『牧野植物図鑑の謎』俵浩三/ちくま文庫 ― 2023-06-14
2023年6月14日 當山日出夫
俵浩三.『牧野植物図鑑の謎-在野の天才と知られざる競争相手-』(ちくま文庫).筑摩書房.2023(平凡社新書.1999)
一九九九年に平凡社新書として刊行されたものの文庫である。解説を書いているのは、大庭秀章。
たまたまNHKの朝ドラで『らんまん』を放送している。モデルとなっているのは、牧野富太郎である。そのせいか、このごろ牧野富太郎関係の本がいくつか出ている。これもその一つと言っていいのだろうが、そのような事情は別にしても、これは面白い本であった。
「図鑑」というものが、牧野富太郎の発明である……俗説としてこのような言説があるとしても、これは嘘である。「図鑑」という用語の使用においても、また、そのような書物の形式においても、決して牧野富太郎の独創によるものではない。このあたりの事情が、この本では分かりやすく説得力を持って書かれている。
牧野富太郎とほぼ同じ時代にライバルとして、似たような図鑑を刊行していたのは、村越三千男という人物。今では、この人物の名は、忘れ去られてしまっているといっていいだろう。だが、明治から昭和にかけて、数多くの図鑑類の刊行にたずさわっている。研究者というよりは、教育啓蒙の立場で仕事をした人といっていいだろうか。
まさに、牧野富太郎と村越三千男は、ライバルであったことになる。
が、そのようなこの本の本来の意図とは別に、興味深い記述がいくつかある。
例えば、牧野富太郎が図鑑を出したのが、明治四〇年ということであるが、このころ、植物図鑑の類が、他に数多く刊行されている。これは、一つには、学校の理科の教科書が無かったことに起因するらしい。身近な自然観察から始まるべきだとする、その当時の方針によって、全国的に統一的な教科書は作られなかった。そのため、現場の理科教育のために、多くの図鑑が刊行された。
この理科教育の方針が、決まったのは、明治三三年のこと。小学校令施行規則においてである。
このことは、日本語の歴史にとっても重要な出来事である。この時に、現在の平仮名、片仮名が決められた。つまり、これ以外の仮名は、「変体仮名」として排除されることになった。歴史的に見れば、変体仮名の成立は、明治三三年ということになる。(これは、日本語の歴史の常識である。)
まあ、このようなことは知ってはいるのだが、では、明治三三年に他にどのようなことが決まったのか、ということについては不案内なままできている。この時に何がどのように決まり、それが、その後の日本の教育にどのような影響を及ぼしたのか、これは興味がある。(たぶん、専門の研究はあるのだろうと思う。)
また、この本は、明治以降の日本の理科教育の歴史を概観することにもつながる。そして、同時に、近代の図鑑出版史にもつながる。非常に射程の大きな仕事になっている。
牧野富太郎関係の本の一冊として読んでみた本ではあるが、しかし、近代の教育や出版の歴史を考えるうえで、重要な指摘が多くある本だと思う。
2023年6月13日記
一九九九年に平凡社新書として刊行されたものの文庫である。解説を書いているのは、大庭秀章。
たまたまNHKの朝ドラで『らんまん』を放送している。モデルとなっているのは、牧野富太郎である。そのせいか、このごろ牧野富太郎関係の本がいくつか出ている。これもその一つと言っていいのだろうが、そのような事情は別にしても、これは面白い本であった。
「図鑑」というものが、牧野富太郎の発明である……俗説としてこのような言説があるとしても、これは嘘である。「図鑑」という用語の使用においても、また、そのような書物の形式においても、決して牧野富太郎の独創によるものではない。このあたりの事情が、この本では分かりやすく説得力を持って書かれている。
牧野富太郎とほぼ同じ時代にライバルとして、似たような図鑑を刊行していたのは、村越三千男という人物。今では、この人物の名は、忘れ去られてしまっているといっていいだろう。だが、明治から昭和にかけて、数多くの図鑑類の刊行にたずさわっている。研究者というよりは、教育啓蒙の立場で仕事をした人といっていいだろうか。
まさに、牧野富太郎と村越三千男は、ライバルであったことになる。
が、そのようなこの本の本来の意図とは別に、興味深い記述がいくつかある。
例えば、牧野富太郎が図鑑を出したのが、明治四〇年ということであるが、このころ、植物図鑑の類が、他に数多く刊行されている。これは、一つには、学校の理科の教科書が無かったことに起因するらしい。身近な自然観察から始まるべきだとする、その当時の方針によって、全国的に統一的な教科書は作られなかった。そのため、現場の理科教育のために、多くの図鑑が刊行された。
この理科教育の方針が、決まったのは、明治三三年のこと。小学校令施行規則においてである。
このことは、日本語の歴史にとっても重要な出来事である。この時に、現在の平仮名、片仮名が決められた。つまり、これ以外の仮名は、「変体仮名」として排除されることになった。歴史的に見れば、変体仮名の成立は、明治三三年ということになる。(これは、日本語の歴史の常識である。)
まあ、このようなことは知ってはいるのだが、では、明治三三年に他にどのようなことが決まったのか、ということについては不案内なままできている。この時に何がどのように決まり、それが、その後の日本の教育にどのような影響を及ぼしたのか、これは興味がある。(たぶん、専門の研究はあるのだろうと思う。)
また、この本は、明治以降の日本の理科教育の歴史を概観することにもつながる。そして、同時に、近代の図鑑出版史にもつながる。非常に射程の大きな仕事になっている。
牧野富太郎関係の本の一冊として読んでみた本ではあるが、しかし、近代の教育や出版の歴史を考えるうえで、重要な指摘が多くある本だと思う。
2023年6月13日記
『神田神保町書肆街考』鹿島茂/ちくま文庫 ― 2022-11-04
2022年11月4日 當山日出夫
鹿島茂.『神田神保町書肆街考』(ちくま文庫).筑摩書房.2022(筑摩書房.2017)
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438317/
私が神保町にはじめて行ったのは、東京の大学を受験したときだった。そのときは、ただ通っただけだった。その後、慶應義塾大学文学部に入学して、本を買うために神保町に行くようになった。
まだ憶えているのは、三省堂の昔の建物。取り壊しになったビルではなく、その前の昔の建物である。ランチョンも、ビルになる前の店を記憶している。それから、九段の方に歩いて山本書店。これも今はビルになっているが、昔の古いの店舗には何度か行ったものである。
その他、自分の専門(国語学)の本を買うためには、八木書店とか、日本書房とか、西秋書店とか、よく行った。
何年か間のことになる、東京に行って神保町でちょっと時間をつぶす必要があって、靖国通りのスターバックスの二階の窓際の席で、向かいの古書店街の風景を、なんとなく見てすごしたことがある。スターバックスは、私の学生のころには無かったのは無論であるが、そこから見る古書店街の風景は、基本的に昔のままの印象であった。
この本の解説を書いているのは、仲俣暁生。この本についての優れた解説となっている。本の街の神保町の歴史であり、それは、日本の近代以降の学問と教育の歴史であり、とりもなおさず、近代日本の歴史につながるものである。神保町という街の歴史を語りながら、その地に集まった、多くの学校……東京大学、東京外国語大学、明治大学、専修大学、中央大学……など。さらには、多くの中国人留学生の集まる街でもあった。さらには、映画、演劇のことにまで話題はひろがっていく。
