最深日本研究「“スナック”を知りたい」2024-11-15

2024年11月15日 當山日出夫

最深日本研究~外国人博士の目~ “スナック”を知りたい

この企画としては、以前、日本のバーチャル空間において、男性が若い女性(かわいい)のアバターを使う傾向があることを研究したのがあった。面白いなあ、と思って見ていたのだが、どうやら、この企画は続くようだ。

今回はスナック。

私は、スナックというものにほとんど縁がない生活をおくってきた。外で酒を飲むというと、学会の懇親会の後などに、若い大学院生などと一緒に、二次会に行くということが多かったのだが、地方都市での開催などだと、馴染みのない店には入りづらい。一般的な居酒屋のようなところを選ぶことが多い。(このようなことも、近年では少なくなったのだが。)

あるいは、一人で静かにすごしたいと思うときは、やはりスナックというような店は敬遠することになる。

スナックというものが、日本に特殊なものであるということは、近年になってから言われ始めたことかと思っている。昔は、日本のどこにでもあったもので、これがそんなに特殊な形態の飲食店であるとは認識していなかった。

客同士の距離が近い、ママと親密である、その店の空間で一つの共同体のような雰囲気が生まれる……このあたりのことは、そのとおりかなと思う。だが、なぜ、日本でそのような店が生まれることになったのかは、謎ということのようだ。

確かに都市部において、仲間を求めるという気持ちに応えるということはあったのだろう。特に、男性についてということになるが。

それが、近年では、女性の一人客が入れるように、店のあり方を変えていく傾向もある。特に東京などにおいて、女性が一人で入れる店というのは、これからの新しいビジネスになるにはちがいない。

また、外国人観光客が増えてくると、これまでの常連客にとっては困ることになるかもしれない。

スナックのあり方、その変化が、日本社会のあり方や変化をあらわすものになっていることは確かなことにちがいない。スナックから見えてくる、日本の姿というものがあるにちがいない。

見ていて感じることの一つは、いわゆる参与観察という手法なのだが、日本のスナックの研究に、外国人(白人)の若い女性というのは、ちょっと障壁があるかなということは確かだろう。それが、店の協力があれば、小型カメラの設置で記録することができるようになっている。技術の進歩が、新しい研究領域を生み出していく一つの事例になるだろう。

どうでもいいことだが、東京の表参道に剣道場があることは知らなかった。

テレサ・テンの「時の流れに身をまかせ」の歌を久しぶりに聞いた。私のWalkmanには入っている曲なのだが、このごろは聞いていない。

2024年11月13日記

ステータス「(2)ストラディバリウス」2024-11-15

2024年11月15日 當山日出夫

ステータス (2)ストラディバリウス

放送したとき録画してあったはずなのだが、見ずにすごしていて、たまたまテレビを付けたら再放送をしていたので、そのまま見た。(録画したあるはずのは、後で消しておこう。)

ストラディバリウスについては、いろんな視点から語ることができるだろう。まず、なぜそれほどまでにいい音を出すのか、その理由が気になる(おそらくは、職人の腕だけではなく、その時代と地域の気候条件による素材となった木材が大きく影響していいるのだろうと思うが)。また、それにとりつかれた音楽家、バイオリニストの生き方。さらには、その資産価値をめぐるさまざまな思惑、などなど、いろいろとあるにちがいない。

この番組の場合は、芸術という視点をふくんで作ってあったと感じる。純然たる音楽番組、芸術番組などをのぞいて、テレビ番組で芸術を語ることはあまりないかと思う。だが、見ていると、芸術としての音楽、それに魅了された人びと、そして、「本物」が持つオーラ……このようなことを、強く意識させるところがあった。

番組の作り方として、いくぶんバラエティ番組風に構成しているところはあったのだが、作り手の意識のなかに、芸術の魅力(あるいは魔力とでもいった方がいいかもしれない)とはどういうものなのかということを感じさせるところがあった。

中で言っていたことだが、芸術家にはパトロンが必要である。これは、今の日本でほとんど失われてしまったことかとも思う。その例外として、前澤友作が出ていた。しばらく前まで、企業メセナということがさかんにいわれたこともあったが、このごろではとんと目にしなくなったように思う。昔の日本なら、大金持ちの篤志家というような人がいたことは確かだろうが、これも忘れ去られてしまっているようである。

