『おんな城主直虎』あれこれ「蘇えりし者たち」2017-09-05

2017-09-05 當山日出夫(とうやまひでお)

『おんな城主直虎』2017年9月3日、第35週「蘇えりし者たち」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story35/

前回は、
やまもも書斎記 2017年8月29日
『おんな城主直虎』あれこれ「隠し港の龍雲丸」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/08/29/8661531

井伊のイエは、これからどうなるのだろう、という展開になりそうである。

これまで、直虎のエトスとしては、井伊というイエ、一族、組織を、守っていくことにあった。そのように思わせるドラマであった。だが、今回、それがくずれそうである。直虎は、何のために戦うのか。

もはや井伊谷の郷土をまもるためではないようだ。井伊谷へのパトリオティズムは、どこにも出てきていない。

いや、ここで、直虎は、戦うこと自体に疑問をいだきはじめている。何のために戦うのか、そのむなしさのようなものを感じさせている。全体に厭戦気分がただよっていた。

戦国時代ドラマで重用なのは、何のために戦っているのか、その理由付けであると思っている。前作『真田丸』であれば、その根底にあるのは、真田のイエの、豊臣に対する忠誠心であった。また、豊臣と徳川との覇権争いもあった。

ところが『おんな城主直虎』の徳川はまだ天下を狙うというところにはいない。(将来は、そのような立場になることは分かっているのだが。)天下を狙うどころか、戦いがいやになったようでもある。

といって、平和主義というのでもない。戦国の世にあっては、戦わなければ生きのびていけない。その理由を見いだせなくなったとき、イエの存続はない。今後、井伊のイエはどうなるのか。直虎の判断がどうなるか、気になる。

ところで、方久が、出家して薬商人になってしまった。このドラマの面白さの一つとして、方久、それから、龍雲丸という、武士ではない、といって農民でもない、非農業民、自由の民、を登場させたことにあると思って見てきた。それが、龍雲丸は、仲間を殺され、また浪々の身になってしまったようであるし、方久は、井伊の配下から脱して、薬商人となってしまった。まあ、それで、銭がもうかるならば、まさに方久らしい生き方ではあるのだろうが。

武士ではない、また、農民でもない人びとを、どのように描くか気になっていたのだが、このあたり今後どうなるのか注目していきたい。

そして、今回は、ネコが登場していた。自分のはいるカゴにじゃれついていた。井伊のイエがどうなるか気になるが、ネコもどうなるか気になる。ネコがおとなしく、かわいがってもらえるような世の中が、泰平の世の中なのだろうと思うのである。

追記 2017-09-12
この続きは、
やまもも書斎記 2017年9月12日
『おんな城主直虎』あれこれ「井伊最後の日」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/09/12/8675259

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