100カメ「100年食堂 創業百年以上!長く愛される秘密に迫る」 ― 2025-03-29
2025年3月29日 當山日出夫
100カメ 100年食堂 創業百年以上!長く愛される秘密に迫る
再放送である。最初は、2024年1月14日。このとき、録画するのを忘れていて、再放送があったので、そちらを録画して見ることにした。
よくこんな食堂を探してきたものだなあ、というのがまず思うことである。どこの食堂でも、「ドキュメント72時間」の舞台になってもおかしくない。どの店も、小さな規模で、家族経営であるし、昔ながらの流儀を守っている。まだ、日本にも、こんな店があるのか、やっていけるのか、ということで見ていて、少し驚きもし、また、安心もした、というところである。
氷の冷蔵庫を今も使っているというのには、正直、おどろいた。私の世代だと、こういう冷蔵庫があることを、ぎりぎり憶えている年代になるかもしれない。電気冷蔵庫が、急速に普及した。だが、基本的に、0度にたもつことができ、湿度もある、という意味では、食品の用途によっては、最深の電気冷蔵庫よりも、合理的かもしれない。
お会計の計算にソロバンを使っていたが、最近の若い人は、ソロバンを見せられても、それがすぐに数字・数値として、理解できるだろうかという気がする。しかも、映っていたのは、昔の五つ玉のソロバンだった。
呉の大衆食堂のお店が、製鉄所が閉鎖になって、お客さんが半減してしまったと言っていたが、今の日本では、こういう状況は各地にある。(それに将来的には、人口減少ということが、まちかまえている。)
津軽そば、というのは、なぜゆでたままおいておくのだろうか。屋台から始まったものらしいが、たしかに、屋台でお湯の利用を節減する意味では、こういう食べ方もあっていいかもしれない。(しかし、店主のレクチャーは、ちょっとくどいように思えてならない。)
香川の讃岐うどんの店が、経営危機であった、ということだが、香川県といえども、うどん屋さんの商売は厳しいらしい。新商品の開発で勝負するということになるのかと思う。
東京の浅草の洋食屋さん。テーブルが三つだけの店であるが、台湾や中国から観光客が目当てでやってきている。今の、インバウンドがつづけば、観光客相手にして、建物を建て替えててもやっていけるかもしれない。しかし、そうなったら、地元の常連のお客さんは、来にくくなってしまうだろうなあ、とは思う。
2025年3月28日記
100カメ 100年食堂 創業百年以上!長く愛される秘密に迫る
再放送である。最初は、2024年1月14日。このとき、録画するのを忘れていて、再放送があったので、そちらを録画して見ることにした。
よくこんな食堂を探してきたものだなあ、というのがまず思うことである。どこの食堂でも、「ドキュメント72時間」の舞台になってもおかしくない。どの店も、小さな規模で、家族経営であるし、昔ながらの流儀を守っている。まだ、日本にも、こんな店があるのか、やっていけるのか、ということで見ていて、少し驚きもし、また、安心もした、というところである。
氷の冷蔵庫を今も使っているというのには、正直、おどろいた。私の世代だと、こういう冷蔵庫があることを、ぎりぎり憶えている年代になるかもしれない。電気冷蔵庫が、急速に普及した。だが、基本的に、0度にたもつことができ、湿度もある、という意味では、食品の用途によっては、最深の電気冷蔵庫よりも、合理的かもしれない。
お会計の計算にソロバンを使っていたが、最近の若い人は、ソロバンを見せられても、それがすぐに数字・数値として、理解できるだろうかという気がする。しかも、映っていたのは、昔の五つ玉のソロバンだった。
呉の大衆食堂のお店が、製鉄所が閉鎖になって、お客さんが半減してしまったと言っていたが、今の日本では、こういう状況は各地にある。(それに将来的には、人口減少ということが、まちかまえている。)
津軽そば、というのは、なぜゆでたままおいておくのだろうか。屋台から始まったものらしいが、たしかに、屋台でお湯の利用を節減する意味では、こういう食べ方もあっていいかもしれない。(しかし、店主のレクチャーは、ちょっとくどいように思えてならない。)
香川の讃岐うどんの店が、経営危機であった、ということだが、香川県といえども、うどん屋さんの商売は厳しいらしい。新商品の開発で勝負するということになるのかと思う。
