく。
冒頭におかれているのは、尾崎紅葉の『鬼桃太郎』である。「桃太郎」のパロディである。たしかに妖怪(鬼など)は登場する。しかし、怖い話しではない。最後まで読むと、あれ、こんな終わり方でいいのか、と思わず笑ってしまうような結末になっている。
たぶん、本当に怖い話しというのは、別に妖怪怪異が出てくる必要はないのだろうとも思う。このアンソロジーは、妖怪ユーモア小説選とでもした方がいいような感じがする。
「怪談」というのは、近代になってからの発明であるともいえよう。そこには、日本民俗学などがかかわっている。『遠野物語』などは、怪異の話しである。これは本当に怖い。(このことについては、また改めて書いてみたいと思っているが。)
近代になってからのものとして、一方で、近代的理性の目が働いている。近代の目からみて、妖怪はどのように見えるのか……このような観点から見たとき、そこに、それを怖がる人間の心理を客観的に見るまなざしがある。その距離の置き方が、作品にユーモアを生む。
そういえば、先にふれた「天守物語」(泉鏡花)も、ある意味で、ある種の滑稽さがないともいえない。妖怪の目で人間の所業を見るとどう見えるか、この意味では、ある種の諧謔をふくんでいると読みとることもできよう。
やまもも書斎記 2017年8月14日
「天守物語」泉鏡花
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/14/8646275
ところで、このアンソロジー、いわゆる近代小説という枠組みでは捉えきれていない作品を収録してある。柳田国男と寺田寅彦である。おそらく、近代における怪異ということを考えるとき、この二人は外せないという判断だと思う。
これらについては、追って考えてみたい。
東雅夫(編).『文豪妖怪名作選』(創元推理文庫).東京創元社.2017
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488564049
近代の文豪たちの妖怪にまつわる小説などをあつめたものである。このてのアンソロジーは、他にもあったかと思うが、最近になって出た本なので買って読んでみた。
読んだ印象としては……妖怪名作選とあるから、身の毛もよだつような怖い話しばかりかと思うと、そうでもない。むしろ、逆に、諧謔、ユーモアを感じさせる作品が目につく。
冒頭におかれているのは、尾崎紅葉の『鬼桃太郎』である。「桃太郎」のパロディである。たしかに妖怪(鬼など)は登場する。しかし、怖い話しではない。最後まで読むと、あれ、こんな終わり方でいいのか、と思わず笑ってしまうような結末になっている。
たぶん、本当に怖い話しというのは、別に妖怪怪異が出てくる必要はないのだろうとも思う。このアンソロジーは、妖怪ユーモア小説選とでもした方がいいような感じがする。
「怪談」というのは、近代になってからの発明であるともいえよう。そこには、日本民俗学などがかかわっている。『遠野物語』などは、怪異の話しである。これは本当に怖い。(このことについては、また改めて書いてみたいと思っているが。)
近代になってからのものとして、一方で、近代的理性の目が働いている。近代の目からみて、妖怪はどのように見えるのか……このような観点から見たとき、そこに、それを怖がる人間の心理を客観的に見るまなざしがある。その距離の置き方が、作品にユーモアを生む。
そういえば、先にふれた「天守物語」(泉鏡花)も、ある意味で、ある種の滑稽さがないともいえない。妖怪の目で人間の所業を見るとどう見えるか、この意味では、ある種の諧謔をふくんでいると読みとることもできよう。
やまもも書斎記 2017年8月14日
「天守物語」泉鏡花
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/14/8646275
ところで、このアンソロジー、いわゆる近代小説という枠組みでは捉えきれていない作品を収録してある。柳田国男と寺田寅彦である。おそらく、近代における怪異ということを考えるとき、この二人は外せないという判断だと思う。
これらについては、追って考えてみたい。
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