「安克昌“心の傷を癒すということ” (3)心のケアが目指すもの」2025-01-25

2025年1月25日 當山日出夫

100分de名著 安克昌“心の傷を癒すということ” (3)心のケアが目指すもの

トラウマとかPTSDという概念が生まれるまでにも、そのような症状に苦しむ人たちはいたはずであり、そういう人たちを受け入れる、社会全体の知恵のようなものがあったのだろうと、思う。それは、古くからの人間の文化的な共同体意識にささえられたなにかであったかもしれないし、場合によると、逆に、そのような体制的ものからはずれた埒外のなにか(いろんな意味でのアウトローの世界)であったかもしれない。おそらくは、そのようなものが人間の歴史のなかで様々に蓄積されて持ってきたのだが、それを破壊してしまったのが近代の社会における人間のあり方、であったといってもいいだろうか。近代の人間観、特に、人間の個人としての自立ということを前面にかかげたことが、結果として人びとの幸福につながることであったのかどうか、立ち止まって考えてみてもいいだろう。だが、だからといって、歴史を逆にもどすことはもはやできないのであるが。

安克昌の文章の背後に感じるものは、究極的に人間とはどんなものであるのか、ということを考える姿勢である。それが、この場合には、震災と精神医学という状況で語ることになっているのだが、本当に読みとるべきことは、その人間観であるというべきだろう。

人間の文化の歴史のなかで培ってきた、人間に対する集団の叡知とでもいうべきものを、これからは、(この場合であれば)精神医学という分野のことばと実践において、どう再定義し、どう具現化していくか、ということなのではないだろうか。

2025年1月21日記

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