私の記憶にある範囲で、この本が取り上げていないテーマとしては、神保町は喫茶点の街でもある。お茶の水あたりには、昔、名曲喫茶などがあった。また、近年は、カレーの街としても名高いものになっている。それから、山の上ホテルのことについても言及があると良かったと思える(これは、あえて省いたのだろうか。)また、岩波ホールのことについても書いていない。(これも今年無くなってしまったが、私にとって神保町は、岩波ホールのある街でもあった。)
読み物として、そして、通史として面白く書いてある。これが、一般の学術書であれば、参考文献として脚注ですますようなことでも、丁寧にその本が引用してある。たとえば、反町茂雄の本などかなりの引用がある。(反町茂雄の本は、以前に読んだものであるが、再度、神保町の近代史として読みなおしてみたい気になっている。)豊富な資料の引用によって、通読してなるほどと理解の及ぶところが多々ある。
近代の学校や、学校をとりまく様々な歴史、出版史、書物史、古書店史といった方面に関心のある向きには、非常に面白く読める本であることはたしかである。ただ、もとの本を文庫一冊にしてあるので、今の通常の文庫本としては、字が小さい。かなり老眼になっている私としては、ちょっと読むのに苦労するところがあった。
東京を離れてかなりになる。神保町からも遠のいている。このところ、本は、古書をふくめて、オンライン書店で買うことが多くなった。しかし、神保町の、その分野の専門の古書店の棚は、おそらく、そこいらへんの大学の図書館よりも充実しているといっていいだろう。専門の勉強をしようとしている、若い学生などは、神保町に足を運ぶ価値はまだあるはずである。
と書いたところで、最近の出来事としては、国立国会図書館のことがある。絶版本などのオンライン送信もあるし、さらには、その全文検索サービスもある。これが、この十一月からは、古典籍にも拡大された。次世代デジタルライブラリーの実現である。本を自分のもとに蔵書として持つ意味が、大きく変わろうとしている。これからの、インターネットと、デジタルの時代において、古書店や書物というものの持つ意味が根本的に変わっていくだろうか。その時代の流れのなかにあって、私自身としては、昔ながらに紙の本を読む生活を続けていきたいと思っている。
2022年11月3日記
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438317/
私が神保町にはじめて行ったのは、東京の大学を受験したときだった。そのときは、ただ通っただけだった。その後、慶應義塾大学文学部に入学して、本を買うために神保町に行くようになった。
まだ憶えているのは、三省堂の昔の建物。取り壊しになったビルではなく、その前の昔の建物である。ランチョンも、ビルになる前の店を記憶している。それから、九段の方に歩いて山本書店。これも今はビルになっているが、昔の古いの店舗には何度か行ったものである。
その他、自分の専門(国語学)の本を買うためには、八木書店とか、日本書房とか、西秋書店とか、よく行った。
何年か間のことになる、東京に行って神保町でちょっと時間をつぶす必要があって、靖国通りのスターバックスの二階の窓際の席で、向かいの古書店街の風景を、なんとなく見てすごしたことがある。スターバックスは、私の学生のころには無かったのは無論であるが、そこから見る古書店街の風景は、基本的に昔のままの印象であった。
この本の解説を書いているのは、仲俣暁生。この本についての優れた解説となっている。本の街の神保町の歴史であり、それは、日本の近代以降の学問と教育の歴史であり、とりもなおさず、近代日本の歴史につながるものである。神保町という街の歴史を語りながら、その地に集まった、多くの学校……東京大学、東京外国語大学、明治大学、専修大学、中央大学……など。さらには、多くの中国人留学生の集まる街でもあった。さらには、映画、演劇のことにまで話題はひろがっていく。
私の記憶にある範囲で、この本が取り上げていないテーマとしては、神保町は喫茶点の街でもある。お茶の水あたりには、昔、名曲喫茶などがあった。また、近年は、カレーの街としても名高いものになっている。それから、山の上ホテルのことについても言及があると良かったと思える(これは、あえて省いたのだろうか。)また、岩波ホールのことについても書いていない。(これも今年無くなってしまったが、私にとって神保町は、岩波ホールのある街でもあった。)
読み物として、そして、通史として面白く書いてある。これが、一般の学術書であれば、参考文献として脚注ですますようなことでも、丁寧にその本が引用してある。たとえば、反町茂雄の本などかなりの引用がある。(反町茂雄の本は、以前に読んだものであるが、再度、神保町の近代史として読みなおしてみたい気になっている。)豊富な資料の引用によって、通読してなるほどと理解の及ぶところが多々ある。
近代の学校や、学校をとりまく様々な歴史、出版史、書物史、古書店史といった方面に関心のある向きには、非常に面白く読める本であることはたしかである。ただ、もとの本を文庫一冊にしてあるので、今の通常の文庫本としては、字が小さい。かなり老眼になっている私としては、ちょっと読むのに苦労するところがあった。
東京を離れてかなりになる。神保町からも遠のいている。このところ、本は、古書をふくめて、オンライン書店で買うことが多くなった。しかし、神保町の、その分野の専門の古書店の棚は、おそらく、そこいらへんの大学の図書館よりも充実しているといっていいだろう。専門の勉強をしようとしている、若い学生などは、神保町に足を運ぶ価値はまだあるはずである。
と書いたところで、最近の出来事としては、国立国会図書館のことがある。絶版本などのオンライン送信もあるし、さらには、その全文検索サービスもある。これが、この十一月からは、古典籍にも拡大された。次世代デジタルライブラリーの実現である。本を自分のもとに蔵書として持つ意味が、大きく変わろうとしている。これからの、インターネットと、デジタルの時代において、古書店や書物というものの持つ意味が根本的に変わっていくだろうか。その時代の流れのなかにあって、私自身としては、昔ながらに紙の本を読む生活を続けていきたいと思っている。
2022年11月3日記
『貸本屋とマンガの棚』高野慎三/ちくま文庫 ― 2022-08-26
2022年8月26日 當山日出夫
高野慎三.『貸本屋とマンガの棚』(ちくま文庫).筑摩書房.2022
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438386/
元の本は、『貸本マンガと戦後の風景』(論創社.2016)。タイトルを改めて、文庫にしたものである。
戦後の出版、読書、サブカルチャーというようなことに興味にある人にとっては、必読の本であるといっていいだろう。戦後の貸本屋におかれたマンガ本、それは、どのような作者が書いて、どのような読者がいたのか。また、それは、どのように流通していたのか。そして、周辺の貸本小説や映画などとのかかわりはどうであったのか、実に興味がつきない。
読んで思うことはいろいろあるが、二つばかり書いてみる。
第一には、戦後のある時期にについての証言としての面白さである。戦後、貸本屋にマンガがおかれていた。その期間は、十数年ほどのことになる。その時期を実際に生きてきた人間の目で、貸本マンガの栄枯盛衰をたどってある。これは、とりもなおさず、その作者たちや読者たちをまきこんだ歴史の証言ともなっている。戦後の文化史として読んで、非常に面白い。
