未来予測反省会「家庭料理はなんでも自動調理器が作ってくれる」 ― 2025-03-27
2025年3月27日 當山日出夫
未来予測反省会 「家庭料理はなんでも自動調理器が作ってくれる」
料理にどういう価値をもとめるか、ということで、考え方は大きく変わってくることだろうと思う。
料理は文化の重要な核であり、料理を作ることは、人間にとって基本的ないとなみである、と考えるならば、自動調理器というものは、不必要になるかもしれない。
しかし、食材の生産から調達への流れについては、大きく変化してきたことも事実である。これを、農業や漁業までふくめて、人間が何をどう食べるのかという視点から考えると、20世紀の後半以降、非常に大きく変化してきたともいえるし、また、その一方で、あまり変化していないともいえる。
視点を家庭内での料理に限定してみて、それが実現しなかったのは、社会における女性の生き方、働き方の大きな変化が、背景にあってのこと。そして、冷凍食品などの発達が、それと並行してあった。これが、大きな要因であることはたしかだろう。
実際、現代では、冷凍食品と電子レンジがあれば、なんとかなるような時代になってきていることは確かである。
高齢者や、障碍者などの人びとにとって、料理を手助けしてくれるロボットの存在というのは、意味のあることかと思う。(ただ、このようなロボット観、ロボットは人間を助けてくれる、その活動の一部を担ってくれるもの、という発想だけでは、これからの社会では、問題があるかもしれないが、これは、また別の論点になる。)
面白かったのは、タコ焼きを作るロボット。これは、見ていて、へ~、今ではこんなことも出来るようになっているんだ、と感心してしまった。
論点は多岐にわたるが、文化としての料理ということ、ロボットと人間がこれからどう共存していくのかということ、このようなことについて、考えるきっかけになるテーマであったと思う。
2025年3月20日記
未来予測反省会 「家庭料理はなんでも自動調理器が作ってくれる」
料理にどういう価値をもとめるか、ということで、考え方は大きく変わってくることだろうと思う。
料理は文化の重要な核であり、料理を作ることは、人間にとって基本的ないとなみである、と考えるならば、自動調理器というものは、不必要になるかもしれない。
しかし、食材の生産から調達への流れについては、大きく変化してきたことも事実である。これを、農業や漁業までふくめて、人間が何をどう食べるのかという視点から考えると、20世紀の後半以降、非常に大きく変化してきたともいえるし、また、その一方で、あまり変化していないともいえる。
視点を家庭内での料理に限定してみて、それが実現しなかったのは、社会における女性の生き方、働き方の大きな変化が、背景にあってのこと。そして、冷凍食品などの発達が、それと並行してあった。これが、大きな要因であることはたしかだろう。
実際、現代では、冷凍食品と電子レンジがあれば、なんとかなるような時代になってきていることは確かである。
高齢者や、障碍者などの人びとにとって、料理を手助けしてくれるロボットの存在というのは、意味のあることかと思う。(ただ、このようなロボット観、ロボットは人間を助けてくれる、その活動の一部を担ってくれるもの、という発想だけでは、これからの社会では、問題があるかもしれないが、これは、また別の論点になる。)
面白かったのは、タコ焼きを作るロボット。これは、見ていて、へ~、今ではこんなことも出来るようになっているんだ、と感心してしまった。
論点は多岐にわたるが、文化としての料理ということ、ロボットと人間がこれからどう共存していくのかということ、このようなことについて、考えるきっかけになるテーマであったと思う。
2025年3月20日記
レギュラー番組への道「擬人化ドラマ 被告人パンダ」 ― 2025-03-27
2025年3月27日 當山日出夫
レギュラー番組への道 擬人化ドラマ 被告人パンダ
以前に「被告人名古屋」があったのを思い出す。たしか、「ドキュメント20min.」だったと思う。これは面白かった。
それにつづくものということになるのだろうか。パンダも面白かったが、ちょっとNHK的に、教育的にすぎるかな、という気がしないでもない。まあ、今の動物園の役割として、社会教育施設であり、生物の多様性を保つための活動が重視されるようになってきていることは、分かる。(ちなみに、NHKでやっている動物番組の中では、私は「ウチのどうぶつえん」が一番好きである。動物園の仕事を通じて、動物を動物園で飼育することの意義が、きちんと伝わってくる。そして、登場する動物たちが、非常にかわいい。)