東京の浅草の洋食屋さん。テーブルが三つだけの店であるが、台湾や中国から観光客が目当てでやってきている。今の、インバウンドがつづけば、観光客相手にして、建物を建て替えててもやっていけるかもしれない。しかし、そうなったら、地元の常連のお客さんは、来にくくなってしまうだろうなあ、とは思う。
2025年3月28日記
クローズアップ現代「放送100年SP テレビが伝えた“あの日”と未来」 ― 2025-03-29
2025年3月29日 當山日出夫
クローズアップ現代 放送100年SP テレビが伝えた“あの日”と未来
これは録画しておいて、あとでゆっくりと見た。
放送100年ということで作った企画であるが、実際には、テレビ放送、そのなかでも、報道番組の問題点、ということになる。これはこれで一つの視点ではあるが、そうならそうで、始めから論点を絞った方がよかっただろう。
特に目新しいことはなかった。が、なかで、これは重要かなと思ったのは、やはり、放送博物館に保存されていた、戦時中の読まれなかった原稿。どういう経緯で残ったものなのかということが気になるが、よく残しておいたものだと思う。この資料がものがたることは……自主規制、ということになる。一般的には、戦前、戦時中の言論統制ということで語られることであるが、いわゆる大本営発表という形での情報の流れがあったと同時に、報道の現場における自主規制が大きく働いていたことになる。これこそが、日本における、報道の自由、言論の自由、をめぐる最大の問題である。
できれば、このことについては、佐藤卓己(京都大学から上智大学に移った)が、せっかく映っているのだから、厳しく指摘してもいいところだったかと思うが、なんとなく、こういう資料がありました、という雰囲気で終わってしまっていた。
あさま山荘事件、2001年同時多発テロ事件、たしかにテレビが伝えたニュースである。
2001年のとき、たまたまNHKのニュースを見ていたので、二機目がビルに突入した場面を見た。ただ、番組のなかでは、ビルにあたる直前で映像を止めていたが、実際に流れた映像は、ビルに突入してそこに飛行機の形の穴があいたところまで、中継していた。ここで、直前で映像を止める意味はいったい何なのだろうか。まあ、その後に起こったことは知られているし、実際に、その時に多くの人が亡くなっているのだから、映像を止めることは理解できることではある。しかし、歴史的事件の映像記録としては、最後まで放送してもよかったようにも思える。その瞬間(まさに人が死ぬとき)までテレビでは映していたのだ、ということを確認することが、意味のないこととは思えない。
2011年の東日本大震災のときの津波の映像は、放送しなかった。そのかわりに、Ustreamでの配信のことが話題であった。
この報道についても、いろいろと言うことはあるが、私は、たまたまその日、家にいてテレビを見ていたので、津波がおそって、人間がなかにいるであろう家や車を押し流しているシーンが、ほぼリアルタイムで、全国に流されていたのを、見て記憶している。これも、今となっては、放送できないものになるかもしれない。
時々、津波の記録映像が放送されることはあるが、それは、かなり慎重に編集したものになっている。
リアルタイムでの放送の価値ということで、私の記憶に残っているのは、能登半島の地震と津波のとき、NHKで放送を担当していた、山内泉アナウンサーの言った「おおつなみけいほう」ということばである。
現在、災害報道でも、あるいは、戦争でも、スマホ一つあれば現地からのリアルタイム中継ということが可能になっている。かつてのベトナム戦争のときと、今のウクライナでの戦争と、大きく変わった。まあ、湾岸戦争のときの、ピーター・アーネットのことを思い出すのだが、これを憶えている人は、少なくなったかと思う。
さて、今では、ニュースについても、その解説についても、自分の主張とは異なる立場からはどう見えるのか、ということについては、あえてコスト(時間もお金も労力も)払わなくてはならない時代になった。SNSがそれを加速していることはいうまでもない。雑誌を読むなら、『世界』も『正論』も読まないといけないし、だからといって、その中間あたりが妥当ということでもない。