第二には、一般に読書史という興味からの面白さ。いったい日本人は、何を読んできたのだろうか。特に、戦後、義務教育を終えて都市で働いていたような若者たちは……いや、中には戦災孤児など義務教育を満足に受けられなかった人びともいたののだが……いったい娯楽に何を求めていたのか。何を読んでいたのか。このような視点から見て、興味深い指摘が多くある。決して「文学」を読んできたのではないことが理解される。
だいたい以上の二つのことを思って見る。
私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれである。貸本屋の全盛期は経験的には知らない。しかし、その残滓とでもいうべきものがあったことは、かろうじて体験的に知っている。
この本は、マンガ史研究にとっても貴重な証言や考察に満ちている。そして、その一方で、その作者たち、読者たちは、どのような人びとであったのかという興味関心もある。戦後貸本マンガについての貴重な調査と証言は、これからのマンガ研究のみならず、文化史、読書史といった分野において、貴重なものである。
中でも、戦争マンガとかSFマンガ、それから少女マンガのことなど、面白い。これらは、マンガ史というよりも、さらに大きな枠組み……戦後の文化史……という観点から、再検討されるべきことのように思われる。
2022年8月25日記
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480438386/
元の本は、『貸本マンガと戦後の風景』(論創社.2016)。タイトルを改めて、文庫にしたものである。
戦後の出版、読書、サブカルチャーというようなことに興味にある人にとっては、必読の本であるといっていいだろう。戦後の貸本屋におかれたマンガ本、それは、どのような作者が書いて、どのような読者がいたのか。また、それは、どのように流通していたのか。そして、周辺の貸本小説や映画などとのかかわりはどうであったのか、実に興味がつきない。
読んで思うことはいろいろあるが、二つばかり書いてみる。
第一には、戦後のある時期にについての証言としての面白さである。戦後、貸本屋にマンガがおかれていた。その期間は、十数年ほどのことになる。その時期を実際に生きてきた人間の目で、貸本マンガの栄枯盛衰をたどってある。これは、とりもなおさず、その作者たちや読者たちをまきこんだ歴史の証言ともなっている。戦後の文化史として読んで、非常に面白い。
第二には、一般に読書史という興味からの面白さ。いったい日本人は、何を読んできたのだろうか。特に、戦後、義務教育を終えて都市で働いていたような若者たちは……いや、中には戦災孤児など義務教育を満足に受けられなかった人びともいたののだが……いったい娯楽に何を求めていたのか。何を読んでいたのか。このような視点から見て、興味深い指摘が多くある。決して「文学」を読んできたのではないことが理解される。
だいたい以上の二つのことを思って見る。
私は、昭和三〇年(一九五五)の生まれである。貸本屋の全盛期は経験的には知らない。しかし、その残滓とでもいうべきものがあったことは、かろうじて体験的に知っている。
この本は、マンガ史研究にとっても貴重な証言や考察に満ちている。そして、その一方で、その作者たち、読者たちは、どのような人びとであったのかという興味関心もある。戦後貸本マンガについての貴重な調査と証言は、これからのマンガ研究のみならず、文化史、読書史といった分野において、貴重なものである。
中でも、戦争マンガとかSFマンガ、それから少女マンガのことなど、面白い。これらは、マンガ史というよりも、さらに大きな枠組み……戦後の文化史……という観点から、再検討されるべきことのように思われる。
2022年8月25日記
『林達夫 編集の精神』落合勝人 ― 2022-06-17
2022年6月17日 當山日出夫(とうやまひでお)
落合勝人.『林達夫 編集の精神』.岩波書店.2021
https://www.iwanami.co.jp/book/b587779.html
林達夫は若いとき、学生のころに、いくつか手にした。その当時、平凡社の著作集が刊行されていて、全部揃えるということはなかったが、そのうちのいくつかを買って読んだ。文庫本で、『共産主義的人間』が出ていたのも、読んだ。
とにかく、若い私にとって、林達夫という人はかっこいい人であった。
この本は、基本的に林達夫の評伝という形をとっている。が、その記述の主体となっているのは、編集者としての側面。読んで思うこと、感じることは多くあるが、二点ばかり書いておく。
第一には、出版史として。
昭和の戦前から戦後にかけての、出版史のある一面をうかびあがらせている。その中心になるのは、京都学派という存在であり、あるいは、岩波書店ということになる。岩波書店にける、「思想」や、「日本資本主義発達史講座」のことなど、戦前の思想と出版にかかわる、いろいろと興味深い記述がある。これはこれとして、通読して面白い読み物になっている。
名高い「日本資本主義発達史講座」であるが、このシリーズの刊行の実態というのは、どういう出版や販売のシステムによっていたのだろうか。現在の、出版社から取り次ぎがあり小売り書店というのとは、ちがっていたようなのだが、このあたり、戦前の出版流通のシステムの歴史的記述が、もうすこし丁寧にあるとよかったと思う。
第二に、百科事典。
これは、この本で書いていないことである。林達夫は、平凡社の百科事典の編集の仕事をしている。私としては、ここのところに非常に興味があるのだが、この本では、あえてであろうが、まったくといっていいほど省略している。たぶん、このところについて書こうとすると、この本の分量でおさまらない、あるいは、かなり方向性の違ったものになるという判断があってのことと思う。
今、WEBの時代である。百科事典的な知識というものは、大きく変容しようとしている。また、雑誌、講座という出版についても、変革の時代であるといえる。この時代背景を考えて、かつて、林達夫はどんな仕事をした人であったのか、あるいは、林達夫の仕事から、将来にむけてどんな展望を描くことができるのか、いろいろと考えることはあるかと思う。
以上の二点が、この本を読んで思ったことなどである。
さて、林達夫は、もう賞味期限が切れたというべきなのだろうか。あるいは、これからも読むべき人として生き残っていくだろうか。編集者としての林達夫という観点から考えてみた場合、どうだろうか。社会における知のあり方を考えるとき、林達夫は、参照すべき古典として生きのびることになるだろうか。
新しいインターネットの時代にあって、「編集」とはどういう意味をもつのか。この本を起点として、考えるべきことは多くあるだろう。
探せば、昔読んだ著作集が残っているはずである。久しぶりに林達夫の文章を読んでみたいと思う。
2022年5月31日記
https://www.iwanami.co.jp/book/b587779.html
林達夫は若いとき、学生のころに、いくつか手にした。その当時、平凡社の著作集が刊行されていて、全部揃えるということはなかったが、そのうちのいくつかを買って読んだ。文庫本で、『共産主義的人間』が出ていたのも、読んだ。
とにかく、若い私にとって、林達夫という人はかっこいい人であった。
この本は、基本的に林達夫の評伝という形をとっている。が、その記述の主体となっているのは、編集者としての側面。読んで思うこと、感じることは多くあるが、二点ばかり書いておく。
第一には、出版史として。