パンダが始めて日本にやってきたときのことは記憶している。上野に、ランランと、カンカンがやってきた。長蛇の列で、このときは見に行こうとはまったく思わなかった。その後、東京に住んでいるとき、上野にいたのが、タンタンだった。子ども(長男)が小さかったときに、連れて行ったのを憶えている。わりと空いていて、ゆっくりと見ることができた。小さいパンダが、白と黒のサッカーボールで遊んでいた。
アドベンチャーワールドには、二年ほど前に行った。たしかに、パンダが、他の動物たちに比べて厚遇されていると言われれば、たしかにそうである。ただ、アドベンチャーワールドにいる動物たちは、他の動物園に比べれば、かなりゆったりと飼育しているという印象はうける。
パンダが、他の動物たちよりも厚遇されているということは、まあ、そのとおりだよなあ、とは感じる。だが、やはり、動物園という施設のなかで飼育しているという状況は、どうしようもない。動物園や水族館という施設のあり方から根本的に考える必要はあるかとも思うが、さしあたっては、今、動物園にいる動物たちが快適にすごせるように配慮することが、まずは必要ということになるだろう。
閉鎖となる動物園や水族館の話しがある。そこで飼育されていた動物たちが、その後、どうなることになるのか、気がかりなことでもある。
動物と人間が共存するのは、かなり難しい面がある。番組の中で出てきていた、ヒグマやツキノワグマとの共存は、これからの日本での人びとの生活を考えると、かなり難しいところがあるかと思う。(ヒグマは肉食であった。そのエサとなるエゾシカと、さらに、そのエゾシカのエサとなる森林の環境、これがバランス良く保全できるかどうか、そして、それが人間の住む地域と共存が可能かどうか、ということになるはずである。)
それからどうでもいいことだが、パンダは、日本で飼育してはいるが(上野の動物園とアドベンチャーワールド)が、これは中国政府が日本に貸し出しているものである、という非常に政治的な色合いのつよい動物であることも、忘れてはいけないことだろう。
2025年3月23日記
レギュラー番組への道 擬人化ドラマ 被告人パンダ
以前に「被告人名古屋」があったのを思い出す。たしか、「ドキュメント20min.」だったと思う。これは面白かった。
それにつづくものということになるのだろうか。パンダも面白かったが、ちょっとNHK的に、教育的にすぎるかな、という気がしないでもない。まあ、今の動物園の役割として、社会教育施設であり、生物の多様性を保つための活動が重視されるようになってきていることは、分かる。(ちなみに、NHKでやっている動物番組の中では、私は「ウチのどうぶつえん」が一番好きである。動物園の仕事を通じて、動物を動物園で飼育することの意義が、きちんと伝わってくる。そして、登場する動物たちが、非常にかわいい。)
パンダが始めて日本にやってきたときのことは記憶している。上野に、ランランと、カンカンがやってきた。長蛇の列で、このときは見に行こうとはまったく思わなかった。その後、東京に住んでいるとき、上野にいたのが、タンタンだった。子ども(長男)が小さかったときに、連れて行ったのを憶えている。わりと空いていて、ゆっくりと見ることができた。小さいパンダが、白と黒のサッカーボールで遊んでいた。
アドベンチャーワールドには、二年ほど前に行った。たしかに、パンダが、他の動物たちに比べて厚遇されていると言われれば、たしかにそうである。ただ、アドベンチャーワールドにいる動物たちは、他の動物園に比べれば、かなりゆったりと飼育しているという印象はうける。
パンダが、他の動物たちよりも厚遇されているということは、まあ、そのとおりだよなあ、とは感じる。だが、やはり、動物園という施設のなかで飼育しているという状況は、どうしようもない。動物園や水族館という施設のあり方から根本的に考える必要はあるかとも思うが、さしあたっては、今、動物園にいる動物たちが快適にすごせるように配慮することが、まずは必要ということになるだろう。
閉鎖となる動物園や水族館の話しがある。そこで飼育されていた動物たちが、その後、どうなることになるのか、気がかりなことでもある。
動物と人間が共存するのは、かなり難しい面がある。番組の中で出てきていた、ヒグマやツキノワグマとの共存は、これからの日本での人びとの生活を考えると、かなり難しいところがあるかと思う。(ヒグマは肉食であった。そのエサとなるエゾシカと、さらに、そのエゾシカのエサとなる森林の環境、これがバランス良く保全できるかどうか、そして、それが人間の住む地域と共存が可能かどうか、ということになるはずである。)
それからどうでもいいことだが、パンダは、日本で飼育してはいるが(上野の動物園とアドベンチャーワールド)が、これは中国政府が日本に貸し出しているものである、という非常に政治的な色合いのつよい動物であることも、忘れてはいけないことだろう。