2024年11月5日記

「World Lost Justice 正義なき世界で」2024-11-15

2024年11月15日 當山日出夫

BSスペシャル World Lost Justice 正義なき世界で

NHKがイスラエル、パレスチナを継続的に取材している、そのなかで集めた映像を編集したものということになるのだろう。これまでのNHKの、イスラエル、パレスチナ関係の番組で、この人は前にも見たことがあるな、という登場人物が幾人かいた。だからどうということはないのであるが、このような取材を積み重ねていくからこそ見えてくるものがあるとは思う。

さて、イスラエルとパレスチナと、どっちが悪いのか、というとそう簡単ではないと私は思う。全体的な世論としては、現在のところ、ガザを攻撃しているイスラエルが悪い。ヨルダン川西岸に入植し、支配している、イスラエルが悪い、ということにはなる。だが、これも、視点を変えて見れば、そう簡単に善悪がつく問題ではないようにも思える。

歴史的にいつの時点にさかのぼって、この土地は自分たちのものだ、と主張することになるのか、この議論ははてしない。あるいは、不毛であるかとも感じる。しかし、それを主張する当人にとっては、双方ともに切実な問題である。

パレスチナの土地は全部がユダヤ人のものであるという主張もあれば、この世の中からユダヤ人は消えて無くなればいいという考え方もある。これが、平和的に共存できるとは思えない。

現実的な落とし所としては、以前のオスロ合意にまでさかのぼって、なんとか共存できる道を探るというあたりかと思うのだが、これはもう無理なのかもしれない。

去年の一〇月七日の、ハマスのイスラエル攻撃のとき、何かのテレビ番組で、あるコメンテーターが次のように言っていたのが印象的である。ハマスのやったことは、自分たちのことを忘れないでほしいという国際社会に対するメッセージであった、という解釈である。これは、たぶんそうなのだろうと思うところがある。

番組のなかでは、おそらく意図的に触れていないと思われることがある。それは、ハマスの側が、いまだに人質を全員解放していないことである。門外漢の乱暴な推測ではあるのだが……たぶん人質を全員解放すると、国際社会の世論も大きく変わるかなと思う。去年、人質を取らずにただ攻撃しただけだったなら、イスラエルの方も限定的な報復攻撃だけで終わったかもしれない。人質を解放しないのは、この戦争(イスラエルによるガザへの攻撃)を続けさせたい、そのことによって、国際社会のイスラエルへの批判を強め継続させたい、という意図があってのことだと思わざるをえない。だが、現実には、周辺のアラブ諸国とイスラエルの全面戦争(それによってイスラエルという国家を殲滅する)ということにはいたらない。この意味では、悪いのは、また、判断をあやまったのは、ハマスということになる。だが、一方で、イスラエルによる、ヨルダン川西岸への入植や、行政拘束のことなどが、あらためて問題視されるようになったということもある。(まあ、素人意見なので、専門家はどう考えるかというのは、聞いてみたいと思うが。)

たしかに、パレスチナで起きていることは非常に残虐なことではある。だが、ここで留意しておくべきことは、ここで加害者側としてあつかわれているイスラエルの人びとも(兵士をふくめて)、普通の市民であるということだろう。古風なことばでいえば、決して鬼畜であるわけではない。普通の市民が、そのときの、社会や国家の情勢によって、どれほど残虐な存在になりうるのか、という視点が重要だと、私は思う。かつて、ナチスのホロコーストにおいても、その計画の実際にたずさわったのは、多くの一般の(普通であったならば)善良な一般のドイツ市民であったことを、忘れてはならない。歴史のなかにおける人間とはそういうものだと、私は思っている。

国際情勢のなかでのイスラエルとパレスチナの関係、そのときのイスラエルの政治の判断や状況、周辺のアラブ諸国のこと、これらの総合的な背景があって、一連の出来事があると思うべきだろう。

さしあたっては、イスラエルに対して軍事行動の抑制、パレスチナの人びとに対する人道的なあつかい、ガザで被害にあっている人たちへの人道的援助、まずは、できることをするしかないのかと思う。

2024年11月14日記