昭和の戦前から戦後にかけての、出版史のある一面をうかびあがらせている。その中心になるのは、京都学派という存在であり、あるいは、岩波書店ということになる。岩波書店にける、「思想」や、「日本資本主義発達史講座」のことなど、戦前の思想と出版にかかわる、いろいろと興味深い記述がある。これはこれとして、通読して面白い読み物になっている。
名高い「日本資本主義発達史講座」であるが、このシリーズの刊行の実態というのは、どういう出版や販売のシステムによっていたのだろうか。現在の、出版社から取り次ぎがあり小売り書店というのとは、ちがっていたようなのだが、このあたり、戦前の出版流通のシステムの歴史的記述が、もうすこし丁寧にあるとよかったと思う。
第二に、百科事典。
これは、この本で書いていないことである。林達夫は、平凡社の百科事典の編集の仕事をしている。私としては、ここのところに非常に興味があるのだが、この本では、あえてであろうが、まったくといっていいほど省略している。たぶん、このところについて書こうとすると、この本の分量でおさまらない、あるいは、かなり方向性の違ったものになるという判断があってのことと思う。
今、WEBの時代である。百科事典的な知識というものは、大きく変容しようとしている。また、雑誌、講座という出版についても、変革の時代であるといえる。この時代背景を考えて、かつて、林達夫はどんな仕事をした人であったのか、あるいは、林達夫の仕事から、将来にむけてどんな展望を描くことができるのか、いろいろと考えることはあるかと思う。
以上の二点が、この本を読んで思ったことなどである。
さて、林達夫は、もう賞味期限が切れたというべきなのだろうか。あるいは、これからも読むべき人として生き残っていくだろうか。編集者としての林達夫という観点から考えてみた場合、どうだろうか。社会における知のあり方を考えるとき、林達夫は、参照すべき古典として生きのびることになるだろうか。
新しいインターネットの時代にあって、「編集」とはどういう意味をもつのか。この本を起点として、考えるべきことは多くあるだろう。
探せば、昔読んだ著作集が残っているはずである。久しぶりに林達夫の文章を読んでみたいと思う。
2022年5月31日記
『最後の読書』津野海太郎 ― 2018-12-28
2018-12-28 當山日出夫(とうやまひでお)
津野海太郎.『最後の読書』.新潮社.2018
https://www.shinchosha.co.jp/book/318533/
ドストエフスキーを読み返している間に、気楽に読める本と思って手にしたものである。
著者(津野海太郎)は、八〇歳をむかえるという。その老年の境遇にあっての読書をめぐる、様々な思いが綴られている。
人はいずれ年をとる。老年になって、どのような読書が可能だろうか。
私ももう老眼である。本を読むときには、眼鏡(近眼用)をはずさないと読めない。字の小さい本が、読むのがつらくなってきている。文庫本など、昔の岩波文庫とか新潮文庫、まだ持っているものもたくさんあるのだが、とても字が小さすぎて読む気になれない。
まあ、新潮文庫の場合、本によっては、同一内容で改版して字を大きくして出しているのがある。それがある場合には、新しく買って読むことにしている。
ドストエフスキーを読んでいる。新しい亀山郁夫訳である。光文社古典新訳文庫のシリーズである。ドストエフスキーは、私は、古い池田健太郎の訳が好みではあるのだが、古い文庫本は、もう字が小さくてつらいと感じる。新しい亀谷郁夫訳の本は、字がひとまわり大きい。また、訳文も悪いとは感じない。いや、現代的な文学的感性を感じる訳文である。
年をとって「硬い本」は読めなくなるという。私にとって、ドストエフスキーの作品、それから、この秋に読んだ『失われた時を求めて』(プルースト)などは、そう「硬い本」とは感じないでいる。小説である。気楽に楽しめばよいと思って読んでいる。そして、この年になって、これらの作品を読んで、あるいは、再読してみて、その文学的感銘を感じている。
この本、読みながら興味深く感じたところがいくつかある。ドストエフスキーの作品を読む合間に、そのことについて書いておきたいと思っている。
https://www.shinchosha.co.jp/book/318533/
ドストエフスキーを読み返している間に、気楽に読める本と思って手にしたものである。
著者(津野海太郎)は、八〇歳をむかえるという。その老年の境遇にあっての読書をめぐる、様々な思いが綴られている。
人はいずれ年をとる。老年になって、どのような読書が可能だろうか。
私ももう老眼である。本を読むときには、眼鏡(近眼用)をはずさないと読めない。字の小さい本が、読むのがつらくなってきている。文庫本など、昔の岩波文庫とか新潮文庫、まだ持っているものもたくさんあるのだが、とても字が小さすぎて読む気になれない。
まあ、新潮文庫の場合、本によっては、同一内容で改版して字を大きくして出しているのがある。それがある場合には、新しく買って読むことにしている。
ドストエフスキーを読んでいる。新しい亀山郁夫訳である。光文社古典新訳文庫のシリーズである。ドストエフスキーは、私は、古い池田健太郎の訳が好みではあるのだが、古い文庫本は、もう字が小さくてつらいと感じる。新しい亀谷郁夫訳の本は、字がひとまわり大きい。また、訳文も悪いとは感じない。いや、現代的な文学的感性を感じる訳文である。
年をとって「硬い本」は読めなくなるという。私にとって、ドストエフスキーの作品、それから、この秋に読んだ『失われた時を求めて』(プルースト)などは、そう「硬い本」とは感じないでいる。小説である。気楽に楽しめばよいと思って読んでいる。そして、この年になって、これらの作品を読んで、あるいは、再読してみて、その文学的感銘を感じている。
この本、読みながら興味深く感じたところがいくつかある。ドストエフスキーの作品を読む合間に、そのことについて書いておきたいと思っている。
『本で床は抜けるのか』西牟田靖 ― 2018-04-21
2018-04-21 當山日出夫(とうやまひでお)
西牟田靖.『本で床は抜けるのか』(中公文庫).中央公論新社.2018 (本の雑誌社.2015)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2018/03/206560.html
先に結論を書けば……本で床は抜けるのである。その経験が私にはある。人ごとではないのである。
学生のとき(慶應の文学部)のことである。目黒に下宿していた。四畳半の部屋だった。お医者さんの家の二階であった。そこに、スチールの本棚を、三つか四つぐらい立てていただろうか。その当時の学生としては、本は持っていた方だと思う。
その頃、国文科の学生として、勉強のために、折口信夫全集も、定本柳田国男集も、そろえて持っていた。
ある日、隣の部屋(これも四畳半の部屋)との仕切りの壁のところの床が、ちょっと沈んでいるかなという感じがしたのを覚えている。その後、特にどうということなくすぎていた。引っ越しすることになった。同じ屋根の下で、もうちょっと広い部屋にである。
本棚を片づけてみると……確かに床が沈んでいるようだった。大家さん(病院であるから、お医者さんの一家である)に報告して見てもらった。大工さんに調べてもらったら……床が抜けていた。
といっても、半分は、木材の腐食か虫食いのようなもので、その箇所が弱くなっていたのではあるが、しかし、本棚の重みには耐えられなかったようだ。ちょうど、病院の診察室の真上に位置する。
このときは、大家さんの好意で、特にとがめられることもなく、全額大家さん負担で修理してもらうことになった。(その後、大学院の学生のとき、そのお医者さんが亡くなってから後、建物も取り壊されてしまうことになった。)