面倒くさい時代になってしまったものだ、というのが、もう老人である私としては思うことである。こういうときは、古典に帰るしかない。丸山眞男の『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)で、議論の本意を定むること、について論じてあるが、このあたりのところに立ちかえって考えるべきだとは思うが、しかし、今の時代では、いわゆる右派も左派も、そんな知的な余裕はなさそうである。ましてや、タイパ、コスパ重視の今の時流にあっては、何を言っても無駄という気がしないでもない。
2025年3月26日記
クローズアップ現代 放送100年SP テレビが伝えた“あの日”と未来
これは録画しておいて、あとでゆっくりと見た。
放送100年ということで作った企画であるが、実際には、テレビ放送、そのなかでも、報道番組の問題点、ということになる。これはこれで一つの視点ではあるが、そうならそうで、始めから論点を絞った方がよかっただろう。
特に目新しいことはなかった。が、なかで、これは重要かなと思ったのは、やはり、放送博物館に保存されていた、戦時中の読まれなかった原稿。どういう経緯で残ったものなのかということが気になるが、よく残しておいたものだと思う。この資料がものがたることは……自主規制、ということになる。一般的には、戦前、戦時中の言論統制ということで語られることであるが、いわゆる大本営発表という形での情報の流れがあったと同時に、報道の現場における自主規制が大きく働いていたことになる。これこそが、日本における、報道の自由、言論の自由、をめぐる最大の問題である。
できれば、このことについては、佐藤卓己(京都大学から上智大学に移った)が、せっかく映っているのだから、厳しく指摘してもいいところだったかと思うが、なんとなく、こういう資料がありました、という雰囲気で終わってしまっていた。
あさま山荘事件、2001年同時多発テロ事件、たしかにテレビが伝えたニュースである。
2001年のとき、たまたまNHKのニュースを見ていたので、二機目がビルに突入した場面を見た。ただ、番組のなかでは、ビルにあたる直前で映像を止めていたが、実際に流れた映像は、ビルに突入してそこに飛行機の形の穴があいたところまで、中継していた。ここで、直前で映像を止める意味はいったい何なのだろうか。まあ、その後に起こったことは知られているし、実際に、その時に多くの人が亡くなっているのだから、映像を止めることは理解できることではある。しかし、歴史的事件の映像記録としては、最後まで放送してもよかったようにも思える。その瞬間(まさに人が死ぬとき)までテレビでは映していたのだ、ということを確認することが、意味のないこととは思えない。
2011年の東日本大震災のときの津波の映像は、放送しなかった。そのかわりに、Ustreamでの配信のことが話題であった。
この報道についても、いろいろと言うことはあるが、私は、たまたまその日、家にいてテレビを見ていたので、津波がおそって、人間がなかにいるであろう家や車を押し流しているシーンが、ほぼリアルタイムで、全国に流されていたのを、見て記憶している。これも、今となっては、放送できないものになるかもしれない。
時々、津波の記録映像が放送されることはあるが、それは、かなり慎重に編集したものになっている。
リアルタイムでの放送の価値ということで、私の記憶に残っているのは、能登半島の地震と津波のとき、NHKで放送を担当していた、山内泉アナウンサーの言った「おおつなみけいほう」ということばである。
現在、災害報道でも、あるいは、戦争でも、スマホ一つあれば現地からのリアルタイム中継ということが可能になっている。かつてのベトナム戦争のときと、今のウクライナでの戦争と、大きく変わった。まあ、湾岸戦争のときの、ピーター・アーネットのことを思い出すのだが、これを憶えている人は、少なくなったかと思う。
さて、今では、ニュースについても、その解説についても、自分の主張とは異なる立場からはどう見えるのか、ということについては、あえてコスト(時間もお金も労力も)払わなくてはならない時代になった。SNSがそれを加速していることはいうまでもない。雑誌を読むなら、『世界』も『正論』も読まないといけないし、だからといって、その中間あたりが妥当ということでもない。
面倒くさい時代になってしまったものだ、というのが、もう老人である私としては思うことである。こういうときは、古典に帰るしかない。丸山眞男の『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)で、議論の本意を定むること、について論じてあるが、このあたりのところに立ちかえって考えるべきだとは思うが、しかし、今の時代では、いわゆる右派も左派も、そんな知的な余裕はなさそうである。ましてや、タイパ、コスパ重視の今の時流にあっては、何を言っても無駄という気がしないでもない。