2025年3月23日記
映像の世紀バタフライエフェクト「映像の世紀×AI ヒトラーの隠された素顔に迫る」 ― 2025-03-27
2025年3月27日 當山日出夫
映像の世紀バタフライエフェクト 映像の世紀×AI ヒトラーの隠された素顔に迫る
エヴァ・ブラウンがプライベートに撮影していたフィルムは、これまでも、「映像の世紀」シリーズで何度か見ている。それが、かなり長時間におよぶものであり、また、ヒトラーは、権力の座にあったときの、相当の時間を山荘ですごしていた。ヒトラーにとっての、プライベートな時間であり、これは、エヴァしか撮影することのできないものであった。
なぜ、ヒトラーはエヴァにひかれたのか。残った映像で見ると、そんなに飛び抜けた美人というわけではないし、官能的な魅力を感じるということもない。ごく普通の若い女性という印象である。(まあ、今では、女性に対してこのような言い方をすること自体が、ルッキズムとして批判されることにはなるが、歴史的なことについて語る場合は、こういう言い方をしてもいいだろう。)
権力の座にあったヒトラーとしては、そのごく普通の雰囲気が重要であったということになるだろう。エヴァの妹の結婚式のパーティーは、ドイツの敗北のなかでおこなわれたことになるが、強いていえば、ここでヒトラーがもとめていたのは、ありふれた日常生活であった(それは、当時の多くのヨーロッパの人びとの生活とはかけはなれたものではあったが)ことになるだろう。
番組のなかで、まず登場していたのが、主治医のモレル。ヒトラーが、薬物中毒であった、ということになる。残された注射の記録からは、そのように判断していいのだろう。ただ、それが、ヒトラーの判断力にどう影響していたかは、推測するしかないことになるだろうが。
彫刻家のアルノ・ブレーカーが側にいたことは、若い時に、芸術、建築を夢みていたヒトラーの気持ちの表れということになるのだろう。
外科医のカール・ブラントは、事故や事件にそなえて側にいたことになる。そして、この人物が、障害者などの安楽死をおこなった。その全権をヒトラーから与えられていた。
このようなことは、AI技術による顔認識によることになる。人間の目で見ていれば、私の目で見ると、ヒムラーとかゲッベルスぐらいなら、それとすぐわかるが、その他の人物は、とうていわからない。専門家が見ても、分からないことが多いだろう。
このようなAI技術の応用によって、記録フィルムに、誰がどこで映っているのか判明することが多くあることになる。これは、おそらく、歴史についての見方や、記録映像の価値、史料批判、ということに、大きな影響を与えることになるだろう。
同じようなことを、日本の記録映像、ニュース映像などについて使うことになるならば、見えてこなかった歴史の一面が分かるということがあるかもしれない。文書史料による歴史研究に、あるいは、新たな方法論として、利用されるようになるかとも思われる。
特に、読唇のAIの開発は、映像資料の利用に、新たな局面をもたらすにちがない。この技術を、悪用しようと思えば、いろんな悪いことに使えるにちがいないとは思うけれど。(この技術を逆につかえば、自然に話しをしているディープフェイク映像が作れることになる。)
この番組では言っていなかったが、山荘でのヒトラーの姿を映したエヴァのフィルムが、カラーフィルムであったことは、この時代としては、どう評価することになるのだろうか。また、この当時の、カラーフィルムの撮影や現像の技術は、どんなものだったのだろうか。技術的なことだが、解説があると、より分かりやすい。
当時のカラーフィルムの感度で撮影できたということは、屋外の非常に明るい場所であったということは、言っていいだろうと思うが。
この回はヒトラーをあつかっていた。山荘のヒトラーの映像から見えてくるのは、ごく普通の生活感覚を持った人間である。なにごともなければ、売れない画家ですごすことになったかもしれない。普通の生活感覚のなかで、障害者の安楽死政策があり、ホロコーストがあったことになる。これが、もっとも重要なことになると、私は思う。おそらく、19世紀前半のアメリカでは、普通の日常生活の感覚で、黒人奴隷について語られ、インディアン(と言っておくことにするが)についても語られていただろう。スターリンについても、同様である。さらには、同じことが、今の世界で話題になる政治家についても、言っていいかと思う。それが、時代の歴史の流れのなかで、どのように思考して、行動することになるのか、時として大きな(飛躍的な)はたらきをすることになる。歴史とはそういうものであり、人間とはそういうものである、と言ってしまうと、あまりにシニカルにすぎるだろうか。