このとき、しみじみと感じたものである。本の重みで、家の床を破損することがあるのである、と。
それ以来、引っ越しするときに考えることは、その建物が本の重みに耐えるかどうかであった。その後、とにかく鉄筋の建物に住むことにした。木造の建物では、不安があったからである。
幸い、その後、本で床を抜いたという経験はしていない。
今の住まい……二十年ほど前に建てた木造の建物であるが、これを考えるとき、とにかく床を頑丈にということを考えた。通常の建築よりも、数倍は、床を頑丈に造ったはずである。家の中、どの部屋や廊下に本棚をおいても、大丈夫なようにと思った。少なくとも、一階は、どこにどれだけ本をおいても大丈夫なはずである。
二階もかなり頑丈にしてもらった。これは、本よりもピアノ(アップライトである、これは子どものため)を置くためである。ピアノも重い。二百キロを超えるとのことであった。
今、本は、自分の部屋の他に、外の書庫……という立派なものではない、ただの倉庫、しかし、特徴としては、窓はなくて、ひたすら床を頑丈に造った建物……においてある。自分の部屋からだと、いったん外に出て歩かなければならないので、億劫である。そのためもあって、自分の部屋の机のまわりの床は本だらけである。
これも、数ヶ月に一度は、整理して、まとめて外の倉庫の方に移動させることにしている。そうでないと、身の周り、文字通り足の踏み場もない状態になってしまう。
そして、この本『本で床は抜けるのか』であるが……最初に出た単行本を買って、また、文庫版が出たら買ってしまった。このようなことをしていると、本で床を抜くことになるのであろう。
それにしてもである、『日本国語大辞典』(第二版)は、私の机に座って手のとどくところにならべてある。しかし、今では、これを使うことはめったにない。ほとんど、デジタル版のジャパンナレッジで済ませてしまう。にもかかわらず、紙の本としての辞書は、手元においておきたい。
以前、旧版の『日本国語大辞典』を使っていたころは(これは、手元にはおいていない、外の倉庫の方に移動させた)、鉛筆(青)で、用例に印をつけたりしながら、辞書を「読んで」いたものである。デジタル版になって、辞書を「読む」ということがなくなってしまっている。これも、時代の流れなのかなと思ったりもする。だが、紙の『日本国語大辞典』が手のとどくところにないと不安である。
デジタルの時代になっても、紙の本というものがある限り、床の心配はなくならない。
http://www.chuko.co.jp/bunko/2018/03/206560.html
先に結論を書けば……本で床は抜けるのである。その経験が私にはある。人ごとではないのである。
学生のとき(慶應の文学部)のことである。目黒に下宿していた。四畳半の部屋だった。お医者さんの家の二階であった。そこに、スチールの本棚を、三つか四つぐらい立てていただろうか。その当時の学生としては、本は持っていた方だと思う。
その頃、国文科の学生として、勉強のために、折口信夫全集も、定本柳田国男集も、そろえて持っていた。
ある日、隣の部屋(これも四畳半の部屋)との仕切りの壁のところの床が、ちょっと沈んでいるかなという感じがしたのを覚えている。その後、特にどうということなくすぎていた。引っ越しすることになった。同じ屋根の下で、もうちょっと広い部屋にである。
本棚を片づけてみると……確かに床が沈んでいるようだった。大家さん(病院であるから、お医者さんの一家である)に報告して見てもらった。大工さんに調べてもらったら……床が抜けていた。
といっても、半分は、木材の腐食か虫食いのようなもので、その箇所が弱くなっていたのではあるが、しかし、本棚の重みには耐えられなかったようだ。ちょうど、病院の診察室の真上に位置する。
このときは、大家さんの好意で、特にとがめられることもなく、全額大家さん負担で修理してもらうことになった。(その後、大学院の学生のとき、そのお医者さんが亡くなってから後、建物も取り壊されてしまうことになった。)
このとき、しみじみと感じたものである。本の重みで、家の床を破損することがあるのである、と。
それ以来、引っ越しするときに考えることは、その建物が本の重みに耐えるかどうかであった。その後、とにかく鉄筋の建物に住むことにした。木造の建物では、不安があったからである。
幸い、その後、本で床を抜いたという経験はしていない。
今の住まい……二十年ほど前に建てた木造の建物であるが、これを考えるとき、とにかく床を頑丈にということを考えた。通常の建築よりも、数倍は、床を頑丈に造ったはずである。家の中、どの部屋や廊下に本棚をおいても、大丈夫なようにと思った。少なくとも、一階は、どこにどれだけ本をおいても大丈夫なはずである。
二階もかなり頑丈にしてもらった。これは、本よりもピアノ(アップライトである、これは子どものため)を置くためである。ピアノも重い。二百キロを超えるとのことであった。
今、本は、自分の部屋の他に、外の書庫……という立派なものではない、ただの倉庫、しかし、特徴としては、窓はなくて、ひたすら床を頑丈に造った建物……においてある。自分の部屋からだと、いったん外に出て歩かなければならないので、億劫である。そのためもあって、自分の部屋の机のまわりの床は本だらけである。
これも、数ヶ月に一度は、整理して、まとめて外の倉庫の方に移動させることにしている。そうでないと、身の周り、文字通り足の踏み場もない状態になってしまう。
そして、この本『本で床は抜けるのか』であるが……最初に出た単行本を買って、また、文庫版が出たら買ってしまった。このようなことをしていると、本で床を抜くことになるのであろう。
それにしてもである、『日本国語大辞典』(第二版)は、私の机に座って手のとどくところにならべてある。しかし、今では、これを使うことはめったにない。ほとんど、デジタル版のジャパンナレッジで済ませてしまう。にもかかわらず、紙の本としての辞書は、手元においておきたい。
以前、旧版の『日本国語大辞典』を使っていたころは(これは、手元にはおいていない、外の倉庫の方に移動させた)、鉛筆(青)で、用例に印をつけたりしながら、辞書を「読んで」いたものである。デジタル版になって、辞書を「読む」ということがなくなってしまっている。これも、時代の流れなのかなと思ったりもする。だが、紙の『日本国語大辞典』が手のとどくところにないと不安である。
デジタルの時代になっても、紙の本というものがある限り、床の心配はなくならない。
『やちまた』足立巻一(その五) ― 2018-03-26
2018-03-26 當山日出夫(とうやまひでお)
続きである。
やまもも書斎記 『やちまた』足立巻一(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810196
足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html
『やちまた』(足立巻一)を読んで、今ひとつよくわからないことがある。それは、『詞八衢』(本居春庭)という書物が、いったいどんな書物で、何が書いてあるのか、よくわからないことである。
たぶん、著者(足立巻一)は、意図的に、『詞八衢』という書物の内容には言及していないのである。もし、『詞八衢』について解説しだしたりすると、それだけで、さらに一冊の本を書かなければならないかもしれない。
