『半分、青い。』あれこれ「幸せになりたい!」 ― 2018-09-30
2018-09-30 當山日出夫(とうやまひでお)
『半分、青い。』最終週「幸せになりたい」
https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/story/week_26.html
前回は、
やまもも書斎記 2018年9月23日
『半分、青い』あれこれ「君といたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/09/23/8963839
ともあれ、このドラマも「完」である。
最終週については、いろいろ意見のあるところかと思う。特に、2011年3月の震災の描写は、賛否両論あるだろう。
私の立場としては、強いて、祐子の震災死は描く必要があったとは思えない。そして、描くなら、もうちょっとリアルに描いてもよかったのではないか。
震災があって一ヶ月も立たないうちである。あんなにきれいに家の中が片付いていて、祭壇にまつってあるということが、不自然である。また、海岸の描写が出てきたが、あそこは仙台という設定なのだろうか。とするならば、津波の影響をまったく感じさせない美しい海岸もまた不自然である。それに、まだ、東京から仙台まで交通機関も十分に復旧してはいなかったはず。そう簡単に、気軽に思い立って行って帰ってこれるということもなかったであろう。さらにいえば、携帯電話に残されていた遺言メッセージも、状況を考えると不自然である。
震災における祐子の死ということはあってもよかったかもしれないが、もうちょっと間接的な描写でも、十分にその意図は伝わったと思う。そこを、無理に、仙台まで行って来るというような設定にしてしまったので、どこか破綻した印象になってしまっていた。
このドラマ、もし後、一週間あったならば、このあたりも自然な状況で描くことができ、また、そよ風ファンの開発から商品化の問題……震災後の状況の中で、どのように部品を調達し、製造にいたったのか……さらには、津曲の父と子のことも、律の家庭のことも、娘のカンちゃんのいじめの問題も、それぞれに決着をつけて、最後にもってくることができただろう。
どうもこのドラマ、最初のうちはゆっくりと話しが進んでいたが……秋風羽織のところでのことなど……じっくりと描いていたように思う。それが、100円ショップ、大納言につとめるようになってから、進行が早くなってきているように感じる。
最後まで見て思うこととしては、ドラマとしては、完結を見たことになっているが、NHKの朝ドラとしてはどうだろうか。あまり朝ドラらしくない展開であったと感じるところがある。いや、そのように感じさせる作り方というのが、このドラマの脚本、北川悦吏子の目論んだところであったのかもしれないが。
『半分、青い。』最終週「幸せになりたい」
https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/story/week_26.html
前回は、
やまもも書斎記 2018年9月23日
『半分、青い』あれこれ「君といたい!」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/09/23/8963839
ともあれ、このドラマも「完」である。
最終週については、いろいろ意見のあるところかと思う。特に、2011年3月の震災の描写は、賛否両論あるだろう。
私の立場としては、強いて、祐子の震災死は描く必要があったとは思えない。そして、描くなら、もうちょっとリアルに描いてもよかったのではないか。
震災があって一ヶ月も立たないうちである。あんなにきれいに家の中が片付いていて、祭壇にまつってあるということが、不自然である。また、海岸の描写が出てきたが、あそこは仙台という設定なのだろうか。とするならば、津波の影響をまったく感じさせない美しい海岸もまた不自然である。それに、まだ、東京から仙台まで交通機関も十分に復旧してはいなかったはず。そう簡単に、気軽に思い立って行って帰ってこれるということもなかったであろう。さらにいえば、携帯電話に残されていた遺言メッセージも、状況を考えると不自然である。
震災における祐子の死ということはあってもよかったかもしれないが、もうちょっと間接的な描写でも、十分にその意図は伝わったと思う。そこを、無理に、仙台まで行って来るというような設定にしてしまったので、どこか破綻した印象になってしまっていた。
このドラマ、もし後、一週間あったならば、このあたりも自然な状況で描くことができ、また、そよ風ファンの開発から商品化の問題……震災後の状況の中で、どのように部品を調達し、製造にいたったのか……さらには、津曲の父と子のことも、律の家庭のことも、娘のカンちゃんのいじめの問題も、それぞれに決着をつけて、最後にもってくることができただろう。
どうもこのドラマ、最初のうちはゆっくりと話しが進んでいたが……秋風羽織のところでのことなど……じっくりと描いていたように思う。それが、100円ショップ、大納言につとめるようになってから、進行が早くなってきているように感じる。
最後まで見て思うこととしては、ドラマとしては、完結を見たことになっているが、NHKの朝ドラとしてはどうだろうか。あまり朝ドラらしくない展開であったと感じるところがある。いや、そのように感じさせる作り方というのが、このドラマの脚本、北川悦吏子の目論んだところであったのかもしれないが。
コメント
_ 高橋門樹 ― 2018-09-30 10時43分24秒
_ 當山日出夫 ― 2018-10-01 06時27分48秒
このドラマ、確かに最初の設定では、片耳が聞こえないというハンディを持つ女性が、前向きに明るく生きていく、というストーリーであったかと思います。そして、律との関係が、マグマ大使に象徴されていました。この最初の設定を、最後まで生かしきれていなかったように思えてなりません。私には、鈴愛にとって律はいった何だったのか最後になって分からなくなりました。
とはいえ、ドラマとしては、成功した範疇にいれていいと思っています。
とはいえ、ドラマとしては、成功した範疇にいれていいと思っています。
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當山さんがご指摘されているように、律、津曲、そして鈴愛自身の親子の関係と悩みをもっと掘り下げて、朝ドラの主要視聴者層である中高年を魅入らせる人生の交錯を見せてもらいたかったです。草太も含め、エリート会社員だった男性たちの起業と失敗、家族関係、家業を継ぐ決断とブランドの確立等々、魅力的な題材がありました。しかし、脚本家はそれらを取り上げて彼らを味わいのあるサブキャラにまで仕立て上げることはしませんでした。
主人公本人の人生観については、ドラマの最後で親友の死を受けて、彼女の分まで人生を生きるとの決意でまとめたことにも違和感がありました。それがドラマで言いたかったことなのでしょうか。幼少期に左聾を患ったことは、ドラマ中で小さなエピソードとして何度か使われたけれども、彼女の人生観の一部を形成するほどの要素にはなっていなかったことが、同じ障がいをもつ者として私には物足りませんでした。
ドラマの第1回を主人公の「羊水の中の胎児期」から始め、同じ日に同じ場所で生まれた男女が、予想通り、単純な恋愛を超えた運命で結びついていた関係だったことが、最終話で確認できました。「鈴愛と律の物語」を脚本家は書きたかったにしても、他の登場人物があまりにも「2人への付け足し」にすぎなかったのが、ドラマとしての厚みを感じさせなかった大きな理由の1つに思えました。