2025年3月26日記
知恵泉「やなせたかし」 ― 2025-03-29
2025年3月29日 當山日出夫
知恵泉 やなせたかし
やなせたかしについては、以前に「ザ・プロファイラー」であつかっていたので、これは見た。
やまもも書斎記 2024年1月1日
「アンパンマンだけじゃない!マルチな天才 やなせたかし」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/01/01/9647421
やなせたかしは、自ら書き残しているものが多いし、また、伝記もある。その著者が、梯久美子である。梯久美子の書いた本のいくつかは読んでいる。印象に残っているのは『狂うひと』である。
無論、この番組は、次の朝ドラの『あんぱん』に関連してのものにちがいない。だからということではないが、やなせたかしの人生のどこにスポットを当てることになるのか、それによって描くべきことは変わってくる。
戦争のことは避けてとおれない。
やなせたかし自身が兵隊として中国で戦った。そして、その戦場の実際の姿を体験してきている。(戦争を体験した漫画家として、水木しげるのことがあるが。)
そして、その弟が、戦死している。
やなせたかしの戦争体験は、その正義感に現れていることになる。正義とはかっこうのいいものではない。それは、ときとして逆転するものでもある。つまり、絶対に正しい正義の主張はない、ということになる。この観点では、朝ドラでは、『虎に翼』で描いたような正義の観念とは別のもの、対極的な正確のもの、ということになる。
いろんな仕事をした人である。この番組では言っていなかったが、三越の百貨店の包装紙のデザインもしている。「手のひらを太陽に」の作詞でもある。その人生で出てくる人物としては、宮城まり子、永六輔、いずみたく、などがいることになる。
やなせたかしという人をたどれば、おそらく戦後の日本のサブカルチャーの歴史のかなりの部分にふれることになる。その柔軟でしなやかな正義感、さまざまな人との出会い、これらをどうドラマで描くことになるかは、楽しみでもある。
2025年3月26日記
知恵泉 やなせたかし
やなせたかしについては、以前に「ザ・プロファイラー」であつかっていたので、これは見た。
やまもも書斎記 2024年1月1日
「アンパンマンだけじゃない!マルチな天才 やなせたかし」
https://yamamomo.asablo.jp/blog/2024/01/01/9647421
やなせたかしは、自ら書き残しているものが多いし、また、伝記もある。その著者が、梯久美子である。梯久美子の書いた本のいくつかは読んでいる。印象に残っているのは『狂うひと』である。
無論、この番組は、次の朝ドラの『あんぱん』に関連してのものにちがいない。だからということではないが、やなせたかしの人生のどこにスポットを当てることになるのか、それによって描くべきことは変わってくる。
戦争のことは避けてとおれない。
やなせたかし自身が兵隊として中国で戦った。そして、その戦場の実際の姿を体験してきている。(戦争を体験した漫画家として、水木しげるのことがあるが。)
そして、その弟が、戦死している。
やなせたかしの戦争体験は、その正義感に現れていることになる。正義とはかっこうのいいものではない。それは、ときとして逆転するものでもある。つまり、絶対に正しい正義の主張はない、ということになる。この観点では、朝ドラでは、『虎に翼』で描いたような正義の観念とは別のもの、対極的な正確のもの、ということになる。
いろんな仕事をした人である。この番組では言っていなかったが、三越の百貨店の包装紙のデザインもしている。「手のひらを太陽に」の作詞でもある。その人生で出てくる人物としては、宮城まり子、永六輔、いずみたく、などがいることになる。
やなせたかしという人をたどれば、おそらく戦後の日本のサブカルチャーの歴史のかなりの部分にふれることになる。その柔軟でしなやかな正義感、さまざまな人との出会い、これらをどうドラマで描くことになるかは、楽しみでもある。
2025年3月26日記
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