『詞八衢』は、大部な書物というわけではないが、決してわかりやすい本ではない。それは、ここに掲載した画像を見ればわかる。無論、変体仮名で書いてあるので、読むのはちょっと難しいかもしれない。だが、難しさは、変体仮名で書いてあることではない、この書物の眼目とでもいうべき、用言の活用表についてである。
一般に、現在の国語教育、古典教育で教えられる文法……いわゆる学校文法、古典文法……は、演繹的である。四段活用なら、基本だけを示して、あとは、五十音図によって演繹的に考えるようになっている。
だが、江戸時代、五十音図というのが、一般に流布する前のことである。一部の国学者ならば分かったかもしれないが、一般の読者まで視野を広げて考えるならば、五十音図による演繹的な説明は無理である。あくまでも、実例に即しながら、帰納的実証的に説明するしかない。
その結果、活用を図にしてしめすと次のようになる。表紙(上巻)、本文のはじまり、活用図の画像、刊記(下巻)を示す。
続きである。
やまもも書斎記 『やちまた』足立巻一(その四)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2018/03/24/8810196
足立巻一.『やちまた』(上・下)(中公文庫).中央公論新社.2015 (河出書房新社.1974 1990 朝日文芸文庫.1995)
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206097.html
http://www.chuko.co.jp/bunko/2015/03/206098.html
『やちまた』(足立巻一)を読んで、今ひとつよくわからないことがある。それは、『詞八衢』(本居春庭)という書物が、いったいどんな書物で、何が書いてあるのか、よくわからないことである。
たぶん、著者(足立巻一)は、意図的に、『詞八衢』という書物の内容には言及していないのである。もし、『詞八衢』について解説しだしたりすると、それだけで、さらに一冊の本を書かなければならないかもしれない。
『詞八衢』は、大部な書物というわけではないが、決してわかりやすい本ではない。それは、ここに掲載した画像を見ればわかる。無論、変体仮名で書いてあるので、読むのはちょっと難しいかもしれない。だが、難しさは、変体仮名で書いてあることではない、この書物の眼目とでもいうべき、用言の活用表についてである。
一般に、現在の国語教育、古典教育で教えられる文法……いわゆる学校文法、古典文法……は、演繹的である。四段活用なら、基本だけを示して、あとは、五十音図によって演繹的に考えるようになっている。
だが、江戸時代、五十音図というのが、一般に流布する前のことである。一部の国学者ならば分かったかもしれないが、一般の読者まで視野を広げて考えるならば、五十音図による演繹的な説明は無理である。あくまでも、実例に即しながら、帰納的実証的に説明するしかない。
その結果、活用を図にしてしめすと次のようになる。表紙(上巻)、本文のはじまり、活用図の画像、刊記(下巻)を示す。
これでは、今の読者……学校文法をならっているような……には、すぐには何のことか分からなくてもしかたがない。『やちまた』を書いたとき、著者(足立巻一)は、このような江戸時代の国学者の書いた活用の表を、読者に提示することをしていない。だが、著者(足立巻一)は、この表をきちんと理解している。だからこそ、先行研究とのつきあわせということもできる。このことは、わかった上で、『やちまた』は、今日において読まれるべきであろう。
これ以上のことは、専門的な国語学史、あるいは、学校文法の教育史ということになるので、ここまでにしておきたい。
ここで使用した画像は、国立国会図書館デジタルコレクションにある。PDFでダウンロードして、画像(JPEG)に変換したものである。著作権保護期間満了となっている。
蛇足ながら……この画像の題簽(本の表紙の紙に書いてあるタイトル)には「言葉のやちまた」とある。しかし、内題(本の本文の最初に書いてあるタイトル)「詞八衢」とある。この場合、内題を優先する。
上巻
永続的識別子 info:ndljp/pid/2562833
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562833
下巻
永続的識別子 info:ndljp/pid/2562834
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562834
桑原武夫の蔵書のゆくえ ― 2017-04-29
2017-04-29 當山日出夫
最近、WEBで話題になっていること……故・桑原武夫の蔵書が、京都市に寄贈されたものの、それが、廃棄されてしまっていたとのことである。理由としては、図書館において利用実績が無いから、ということらしい。
この件については、NHKも報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170427/k10010963631000.html
この点について、FBやTwitterなどでの反応は、主に次の二点になるだろうか。
第一には、京都市の対応を非難するもの。桑原武夫の蔵書をゆずりうけていながら、それをきちんと管理できないというのは、京都市の責任である。
第二には、それと反対に、いったん京都市に渡してしまったものなら、それをどうしようと市の側の自由である。利用されない本をもっておくだけの余裕は、京都市の図書館にはないので、これはいたしかたない。
まあ、ざっと以上のような二点に分けられるだろうか。
これ以外には、桑原武夫ほどのビッグネームであっても、その蔵書の維持はもう無理なのか、というような慨嘆の声もある。また、図書館にただ本を寄贈するだけではなく、その維持管理のコストのことも考えなければならないという意見もある。あるいは、学術資料として貴重なのは、一部の稀覯本をのぞけば、むしろ蔵書目録の方である、という見解もある。
ただ、この件に関して私の思ったことを記すと……「廃棄」というのは、どういうことなのだろうか、ということ。文字通り、廃棄処分、つまり、ゴミにしてしまったということなのだろうか。あるいは、図書館から除籍して、古書店にでも売ったということなのであろうか。私の持っている本でも、古書で買ったものの中には、もとは図書館の蔵書であったものがある。
私の感想としては、ゴミにしてはいけないと思う。少なくとも、古書店を介して、次の読者にわたっていくようにするのが、ある意味で、桑原武夫の蔵書のあり方としては、望ましいと考える。
どこかで読んだエピソード。確か、桑原武夫の話しだったと思う。ある時、登山について人と話をしていた。そのとき、図に書いて説明する必要があった。すると、手近にあった本……それは、海外から届いたばかりの貴重な本であった……の余白のページをやぶって、そこに図を書いて示した。いわく、本というのは、利用するためのものである。ただ、持っておくためのものではない。
この話し、何で読んだのかは忘れてしまったが、いまだに憶えている。
私の本には、古書店で買ったものが多い。本というものは、古書店を介して、リサイクルするところにも価値がある。古書として流通して、次のしかるべき読者のもとにわたってくれれば、幸いとすべきかもしれない。
桑原武夫の蔵書の一件は、書籍の再利用、古書としての流通という観点から、どのような利活用の方法があったのか、考えて見てもよかったのではないだろうか。
最近、WEBで話題になっていること……故・桑原武夫の蔵書が、京都市に寄贈されたものの、それが、廃棄されてしまっていたとのことである。理由としては、図書館において利用実績が無いから、ということらしい。