2025年3月25日記
映像の世紀バタフライエフェクト 映像の世紀×AI ヒトラーの隠された素顔に迫る
エヴァ・ブラウンがプライベートに撮影していたフィルムは、これまでも、「映像の世紀」シリーズで何度か見ている。それが、かなり長時間におよぶものであり、また、ヒトラーは、権力の座にあったときの、相当の時間を山荘ですごしていた。ヒトラーにとっての、プライベートな時間であり、これは、エヴァしか撮影することのできないものであった。
なぜ、ヒトラーはエヴァにひかれたのか。残った映像で見ると、そんなに飛び抜けた美人というわけではないし、官能的な魅力を感じるということもない。ごく普通の若い女性という印象である。(まあ、今では、女性に対してこのような言い方をすること自体が、ルッキズムとして批判されることにはなるが、歴史的なことについて語る場合は、こういう言い方をしてもいいだろう。)
権力の座にあったヒトラーとしては、そのごく普通の雰囲気が重要であったということになるだろう。エヴァの妹の結婚式のパーティーは、ドイツの敗北のなかでおこなわれたことになるが、強いていえば、ここでヒトラーがもとめていたのは、ありふれた日常生活であった(それは、当時の多くのヨーロッパの人びとの生活とはかけはなれたものではあったが)ことになるだろう。
番組のなかで、まず登場していたのが、主治医のモレル。ヒトラーが、薬物中毒であった、ということになる。残された注射の記録からは、そのように判断していいのだろう。ただ、それが、ヒトラーの判断力にどう影響していたかは、推測するしかないことになるだろうが。
彫刻家のアルノ・ブレーカーが側にいたことは、若い時に、芸術、建築を夢みていたヒトラーの気持ちの表れということになるのだろう。
外科医のカール・ブラントは、事故や事件にそなえて側にいたことになる。そして、この人物が、障害者などの安楽死をおこなった。その全権をヒトラーから与えられていた。
このようなことは、AI技術による顔認識によることになる。人間の目で見ていれば、私の目で見ると、ヒムラーとかゲッベルスぐらいなら、それとすぐわかるが、その他の人物は、とうていわからない。専門家が見ても、分からないことが多いだろう。
このようなAI技術の応用によって、記録フィルムに、誰がどこで映っているのか判明することが多くあることになる。これは、おそらく、歴史についての見方や、記録映像の価値、史料批判、ということに、大きな影響を与えることになるだろう。
同じようなことを、日本の記録映像、ニュース映像などについて使うことになるならば、見えてこなかった歴史の一面が分かるということがあるかもしれない。文書史料による歴史研究に、あるいは、新たな方法論として、利用されるようになるかとも思われる。
特に、読唇のAIの開発は、映像資料の利用に、新たな局面をもたらすにちがない。この技術を、悪用しようと思えば、いろんな悪いことに使えるにちがいないとは思うけれど。(この技術を逆につかえば、自然に話しをしているディープフェイク映像が作れることになる。)
この番組では言っていなかったが、山荘でのヒトラーの姿を映したエヴァのフィルムが、カラーフィルムであったことは、この時代としては、どう評価することになるのだろうか。また、この当時の、カラーフィルムの撮影や現像の技術は、どんなものだったのだろうか。技術的なことだが、解説があると、より分かりやすい。
当時のカラーフィルムの感度で撮影できたということは、屋外の非常に明るい場所であったということは、言っていいだろうと思うが。
この回はヒトラーをあつかっていた。山荘のヒトラーの映像から見えてくるのは、ごく普通の生活感覚を持った人間である。なにごともなければ、売れない画家ですごすことになったかもしれない。普通の生活感覚のなかで、障害者の安楽死政策があり、ホロコーストがあったことになる。これが、もっとも重要なことになると、私は思う。おそらく、19世紀前半のアメリカでは、普通の日常生活の感覚で、黒人奴隷について語られ、インディアン(と言っておくことにするが)についても語られていただろう。スターリンについても、同様である。さらには、同じことが、今の世界で話題になる政治家についても、言っていいかと思う。それが、時代の歴史の流れのなかで、どのように思考して、行動することになるのか、時として大きな(飛躍的な)はたらきをすることになる。歴史とはそういうものであり、人間とはそういうものである、と言ってしまうと、あまりにシニカルにすぎるだろうか。
2025年3月25日記
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