『化物の進化』寺田寅彦2017-08-19

2017-08-19 當山日出夫(とうやまひでお)

つづきである。
やまもも書斎記 2017年8月18日
『獅子舞考』柳田国男
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/18/8649409

東雅夫(編).『文豪妖怪名作選』(創元推理文庫).東京創元社.2017
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488564049

このアンソロジーの最後にいれてあるのが、寺田寅彦の文章。

寺田寅彦というと、論理明晰で、かつ、叙情味のある随筆というイメージがあるが、その寺田寅彦が、妖怪、怪異について、いくつかの文章を書いている。そのひとつ。

少し引用してみると、

「ともかくも「ゾッとする事」を知らないような豪傑が、仮に科学者になったとしたら、先ずあまりたいした仕事は出来そうにも思われない。」(p.312)

「こういう皮相的科学教育が普及した結果として、あらゆる化物どもは凾嶺はもちろん日本の国境から追放された。あらゆる化物に関する貴重な「事実」をすべて迷信という言葉で抹殺する事がすなわち科学の目的であり手柄であるかのような誤解を生ずるようになった。これこそ「科学に対する迷信」でなくて何であろう。」(p.314)

寺田寅彦は、別に怪異を信じているわけではない。自然に対する観察力として、種々の怪異現象にも、目をくばるこころの持ち方を問題にしているのである。

解説によるとこれは、昭和4年の文章である。ここでいわれていることは、今の科学教育にも、通じるものがあるのではないかと思わせる。自然の現象に対する畏敬の念、とでもいえばいいだろうか。

ともあれ、近代という時代、文学者、小説家のみならず、寺田寅彦のような科学者も、また妖怪、怪異ということについて書いていることは、改めて認識されていいように思う。近代においては、近代なりの、妖怪、怪異の姿があったのである。それを、21世紀の今日になってから、振り返ってみる価値は確かにあると思う。