この件については、NHKも報じている。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170427/k10010963631000.html
この点について、FBやTwitterなどでの反応は、主に次の二点になるだろうか。
第一には、京都市の対応を非難するもの。桑原武夫の蔵書をゆずりうけていながら、それをきちんと管理できないというのは、京都市の責任である。
第二には、それと反対に、いったん京都市に渡してしまったものなら、それをどうしようと市の側の自由である。利用されない本をもっておくだけの余裕は、京都市の図書館にはないので、これはいたしかたない。
まあ、ざっと以上のような二点に分けられるだろうか。
これ以外には、桑原武夫ほどのビッグネームであっても、その蔵書の維持はもう無理なのか、というような慨嘆の声もある。また、図書館にただ本を寄贈するだけではなく、その維持管理のコストのことも考えなければならないという意見もある。あるいは、学術資料として貴重なのは、一部の稀覯本をのぞけば、むしろ蔵書目録の方である、という見解もある。
ただ、この件に関して私の思ったことを記すと……「廃棄」というのは、どういうことなのだろうか、ということ。文字通り、廃棄処分、つまり、ゴミにしてしまったということなのだろうか。あるいは、図書館から除籍して、古書店にでも売ったということなのであろうか。私の持っている本でも、古書で買ったものの中には、もとは図書館の蔵書であったものがある。
私の感想としては、ゴミにしてはいけないと思う。少なくとも、古書店を介して、次の読者にわたっていくようにするのが、ある意味で、桑原武夫の蔵書のあり方としては、望ましいと考える。
どこかで読んだエピソード。確か、桑原武夫の話しだったと思う。ある時、登山について人と話をしていた。そのとき、図に書いて説明する必要があった。すると、手近にあった本……それは、海外から届いたばかりの貴重な本であった……の余白のページをやぶって、そこに図を書いて示した。いわく、本というのは、利用するためのものである。ただ、持っておくためのものではない。
この話し、何で読んだのかは忘れてしまったが、いまだに憶えている。
私の本には、古書店で買ったものが多い。本というものは、古書店を介して、リサイクルするところにも価値がある。古書として流通して、次のしかるべき読者のもとにわたってくれれば、幸いとすべきかもしれない。
桑原武夫の蔵書の一件は、書籍の再利用、古書としての流通という観点から、どのような利活用の方法があったのか、考えて見てもよかったのではないだろうか。
山内昌之『歴史学の名著30』 ― 2016-12-23
2016-12-23 當山日出夫
山内昌之.『歴史学の名著30』(ちくま新書).筑摩書房.2007
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063540/
今では、絶版のようである。古本で買った。
ちくま新書は、『~~の名著30』というタイトルで、いくつか本を出しているが、その一つ。
また、著者・山内昌之にしてみれば、歴史学の入門・概論的な本をいくつか書いているが、そのなかの一つということになる。
やまもも書斎記 2016年7月5日
山内昌之『歴史という武器』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/05/8125641
やまもも書斎記 2016年10月24日
山内昌之『歴史とは何か-世界を俯瞰する力-』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/24/8234864
で、この『歴史学の名著30』である。その「Ⅰ 歴史への問いかけ」で取り上げられているのは、次の本。
ヘロドトス 『歴史』
トゥキディデス 『戦史』
司馬遷 『史記』
班固 『漢書』
原勝郎 『日本中世史』
おわりの「Ⅵ 現代への視座」では、次の本。
ヴェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
宮崎市定 『科挙』
バーリン 『父と子』
フーコー 『監獄の誕生』
網野善彦 『無縁・苦界・楽』
見ると、『文明論之概略』(福沢諭吉)がはいっていない。その理由として、「はじめに」のところで、これは、同じちくま新書のシリーズ『政治学の名著30』でとりあげられているから、とある。
この本が意味があると思うのは、歴史学のブックガイドという側面もあるが、より具体的に、どのテキストで読むか、というところまで案内してあること。
たとえば、上記の私の過去のブログでとりあげた、『歴史という武器』では、ビジネスパーソン向けに、読むべき歴史学の本が紹介してあったのだが、具体的にどの本がいいとまでは書いてなかった。特に、『史記』について、ただ書名だけがあがっていたのは、やや不満が残った。
それがこの本では、具体的に挙げられている。著者(山内昌之)の勧めるのは、
小竹文夫・小竹武夫(訳).『史記』(ちくま学芸文庫).ちくま書房 全8巻
である。
調べてみると、この本は、いまでも入手できる。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082008/
この本が『史記』を読むのにふさわしい本かどうかは、東洋学の専門家からは、また、意見のあるところであるかとは、思う。しかし、『史記』が、現代日本語訳で読めるというのは、ある意味で幸福なことでもある。そして、それが、山内昌之が回想するように、中高生でも読めるというのは、よろこぶべきことであろう。
この『歴史学の名著30』、ざっと見ると、読んだことのある本、名前だけしっている本、読んだことのない本と、いろいろである。
今年(2016)の年内の授業は、終わった。来年一月にすこしある。試験もしなければならない。しかし、その後は、かなり時間がとれるはずである。このようなブックガイドをもとに、昔読んだ本を再読したり、読んでいない本を読んだりとして、時間をつかうことにしたいものである。そして、歴史とは何か、これは、ひろい意味での「文学」ということになるだろうが、そのようなことについて、自分なりに考えをすすめてみたいと思っている。
山内昌之.『歴史学の名著30』(ちくま新書).筑摩書房.2007
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480063540/
今では、絶版のようである。古本で買った。
ちくま新書は、『~~の名著30』というタイトルで、いくつか本を出しているが、その一つ。
また、著者・山内昌之にしてみれば、歴史学の入門・概論的な本をいくつか書いているが、そのなかの一つということになる。
やまもも書斎記 2016年7月5日
山内昌之『歴史という武器』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/05/8125641
やまもも書斎記 2016年10月24日
山内昌之『歴史とは何か-世界を俯瞰する力-』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/24/8234864
で、この『歴史学の名著30』である。その「Ⅰ 歴史への問いかけ」で取り上げられているのは、次の本。
ヘロドトス 『歴史』
トゥキディデス 『戦史』
司馬遷 『史記』
班固 『漢書』
原勝郎 『日本中世史』
おわりの「Ⅵ 現代への視座」では、次の本。
ヴェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
宮崎市定 『科挙』
バーリン 『父と子』
フーコー 『監獄の誕生』
網野善彦 『無縁・苦界・楽』
見ると、『文明論之概略』(福沢諭吉)がはいっていない。その理由として、「はじめに」のところで、これは、同じちくま新書のシリーズ『政治学の名著30』でとりあげられているから、とある。
この本が意味があると思うのは、歴史学のブックガイドという側面もあるが、より具体的に、どのテキストで読むか、というところまで案内してあること。
たとえば、上記の私の過去のブログでとりあげた、『歴史という武器』では、ビジネスパーソン向けに、読むべき歴史学の本が紹介してあったのだが、具体的にどの本がいいとまでは書いてなかった。特に、『史記』について、ただ書名だけがあがっていたのは、やや不満が残った。
それがこの本では、具体的に挙げられている。著者(山内昌之)の勧めるのは、
小竹文夫・小竹武夫(訳).『史記』(ちくま学芸文庫).ちくま書房 全8巻
である。
調べてみると、この本は、いまでも入手できる。
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082008/
この本が『史記』を読むのにふさわしい本かどうかは、東洋学の専門家からは、また、意見のあるところであるかとは、思う。しかし、『史記』が、現代日本語訳で読めるというのは、ある意味で幸福なことでもある。そして、それが、山内昌之が回想するように、中高生でも読めるというのは、よろこぶべきことであろう。
この『歴史学の名著30』、ざっと見ると、読んだことのある本、名前だけしっている本、読んだことのない本と、いろいろである。
今年(2016)の年内の授業は、終わった。来年一月にすこしある。試験もしなければならない。しかし、その後は、かなり時間がとれるはずである。このようなブックガイドをもとに、昔読んだ本を再読したり、読んでいない本を読んだりとして、時間をつかうことにしたいものである。そして、歴史とは何か、これは、ひろい意味での「文学」ということになるだろうが、そのようなことについて、自分なりに考えをすすめてみたいと思っている。
山内昌之『「反」読書法』 ― 2016-12-04
2016-12-04 當山日出夫
山内昌之.『「反」読書法』(講談社現代新書).講談社.1997
今では絶版のようだ。
著者は、言うまでもなく、現代イスラームの歴史、国際情勢についての専門家。そして、私の見るところで、現代におけるすぐれた人文学者であり、読書家でもある。いや、読書家などと言っては失礼にあたろうか。だが、著者の書いた書評の類は、どれも興味深い文章である。
ネットで検索して、古本で買って読んでみた。
読みながら付箋をつけた箇所。
「いずれにせよ、周囲とのやりとりで疲れたとき、歴史性と叙述性を兼ね備えた作品を読んでは気分を転換させたものです。とくに歴史と文学との間で感銘を受ける作品に出会ったことは、その後の私の進路に大きな意味をもちました。」(p.177)
として、あげてあるのが、大佛次郎の『パリ燃ゆ』と『天皇の世紀』である。
私は、『パリ燃ゆ』は、残念ながら読んでいない。『天皇の世紀』の方は、近年、(といっても、ずいぶん前になるが)、文春文庫版で出たのを、順番に読んでいったものである。(しかし、残念ながら、これも途中で挫折している。まあ、もともとが、未完の作品なので、いいかなとも思っているのだが。とはいえ、その冒頭の京都の雪の描写のシーンは、憶えている。)
『天皇の世紀』は、幕末・明治維新を描いた作品である。その関連で思い浮かぶのは『遠い崖』(萩原延壽)。これは、全巻買ってもっているのだが、まだ、手をつけていない。
ところで、『「反」読書法』は、上述の箇所のように著者の若い時の読書体験をつづったところがある。そのなかで、気付いたところ。
『パリ燃ゆ』を買ったのが、学生のときのこととして、その値段が、1400円であったとある。そして、
「岩波新書が百五十円の時代だったといえば、この本がいかに高価だったかをお分かりいただけるでしょう。」(p.178)
とある。
そうなのである。岩波新書は、昔は、150円均一だった。思えば、その当時、岩波文庫は、★の数で値段を表示していたものである。私の記憶にある、★ひとつの値段は、30円。
いまでも、手軽に手にとれる分量のすくない本のことを、「岩波文庫でほしひとつ分ぐらい」と、つい言ってしまうことがある。
ともあれ、『パリ燃ゆ』は読んでおきたい本のひとつ。今では新版が出ている。三巻になる。やはり三巻そろえると、岩波新書の一冊の10倍ぐらいの値段になる。それから、『天皇の世紀』も、再度、じっくりと読んでみたい。こんなことを思いながらも、今、興味があるのは、桜木紫乃の小説など。そして、その合間に、北原白秋や萩原朔太郎の作品を、パラパラとめくって懐かしんでいる。そんなこのごろである。
山内昌之.『「反」読書法』(講談社現代新書).講談社.1997
今では絶版のようだ。
著者は、言うまでもなく、現代イスラームの歴史、国際情勢についての専門家。そして、私の見るところで、現代におけるすぐれた人文学者であり、読書家でもある。いや、読書家などと言っては失礼にあたろうか。だが、著者の書いた書評の類は、どれも興味深い文章である。
ネットで検索して、古本で買って読んでみた。
読みながら付箋をつけた箇所。
「いずれにせよ、周囲とのやりとりで疲れたとき、歴史性と叙述性を兼ね備えた作品を読んでは気分を転換させたものです。とくに歴史と文学との間で感銘を受ける作品に出会ったことは、その後の私の進路に大きな意味をもちました。」(p.177)
として、あげてあるのが、大佛次郎の『パリ燃ゆ』と『天皇の世紀』である。
私は、『パリ燃ゆ』は、残念ながら読んでいない。『天皇の世紀』の方は、近年、(といっても、ずいぶん前になるが)、文春文庫版で出たのを、順番に読んでいったものである。(しかし、残念ながら、これも途中で挫折している。まあ、もともとが、未完の作品なので、いいかなとも思っているのだが。とはいえ、その冒頭の京都の雪の描写のシーンは、憶えている。)
『天皇の世紀』は、幕末・明治維新を描いた作品である。その関連で思い浮かぶのは『遠い崖』(萩原延壽)。これは、全巻買ってもっているのだが、まだ、手をつけていない。
ところで、『「反」読書法』は、上述の箇所のように著者の若い時の読書体験をつづったところがある。そのなかで、気付いたところ。
『パリ燃ゆ』を買ったのが、学生のときのこととして、その値段が、1400円であったとある。そして、
「岩波新書が百五十円の時代だったといえば、この本がいかに高価だったかをお分かりいただけるでしょう。」(p.178)
とある。
そうなのである。岩波新書は、昔は、150円均一だった。思えば、その当時、岩波文庫は、★の数で値段を表示していたものである。私の記憶にある、★ひとつの値段は、30円。
いまでも、手軽に手にとれる分量のすくない本のことを、「岩波文庫でほしひとつ分ぐらい」と、つい言ってしまうことがある。
ともあれ、『パリ燃ゆ』は読んでおきたい本のひとつ。今では新版が出ている。三巻になる。やはり三巻そろえると、岩波新書の一冊の10倍ぐらいの値段になる。それから、『天皇の世紀』も、再度、じっくりと読んでみたい。こんなことを思いながらも、今、興味があるのは、桜木紫乃の小説など。そして、その合間に、北原白秋や萩原朔太郎の作品を、パラパラとめくって懐かしんでいる。そんなこのごろである。
最近のコメント